2018年10月29日

「虚像の道化師」

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東野 圭吾 著
文藝春秋 出版

浪花少年探偵団」のようなミステリ短篇集ですが、こちらはコミカルな雰囲気はありません。

 これを原作とするテレビドラマをたまたま見て、物理学の准教授が書いた難しい数式が原作でどう描かれているのか気になって読んだのですが、もとの小説には、そういった込み入った描写がなく、准教授もドラマほどエキセントリックなキャラクターとしても描かれていません。

 平均 70 ページほどの短篇でトリックを披露するとなれば、人物描写は端折らなければならないという事情はあるものの、やはりドラマでは、脚本家が頑張って話を膨らませ、キャラクターを際立たせているのでしょう。

 収められているのは、以下の 4 篇です。

- 幻惑す (まどわす)
- 心聴る (きこえる)
- 偽装う (よそおう)
- 演技る (えんじる)

「演技る (えんじる)」は、うまうまとミスリードされたものの、動機の面で少し無理が感じられましたが、演技を生業とする俳優という職業での独特の価値観と考えることもできるかもしれません。全体としては、物理学の准教授が思いやりを見せて、ハッピーエンドとなった「偽装う (よそおう)」が一番わたしの好みに合いました。
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2018年10月28日

「のりたまと煙突」

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星野 博美 著
文藝春秋 出版

 ほのぼのとした表紙に誘われ、読みました。

 最初の章立てとこの本に登場する猫の家系図 (説明書き) を見て、小説かと思ったのですが、エッセイです。読んだあとに知ったのですが、著者は、「転がる香港に苔は生えない」で第 32 回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したノンフィクション作家だそうです。

 日常的なできごとをきっかけに考えたことが書かれているのですが、わたしの場合はそれは何になるかと疑問に思ったことがありました。

 著者とそのきょうだいが大人になって両親の家を出る際に残していった子供時代の持ち物を家族で整理したときのことを書いた部分です。

 著者によれば、捨てずに残すものを選ぶものさしは、1. 忘れたくないもの、2. 自分に都合のいいもの、3. あとあとまで幸福を追体験できるかだそうです。著者の父親は、大昔、おそらく 1970 年頃に酔狂で録音した、ある晩の家族の会話のカセットテープを、遺物を整理しながら大音量で聞き続けていたそうです。このテープ 1 本さえあれば、残りの余生を十分幸せに生きていけるようだと評しています。

 わたしにとってのカセットテープは何になるのか、すぐには思い浮かびませんでした。年末に向けて、不用品を整理しつつ考えたいと思います。
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2018年10月27日

「水辺にて」

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梨木 香歩 著
筑摩書房 出版

 カヤックをしに出かけた水辺でのあれこれが綴られています。

 最初の一節、著者の視点を通して水辺を見ると、その場に対するわたしの評価も跳ね上がってしまいました。

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 水辺の遊びに、こんなにも心惹かれてしまうのは、これは絶対、アーサー・ランサムのせいだ――長いこと、そう思い続けてきた。
 ウィンダミア――初めて英国湖水地方最大のその湖の姿を見たとき、彼の小説の主人公の少年たちが――ロジャーや、ジョン、スーザンとティティたちが、「航行して」過ごした夏のことが眼前に生き生きと蘇り、胸が詰まったことを覚えている。
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 ツバメ号やアマゾン号を思い浮かべると、楽しいとしか説明しようがない雰囲気に包まれます。

 ほかにも、「たのしい川べ」(原題:「The Wind in the Willows」) の一節と、著者が水辺でネズミを見た日のできごとが交互に語られると、ほのぼのとした気分が味わえます。

 わたしは、アウトドア派には程遠いので、カヤックからの風景がこうも楽しく見えるということは、この著者の文章でしか起こりえないと思います。

 それだけではなく、理解できた水辺の背景もあります。英国を舞台とした小説でよく登場するフェンズ。なんとなく寂しく暗いイメージしか浮かべられなかったのですが、著者がこの本で引用している文を読むと、少し理解できた気がしました。

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水を征服しようと努力するときは、いつの日にか水が立ちあがるかもしれず、それによってそれまでの努力の一切が無に帰すかもしれないという覚悟が必要である。というのも、子供たちよ、万物を平坦にならそうとする性質をもち、それ自身は味も色ももたない水という物質は、液体状の<無>にほかならないではないか。そしてまた、平坦であるという属性において水とよく似たフェンズの風景は、世の中にある風景の中で、もっとも<無>に近いものにほかならないではないか。フェンズの人間なら誰でもそれを、心中ひそかに認めている。フェンズの人間なら誰でも、歩いている自分の足もとの土地がそこにないような、土地がふわふわ漂っているような……時折そんな錯覚に襲われる。
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 これはグレアム・スウィフトの「ウォーターランド」からの引用で、著者はこの本からフェンズをより深く知り、そこに紡がれるべき物語があったと理解します。かつて水をたたえていた場所を大地の一部にするよう試みるも、無に帰すかもしれない不安定さに語られるべきストーリーがあると感じたようです。

