2025年11月17日

「PASSAGE」

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Connie Willis 著
Bantam 出版

 読み終えて思ったことは、「長かった」と「意外だった」のふたつにほぼ集約されます。

 800 ページ弱のボリュームは、わたしにとってかなり長いほうですが、それでも最後まで読まされてしまったのは、キャラクター付けがリアルだったり、世の中の非情さを映していたり、感情移入できるだけの魅力が備わっていたからだと思います。

 話が長くなっている理由は数多くあります。同じ話を繰り返すひと、妄想に固執し、自分ひとりの世界に浸りきっていながら、周囲を会話に引きこむひとが多く登場するのもひとつの要素です。ただ、そういったひとたちはどこにでもいるため、つい自らの経験に照らしあわせて読んでしまいますが、実は一種の伏線だと最後に判明します。

 また、物語の舞台となっている病院が改築に改築を重ねたせいで構造が複雑化しているうえ、改装中で通り抜けられない箇所があったりして迷路化している描写も頻出し、話を長くしていますが、これも伏線です。

 さらに、核心に近い部分としては、タイタニック号沈没のような悲劇的なシーンが繰り返されることも、話を長くしていますが、重要な伏線となっています。そして、そんな悲劇に魅了されている登場人物 Maisie は、物語の鍵となる女の子だと最後のほうで判明します。

 読み終えてみると、繰り返される描写は、迷走していたわけではなく、伏線を印象づけるためだったのかという気がしました。

 意外だったのは、読み始めてすぐ、NDE (Near Death Experience)、いわゆる臨死体験がおもなテーマになっているとわかったにもかかわらず、最後まで惹きこまれてしまったことです。科学を信じ、神を信じられない、わたしのような者でも、リアリティを感じてしまう構図がとられています。死後の世界を盲信するひとたちと、脳内物質や脳神経を研究する科学者たちの対立が、双方の言い分を代弁するかたちになっています。

 何よりも意外だったのは、結末です。主人公 Joanna Lander の発見がどう結実したか、彼女の発見を周囲の友人たちがどう引き継いだかを知るだけでも読む価値はありました。読後感がよく、思わず本のボリュームを忘れてしまったほどです。SF を読んで、若いひとたち、特に子どもたちにこんなことが起こってくれれば……と、思うことは、わたしにとって珍しく、印象に残る作品でした。
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2025年11月16日

「東京都同情塔」

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九段 理江 著
新潮社 出版

 かなり独特な世界観が展開されるいっぽう、いまの日本の風潮が透けて見える気がして、考えさせられました。おもな登場人物のひとり、建築家の牧名沙羅は、『ヒトを「思考する建築」、「自立走行式の塔」と認識』したり、『建築は都市を導き、未来を方向付けるものでなければならない』と考えたり、建築物が堅牢でなければならないのと同様、『強い意志と義務を示すコンクリートのように硬質な言葉たち』を欲しています。

 わたしのなかでは、建築物とヒトは異質なので、彼女の個性的な世界観が理解できませんでした。ただ、硬質な言葉を欲する彼女の気持ちだけは理解できた気がします。彼女の頭のなかは『ワードチョイスの検閲機能が忙しなく働く』状態になっています。つまり、さまざまなことに対する配慮が欠けていないか、口にする前に吟味しているわけです。有名人の失言が容易に拡散される時代ならではの設定だと思います。過剰な『配慮』によって、言葉が曖昧になっていく過程で、断定的な硬質な言葉を欲するようになったのではないか私は想像します。

 東京に建設される予定の刑務所のデザインコンペに参加するか否かを検討している彼女は、その刑務所の名称に違和感を覚えています。そのため、地上 71 階建てのその高層ビルが「シンパシータワートーキョー」という名称に決まったにもかかわらず、彼女は、「刑務塔」という代替案を考えますが、納得できず、結局は、「東京都同情塔」がいいということになります。こうした、カタカナ表記の外来語の多用は、わかったようなわからないような曖昧さを生んでいるのかもしれません。

 そのせいか、彼女は、『『シンパシー』を許容することはできない。』と語っています。また、『私には未来が見えているんだよ……日本人が日本語を捨てて、日本人じゃなくなる未来がね。』とも語っています。彼女は外来語の多用を憂えているように見えます。

 この小説の舞台では、『従来「犯罪者」と呼ばれ差別を受けてきた属性のヒト、また刑事施設で服役中の受刑者、非行少年を指して、その出自や境遇やパーソナリティについて「不憫」、「あわれ」、「かわいそう」といった同情的な視点を示し、彼らを「同情されるべき人々」、つまり「ホモ・ミゼラビリス」と再定義』することになっています。呼び方を変えても、なにも変わらないのに、あたかも革新的な概念を導入したかのように語られるあたり、滑稽にも見えます。

 そのいっぽうで、「ホモ・ミゼラビリス」は、希望すれば「シンパシータワートーキョー」にいつまでも滞在できる仕組みになっていて、それが、タワーマンション並みの暮らしを餌にした一種の隔離のようにも描かれていて、なんとも皮肉です。

 ありとあらゆる人やモノに配慮するいっぽう、犯罪者を隔離するという不寛容が、わたしたちの思考を具体化したものであるのなら、わたしたちは進むべき方向を考え直すべきなのかもしれません。
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2025年10月29日

「アリアドネの声」

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井上 真偽 著
幻冬舎 出版

 災害現場が舞台となっている本作では、災害救助に役立つドローンが重要な役割を果たします。「アリアドネシリーズ」と名づけられたドローンには、さまざまな機能が備わっていて、音響分析機能が「アリアドネの声」と呼ばれています。かすかな呻き声なども分析できるようになっていて、要救助者の発見に役立ちます。

 「アリアドネ」の由来は、次のように説明されています。『神話の英雄・テセウスは、かの有名な怪物「ミノタウロス」を退治する際、彼を慕うクレタ島の王ミノスの娘・アリアドネから渡された糸玉を使って、怪物の棲む迷宮を脱出する。その逸話から生まれたのが「アリアドネの糸」という言葉で、何か困難な状況に陥った際、解決の道しるべとなるものを意味する』。それが、本のタイトルになっているわけです。

 本作の要救助者は、『見えない・聞こえない・話せない』という三重障害を抱える女性です。そのため、より一層「アリアドネの声」が救助の鍵を握っているように見えます。

 ドローンには、比較的新しいテクノロジーが集約されているため、それだけでも近未来的なイメージを抱くのにじゅうぶんですが、本作では、「地下都市」が登場します。また、インターネット上で災害関連情報が飛び交い、真偽も確かめられないまま、さまざまな憶測を呼ぶ状況がリアルに描かれ、いかにも 21 世紀の災害現場といった様相を呈しています。

 そのいっぽうで、わたしたち人間は、テクノロジーほどは進化せずにいることが浮き彫りになっています。ひとは、誰もが同じだけ頑張れるわけではないと悩んだり、相手が嘘をついているかもしれないと疑ったり、自らの名前を明かさずに済むインターネット上で、喜んで誹謗中傷に加担したりします。

 それでも、思いもしない結末が待ち受けていて、読後感が爽快でした。自分を追いこんでいた主人公が解き放たれるさま、意外な事実が詐称の噂を一掃するさま、過去のわだかまりが消えていくさまなど、いろいろなことが収まるべきところに収まったように綺麗に結着します。ひとが強いのは、それはそれで素晴らしいこと、でも、強くなくとも、それはそれで素晴らしいこと、そう読み終えたあとに感じました。
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2025年10月28日

「「悩まない」は 9 割習慣」

20251028「「悩まない」は 9 割習慣」.png

本山 ウリ 著
セルバ出版 出版

 わたしは、時間の無駄とわかっていながら、くよくよと考えてしまうたちですが、考え方を変えるだけでは、悩みのループから抜け出せないそうです。この本によると、『自分を変えるための手段として、「思考・心・体」の 3 つの軸で習慣を変え』なければならないそうです。

 この本を読んで、「思考」、「心」、「体」それぞれに対して、考え方が少し変わりました。たとえば「思考」では、くよくよと思い悩む自身を愚かだと思っていましたが、この本の『人間の脳は未だに原始時代を生きている』というコラムを読んで、「くよくよ」も自然な反応かもしれないと思えるようになりました。約 20 万年前から人間の脳の構造は変わっていないそうです。約 1 万年前に農業が始まり、約 200 年前に産業革命が起こり、約 30 年前にインターネットが普及しだしました。わたしたちの生活は短期間で激変したのに、脳は同じままです。昔は生き残るだけでも大変なことでした。ちょっとした異変に敏感だったり、協調的だったほうが生き残りやすかったことでしょう。そのため、いまとなっては気にする必要もないことを、気にしてしまうのは仕方がないのかもしれません。