 小説を読んでイメージした作家像と見事に一致した考えだと思います。
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2018年10月26日

「ひとは情熱がなければ生きていけない」

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浅田 次郎 著
講談社 出版

 著者の小説を何冊か読んだことがありますが、エッセイは初めてだったので、自衛隊員や企業経営者を経て小説家になったという意外な経歴が珍しかったのはもちろん、学べたこともありました。

 ひとつは、日本語の文体についてです。いまわたしは、さまざまな作家の文章を読み、それぞれ文体が違うように感じていますが、それらを包括する現代の文体は、約 1400 年にわたる日本文学の歴史において、きわめて新しいものだということです。著者はこう書いています。

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日本語の自由な散文表現は、たかだか百年の歴史しかないと言っても良い。

 その百年の間には、鴎外のように漢文の骨格を大切にした作家もおり、漱石のようになよなかな和文体を用いた作家もいた。やや遅れて、芥川龍之介はその持ち前のディレッタンティズムに物を言わせて、和漢の教養の上に翻訳文の構文を融合させるという文体を創造し、志賀直哉は「話すように書く」言文一致の理想に最も適応した、わかりやすい小説文体の嚆矢となった。

 では現況はどうであるかというと、先人たちの文体とはほとんど血脈のない、純血の英語翻訳文体が主流となっている。時代が若くなればなるほど、和漢の伝統的文体は学問とみなされ、教室の外に出れば誰もが翻訳小説を読み、ハリウッド映画を見続けてきた当然の結果であろう。また文学を繞 (めぐ) る社会環境の全体も、急激にアメリカを指向してしまったので、そうした教養の吸収方法に無理や無駄がなかった。
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 自分の人生が、この百年にすっぽりと収まっているので、こうして指摘されるまで意識したことがありませんでした。

 ただ考えてみると『英語翻訳文体』が『翻訳』から生まれたのであれば、その翻訳には 2 つの言語が必要で、もとは 2 つの文体があったはずです。そのもとの日本語の文体では、いまのわたしは読めないかもしれないと思うと、『日本文学』をわたしたちの文学といえるのかと思ってしまいました。

 もうひとつは、昭和の話です。かつて銭湯にみなが通っていたころ、銭湯にある大きな鏡のなかで、ひとはそれぞれ相対的な自分の姿を認めてきたと著者はいいます。つまり、男湯では、ある者は筋骨を誇示し、ある者は老いを嘆き、女湯でも女性の規矩 (きく) に則って、同様の自己判断が行なわれていたというのです。

 いま自己評価の甘い人間が多くなったのは、この大鏡がなくなったせいではないかと著者は推測しています。自分だけが映る家庭の鏡では、他者との比較ができず、自らを絶対的視野でしか判断できなくなったというのです。

 たしかに時代とともに、職業、年齢、価値観などが違う人たちを目にする機会は減ってきているので、偏った考えで自己満足に陥らないようにしなければ……どきっとする意見でした。
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2018年10月25日

「配色のアイデア手帖」

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桜井 輝子 著
SB クリエイティブ 出版

 奥付から、半年強で 13 刷に達したことが見てとれます。その刷数も納得の内容でした。

 見開きで 1 つの配色パターンになっています。左ページは配色の基本情報、右ページは応用情報です。基本情報には、色とその数値情報が CMYK と RGB で掲載されているのはもちろん、配色のテーマやポイントなどが文章でわかりやすく説明されています。応用情報には、配色を実際に使用したデザイン例やイラストがあり、イメージがつかみやすくなっています。

 わたしが気に入った配色パターンを例に挙げると、左ページの文章は、タイトルが『午後のハーブティー』、イメージ欄が『落ち着いた、安心感のある、くつろいだ』、配色の仕方が『イエロー、グリーン、ブラウンを中心に』、ポイントが『似たような色を使うことでまとまる』とあります。タイトルから好みの配色を見つけるのは無理ですが、このイメージ欄に掲載されている単語は、カラーセンスが皆無のわたしには大変助かります。