「体」で印象に残っているのは呼吸です。くよくよすると眠れなくなるのが常ですが、著者は、「天然の睡眠薬」を勧めています。『4 秒息を吸った後に 7 秒間息を止めてから 8 秒息を吐く』呼吸です。慣れるまでは、あまり秒数にこだわり過ぎず、深い呼吸でリラックスすることを優先させるといいようです。そう考えると、体を軸とする習慣も有効かもしれません。

「心」の軸については、ひとつの気づきがありました。『生まれ持った性質やこれまで過ごした環境から、「我慢が当たり前」になっていることがあります』と、著者は書いています。それを読んでも何も思いませんでしたが、そのあと『特に「このくらい平気」という言葉が出たら、当たり前に我慢しているサインです』という文が続き、自身のことだと気づけました。

 著者は、自分に我慢を強いるのをやめて、「セルフコンパッション」を勧めています。具体的には、@嫌な気持ちになったことに気づく、A「よく頑張ったね」と優しい声をかける、Bどうすれば少しでも楽になれるかを考える、C自分にとって本当に助けになることをする、というステップを説明しています。

 ただ単に「くよくよ」するのを止めようと考えるのではなく、体を動かしたり、自らを褒めたり、ものの見方や習慣を変えることも、悩みのループから脱出するのには有効かもしれません。
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2025年09月30日

「ババヤガの夜」

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王谷 晶 著
河出書房新社 出版

 叙述トリックにすっかり騙されてしまいました。ただ、あと味は悪くありませんでした。種が明かされたとき、それまでに覚えた違和感を思い出し、腑に落ちたためです。違和感の正体を突き詰めるタイプの読者なら、トリックを見破ることができたかもしれないと感じました。ただ、この叙述トリックには、気になる点がふたつありました。

 ひとつは、設定として不自然だと思う点、つまり普通なら逆にするのではないかと思った設定があったことです。それがなんとなく、わたしたちの固定概念に作家が問いかけているように感じられました。主人公は、『男に見えるものと女に見えるものが一緒にいれば、すなわちそれは夫婦と見られる。カタにはまった世の中ほど騙しやすい』と語っています。わたしたちは、ひとに対し、いったんレッテルを貼ってしまえば、そのひとのことを理解しようという気持ちを失うと作家に思われているのかもしれません。

 同様に、中心となる登場人物の女性ふたりについて、作家は、その関係性を明らかにするつもりがないようです。雇用関係とか、恋人同士とか、家族とかの関係を否定はするものの、敢えて関係性に名前をつけていません。そして、ふたりがそれぞれ相手に対し抱く感情についても、名前はつけていません。ただ、『愛ではない。愛していないから憎みもしない。憎んでいないから、一緒にいられる。今日も、明日も、来年も、おそらく死ぬまで』と、主人公に吐露させています。なんにでもレッテルを貼ってしまうわたしたちに対し、名前のつかない関係や感情が確かにあると伝えようとしているのかもしれません。

 もうひとつ気になったのは、種明かしの際、漢字で書かれた名前に初めて振り仮名がふられていて、トリックの一部になっていたことがわかります。疑問に思ったのは、外国語にする際、名前はどう処理されたのかということです。この本は、英国推理作家協会賞 (ダガー賞) を受賞したそうなので、英訳はされていると思います。翻訳の際、苦労されたかもしれません。

 叙述トリックはもちろん、それ以外も話題になる要素のある作品だと思います。
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2025年09月29日

「河内と船場:メディア文化にみる大阪イメージ」

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山本 昭宏 編
ミネルヴァ書房 出版

 1899 (明治 32 年) 年に大阪の靭公園あたりで開業された鳥井商店が始まりのサントリーは、船場の老舗といってもいい存在です。そのサントリーの文化財団が助成した、『戦後日本における「河内的なもの」と「船場的なもの」に関するメディア文化研究』の成果物がこの本です。

 船場と河内・釜ヶ崎、それぞれの土地がマスメディアでどう扱われ、どんな印象をひとびとに与えてきたか、小説、映画、アニメなどを例に取りあげながら、既発表のエッセイや論文などにも触れ、解説されています。

『大阪のイメージは、明治期以降に、新聞・書籍・映画・レコードを通して徐々に広まり、やがて戦後のマスメディア (主にテレビ) が明治期以降のイメージを編み直して定着させた』と本書に書かれてあるとおり、大阪のイメージには、ほかの土地に比べてマスメディアなどに植えつけられた印象が多分に含まれている気がします。

 そう思って本書を読むと、たとえば、「細雪」に描かれる船場は、はるか昔に存在した世界で、その実情を正確に覚えているひとは、もういないでしょうし、歴史の一部になっていることに気づかされます。ただ、船場を描いた作品が思った以上に存在したことを本書で知り、失われた、あるいは失われつつある文化、風習、価値観だからこそ、小説というかたちで残したいと思った作家たちがいたのではないかと思いました。同時に、ほかと差別化できるなにかが存在したから、創作欲に駆り立てられたのかもしれません。

 大阪のイメージとして、わたしの印象に残っている作品は、この本でとりあげられている「じゃりン子チエ」です。1981 年にアニメ映画化され、同年テレビアニメ化もされている本作品では、わが娘が店を切り盛りしているにもかかわらず、自身は働きもせず、言いたいことを言っているテツ (チエの父親) が意外にも周囲から受け入れられていて、大阪とは、こんな会話や状況が成立する土地柄なのだと思った記憶があります。

 このなかで触れられた作品個々に対する考察は興味深く、多くの先行研究があることもわかって認識を新たにできましたが、全体像の分析としてのインパクトには欠けた気がしました。
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2025年09月12日

「ミライの源氏物語」

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山崎 ナオコーラ 著
淡交社 出版

 この著書の本を読むのは初めてですが、源氏物語をテーマにしたエッセイを書かれるくらいなので、源氏物語に詳しい作家のようです。『私は大学生時代は日本文学を専攻していて、卒業論文は「『源氏物語』浮舟論」とうタイトルで書いた』と、記されています。

 わたしは、源氏物語を読んだことがないので、著者による解説を興味深く読めました。特に印象に残った解説は、1. 時代設定、2. 草子地 (そうしぢ)、3. 読者によって付けられたあだ名の 3 点です。

 源氏物語の時代設定について、わたしは考えたこともなく、紫式部が生きた時代の物語だと漠然とイメージしていましたが、執筆時よりも 50 年か 100 年くらい前を想定して書かれたようです。そう推測される根拠のひとつに役職名があり、桐壺更衣 (きりつぼのこうい) で知られる『更衣』という役職は、紫式部の時代にはもう存在しなかったそうです。

 草子地とは、作品内に入りこんでいる書き手の批評などです。源氏物語は、どこかの女房が書いた物語という設定になっています。そのため、ここでいう『書き手』というのは紫式部ではなく、その架空の女房が物語を書きながら自らの意見を述べているかの如く書かれているようです。具体的には、『文章と文章の合間に、「こんな文章を書いてしまいましたが……」「このあたりは読みづらい文章ですよね……」といった、書きながら喋っているような声を紛れ込ませている』そうです。

 桐壺更衣などは、後世の読者が名づけたあだ名だそうです。(著者による現代訳でも、名前らしきものは登場せず、『その存在』などとなっています。) 光源氏の生みの親という重要な登場人物でさえ、作中で呼び名がでてくることはないそうです。着替えを手伝う『更衣』という役職があり、桐壺帝付きの更衣なので、『桐壺更衣』という呼び名が定着したと知って、わたしは驚きました。

 興味深く読めるエッセイではあるものの、すんなりと読めない部分もありました。夕顔のことが『この時代のこの性別の人間には、遊女になる以外に金を得る手段はほとんどなかっただろう』とか『この時代のこの性別の人で自分から恋愛を進める人はほとんどいないので稀有だ』と書かれてあり、『女性』ではなく、『この性別』になっている意味がわかりませんでした。

 エッセイの終わりのほうで、『不必要なシーンでは性別の区分けを書きたくない』という著者の思いが書かれていて、夕顔を女性とするのは、不必要な区分けに含まれるのだと、はじめてわかりました。源氏物語の主人公の恋愛において、性別の区分けが排除対象になるのは意外でした。そのいっぽうで、源氏物語で語られる場面やことがらを現代のルッキズム、ロリコン、マザコン、ホモソーシャル、貧困問題などに引き寄せて読む姿勢に共感できるものもありました。
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2025年09月01日