 右ページのイラストは、配色以外のデザインそのものが好みに合わないケースも考えられますが、幾何学模様のような配色パターンは、無条件に参考になります。

 このような本が 1 冊あれば、Web サイトを作る際、自分が思うカラーイメージを伝えるのに重宝するのは間違いありません。使い勝手のいい本に巡りあえました。
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2018年10月24日

「美しい星」

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三島 由紀夫 著
新潮社 出版

 自身は火星からきた宇宙人であるという意識に突然目覚めた父親、同様に木星からきたとさとった母親、水星からきたという長男、金星からきたというその妹という顔ぶれの 4 人家族と、白鳥座 61 番星の未知の惑星からきた宇宙人だと名乗る万年助教授とその取巻きふたりのグループが対照的に描かれています。

 なぜ純文学作家が宇宙人を描くのか、理解に苦しむまま読み進めると、4 人家族の父親と助教授が地球人 (人間) について意見を戦わせる場面になります。両者は、人間と自らを切り離して考えている点も人間を不完全な存在として見ている点も全く同じなのですが、前者は人間に平和を与えて救おうと懸命になり、後者は人間を滅ぼそうと躍起になり、目指すところは正反対でした。

 両者の議論において描写された人間の本質は、作家の思想の投影であり、この作品の読みどころでもあります。この場面を読むと、これらの登場人物は、人間を外から見る存在として宇宙人である必要があったのかと納得しかかったものの、そのあとの結末を読むと、その解釈も自信がなくなりました。

 なんとなく宗教における『救い』のように見えた結末は、人間の平和を憂ういっぽうで自らはガンに身体を蝕まれ余命宣告に打ちひしがれる父親にしろ、自らを低く評価する周囲の人間に憎しみを抱き人類の滅亡を願っている助教授にしろ、あまりにも俗っぽい登場人物と相容れないように見えました。あるいは、俗っぽい普通の人たちだからこそ、あの結末だったのでしょうか。すっきりとしない読後感でした。
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2018年10月23日

「ふふふ」

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 作家だけに幅広い分野に及ぶエッセイです。いろんな笑いをテーマにしていますが、遅筆で有名な作家としての自嘲が、鮮やかでした。

 アメリカでは『後援者募集 (バッカーズ・オーディション)』というものがあるそうです。演劇などの後援者を募集するもので、製作者が中心となって劇作家、作曲家、振付師、出演者などがいかに魅力的な企画かを後援 (投資) 候補者に説明し、資金を調達するのです。演劇があたれば、後援者には分配金が支払われます。似た仕組みで、エンターテインメントを証券化し、資金調達する場合もあります。

 著者は、自らの劇団でも証券化手法で資金を調達できないかと考えますが、相談した金融アナリストからは相手にされず、こう説明されます。
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「証券化の際の契約書を取り寄せて調べてみたところ、どんな契約書にも次の一条が書かれているんですね。それはこうです。映画、演劇の私募債については、発行の時点で必ず脚本の完成稿ができていることを必須の条件とする」
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 見事な自虐ネタです。

 もうひとつ、日本人としての自嘲も、印象に残りました。

 ボローニャという街の憲章は、『わたしたちは、この場所で、同一の法のもとに豊かな共同生活を送ることを互いに求め合う』というもので、この街では、ホームレスになっても生活を立て直すための仕組みがあるそうです。

 互いに人を人らしく再生させようと努力するこのような街に対し、著者は日本を互いに人からカネを巻き上げようと躍起になっている街と評しています。

『貧困ビジネス』などといういうことばを生んだわたしたちを 2005 年初出のエッセイですでに予見していたようです。
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2018年09月29日

「遅番記者」

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ジェイムズ・ジラード (James Preston Girard) 著
柴田 京子 訳
講談社 出版

 友人の本棚で見つけて貰いうけた古い本ですが、わたしにとっては当たりでした。連続殺人犯を追う捜査をメインに、犯人を追う側の家庭の崩壊と再生がサブストーリーになっている一般的な展開なのですが、少しひねりがきいています。

 まず、タイトルにある遅番記者は、夜間対応の遊軍のような記者です。窓際とはいわないまでも華々しい仕事をしていないその記者が連続殺人犯担当の捜査員に張りついて取材することになります。警察官と同じように事件を追うものの、事件を見る角度がやや異なり、それがこの作品の個性のひとつになっています。

 さらに、冒頭では連続殺人犯を追うことがメインストーリーのように見えていましたが、気がつくとサブストーリーと思っていた犯人を追う側の家庭の崩壊と再生がメインと入れ替わったように見える点も珍しいように思います。