「書くひとのための感情を表すことば 430」

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ながたみかこ 著
笠間書院 出版

 ひとの性格や感情をあらわすことば、なかでも和語 (大和言葉) や時代を感じる古風な表現を中心に構成されています。古い言い回しを自分のボキャブラリーに加えると、古い作品を読んだとき、より楽しめる気がします。

 同時に、そんな古風な表現のニュアンスを理解できるひとがこれからは減っていく気もしました。たとえば、『あぐらをかく』は、なんの努力もせずにその立場のうまみを吸っているさまをあらわしていますが、著者は、『最近は和室が減ってあぐらをかく人も減ってきているので、この語もそのうち死語になってしまうのかもしれません』と書いています。

 ほかにも、武張る (武士のように猛々しい様子を見せること)、腰巾着・根付衆 (いずれも、人に付き従って離れないさま)、昼行燈 (ぼんやりとしていて役に立たない人のこと) なども、武士、腰巾着、根付、行燈を見る機会が減るとともに、具体的なイメージがわかりづらくなるかもしれません。つくづく、ことばは生き物だと思います。

 もちろんこの本で、知らない用語、用法、語源などを学ぶこともできました。ほのぼのとした良さが伝わってきたのは、円居る (まどいる) ということばです。『人々が輪の形で座ることを「円居」といい、そこで楽しく団欒することを「円居る」』というそうです。パンデミックを経験したせいか、温かいことばだと感じました。

 また、いまほど便利な暮らしをしていなかったころの良さを感じたことばに、「可惜夜 (あたらよ)」や「かそけし」があります。「可惜夜」は、『明けてしまうのが惜しい、眺めのよい夜』という意味です。夜も煌々としている都市部で過ごしていると、夜らしい眺めに縁がありません。「かそけし」は、『目を凝らしてようやく分かるほどのわずかな光や、耳をすまさなければ聞こえないほどの小さな音。そういったかすかな状態』をいうようです。漢字だと「幽し」と書くようです。ひっそりとした奥深さが感じられます。

 そのほか、『張り子の虎』に、『見かけ倒しで中身が伴わない人』という意味があることは知っていましたが、『張り子の虎は首がゆらゆらと動くように作られているため、首を振る癖のある人やイエスマン』を指すこともあるとは知りませんでした。

 語源としておもしろかったのは、『あこぎ』です。『三重県の阿漕ヶ浦 (あこぎがうら) で密漁を重ねて捕えられ、簀巻きにされた漁師がいた』ことから生まれた表現だそうです。『笑壺に入る (えつぼにいる)』は、『笑い転げたり笑い興じたりなど、大きい喜びや笑いのようす』をあらわしていますが、ここから『ツボに入った』という現代の表現ができたようです。

 似た表現が集められているので、それぞれの差異に目を向けたり、言い換えを考える機会をもてたり、楽しみ方は、そのほかにもいろいろあります。わたしにとっては、盛りだくさんでお得感のある本でした。
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2025年08月31日

「密林の夢」

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アン パチェット (Ann Patchett) 著
芹澤 恵 訳
早川書房 出版

 原題は、「State of Wonder」です。タイトルどおり、さまざまな wonder が起こり、気持ちが揺さぶられる物語でした。自分に見えている世界は狭く、誰にとっても正しい答えなどないのだと思いました。たとえば、科学は、さまざまな事柄を明らかにしてくれますが、その科学をどう活用すべきかについては、万人にとっての正解はないようです。

 物語は、ヴォ―ゲル社の研究員アンダーズ・エックマン博士がアマゾン河の支流にある村で亡くなったと知らせる手紙が届くところから始まります。エックマンは、アニック・スウェンソン博士が現地で開発している新薬の進捗状況を確かめて報告する役目を担っていました。その後任をつとめるよう、同社のジム・フォックス CEO から指示され、またエックマンの最期の状況を知りたいと、妻カレン・エックマンから懇願され、主人公のマリーナ・シン博士は、ブラジルのマナウスに向かい、スウェンソンの居場所を突きとめようとしますが、思うようにいきません。物語の展開もそこで止まって膠着状態に陥ります。