 連続殺人犯の被害にあった女性たちの大部分は、事件に巻きこまれるようなタイプではないことから、普通の人が過ごす何気ない日常が一瞬にして奪われてしまう危険性が世の中に潜んでいるという事実が、事件を追う者に突きつけられます。それによって、日常は、いつ失われてもおかしくないものという感覚が遅番記者に伝わり、物語の展開に影響を与えると同時に物語に占める割合も大きくなっていきます。

 最後に、連続殺人犯の逮捕においても、意外な結末が用意されていて、犯人を追う側の意外な落着とともに、終わりまで目が離せない展開になっています。

 古典的な構成だと思って読み始めましたが、その枠におさまらない部分も楽しんで読めました。
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2018年09月28日

「天国通り殺人事件」

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シュテファン・スルペツキ (Stefan Slupetzky) 著
北川 和代 訳
東京創元社 出版

 オーストリアの作家による作品です。普段オーストリアの作品を読む機会が少ないので、期待して読んだのですが、2 つの点で物足りなさを感じました。

 ひとつは、人物描写が少ない点です。主人公ですら、価値観や信念のような内面も過去も描かれていないため、人間らしさに欠けて見えます。

 もうひとつは、中途半端な位置づけの作品だという点です。

 最初に殺人事件が起こり、主人公が犯人に取り違えられるような状況に陥ります。次に主人公は、自身が犯人ではないことを証明すべく真犯人を見つけだすために行動を起こします。ここまでの展開は、コージーミステリのお決まりパターンですが、コージーミステリの素人探偵のような微笑ましさは感じられません。肝心の主人公が元刑事という設定で、素人探偵役には無理があり、また彼の行き当たりばったりな行動が笑いを誘うユーモラスな展開ともいいがたいものがあります。

 では、ミステリとして謎解きを楽しめるかというと、それも難しいように思いました。素人の読者にもわかるような手がかりがないだけでなく、元刑事が探偵役になっているわりには推理も展開されません。

 このシリーズは、すでに 4 作品刊行されていて、本作は、ブルグドルファー・ミステリ大賞を受賞しているそうです。ユーモア (どちらかといえばブラックユーモア) が売りの作品かもしれませんが、日本語にした時点で失われたのかもしれませんし、オーストリアの文化やウィーン語に疎いわたしには伝わらないものだったのかもしれません。でも、わたしには合わない作品でした。
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2018年09月24日

「絵を読み解く 絵本入門」

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藤本 朝巳/生田 美秋 編著
ミネルヴァ書房 出版

 絵本を分類し、それぞれに対して考察している良書です。

 第T部では、物語絵本、昔話絵本、ファンタジー絵本、ポストモダンの絵本 (従来の形式にとらわれない常識破りな絵本) 、赤ちゃん絵本と分類しています。おもしろかったのは、赤ちゃん絵本です。0 〜 2 歳の赤ちゃんに読み聞かせるそうですが、2 歳はともかく、1 歳未満の子に絵本なんて……と驚きましたが、具体例とともに読み進めると、赤ちゃん絵本も重要なジャンルのひとつだと納得できます。

 第U部では、古典/海外、古典/日本、現代/海外、現代/日本の 4 つに分類し、それぞれ 10 点ほどの絵本が紹介されています。

 数多くの絵本が具体的に紹介されていて、盛沢山の内容です。時間が許すなら、絵本の実物を手にしながら、1 日 1 冊ずつ絵本の紹介を読むといったペースで、それぞれの個性を味わうといった読み方がおすすめです。随所に絵本の一部のページが転載されているとはいえ、実物を手にするとやはり多くの気づきが得られるからです。

 特別印象深かった本が 2 冊あって「もこ もこもこ」と「おんぶはこりごり」です。

「もこ もこもこ」は、前出の赤ちゃん絵本に該当しますが、オノマトペと抽象画が連動する仕掛けで、ストーリーはありません。子供向け本の基本展開である『行って帰る』ではありませんが、抽象画の形が最初と最後で同じになっていて、それが『行って帰る』を感じさせます。オノマトペには音象徴が見られるため、赤ちゃんに読むには良い本だと思います。

「おんぶはこりごり」は、家のなかのことをすべて母親に頼っている一家のはなしです。要は、家のなかのことは、みんなで分担しましょうということなのですが、それが幼児も読む絵本になっている点と遊び絵などを多用して重くなりやすいテーマを謎解きのように楽しめるようになっている点が、わたしにとって斬新でした。

 子供が読む本だからこそ、よりいっそう真摯に描かれている作品が多いことに驚かされました。
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