 ただ、ストーリーに展開がなくても、この物語に惹きつけられてしまうのは、その描写です。特に、心情描写が巧みで、心動かされます。夫の遺体 (遺骨) がないため、カレンは無きに等しい望みを抱き、次のように語ります。
希望って、たちが悪いわ。希望を美しいものとかすばらしいものの部類に入れたのって、いったい誰かしらね。だって、美しくもすばらしくもないもの。希望は苦しみの種よ。釣針が口に引っ掛かった状態で歩きまわってるようなもの。自分以外の誰かの手で、その釣針を引っ張られるの。引っ張られれば歩かないわけにいかないじゃない? で、何歩か歩くと、また引っ張られる。
 師と尊敬する人物のことを絶賛するアラン・サターン博士に対し、その妻ナンシー・サターン博士は、次のように苦言を呈します。自らのパートナーが女たらしを人生の手本にしていることをどう思っているのか、手にとるようにわかります。
ある人の人生をばらばらにほぐして、自分の理想に当てはまらない構成要素は取り除き、理想どおりだと思えるものだけを寄せ集めて編みなおすなんて、おかしい。マーティン・ラップは偉大な科学者だった、ええ、それはわたしも認めるわ。誰に聞いても、本物のカリスマ性を備えた人物だったと言うから、きっとそうだったんでしょう。でも、それと同時に、ふたりの女に対して徹底的に不誠実だった。はっきり言って、わたしはそれが許せないの。あなたが、いずれこうなりたいと憧れてた相手が、死ぬまでずっと女たらしだったってことが、どうにも許せないの。
 マリーナがスウェンソンに会えたとき、スウェンソンはそれまでヴォ―ゲル社の人間を避け続けた理由を次のように語ります。スウェンソンの強烈な個性が伝わってきます。
企業はどこも同じです。科学を支援すると言いながら、その実、科学が必要とするものを真に理解しようという姿勢に欠けます。ラップ博士は人生のほぼ半分をこの地で過ごしました。植物学の分野であれほど画期的な仕事を成し遂げた人は、あとにも先にもラップ博士だけでしょう。それでも博士のなさったことは、広大な菌類の世界に手を伸ばし、たまたま手の届いたところの表面をちょっと引っ搔いただけなのです。科学の研究には膨大な時間が必要です。一生分の時間を費やしても足りないぐらいなのです。ならば、わたしが研究に人生を捧げれば、研究の資金提供者である企業も感謝するはずだと思っていませんか? それがそうでもないのです。ジム・フォックスのような人は、時間が必要だということを理解しようとしないからです。
 自らの好奇心に負けて憑りつかれ、続けてきた研究をあたかも企業のために膨大な時間を捧げたかのように語るスウェンソンが物語で重要な役割を担っているせいで、わたしのなかに疑念が生まれました。

 研究者が科学を究めるにしても、企業経営者が利益を追求するにしても、それは自らが支配者であるという傲慢な考えがなければ成り立たないのではないかと。なぜなら、マリーナからの連絡が途絶えたあとにフォックスがとった行動は、どこかスウェンソンに似ています。結局のところ、いろいろ理由をこじつけているものの、研究にしろ企業経営にしろ、真の理由は、そうしたいという衝動に抗えないだけなのかもしれません。

 そんなふたりを前にしたマリーナの困惑には、とても共感できましたし、彼女は、読者の代弁者でもあるのかもしれません。マリーナにとって、アマゾンの奥地に向かう旅は、過去や現実と向き合う機会になりました。わたしにとって、この物語は、自分を再認識する機会になりました。スウェンソンやフォックスのような極論を語る人物に近づくことのできない、なんとなく中庸に流される優柔不断なのかもしれないと。いろんなものを映しだしてくれる物語でした。
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2025年08月21日

「大正銀座ウソつき推理録 文豪探偵・兎田谷朔と架空の事件簿」

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芥生 夢子 (あざみ ゆめこ) 著
アルファポリス 出版

 わたしは、あまりライトノベルは読まないのですが、これは楽しめました。探偵小説お決まりの謎解きがここでは二段階になっていて、それがタイトルの『ウソつき推理録』につながっています。一度目の謎解きも、もっともらしく聞こえるのですが、そのあと、実はこうだったという打ち明け話が待っていて、一度目で謎がすべて明かされたわけではなかったと判明する仕組みです。

 今回はどんな裏話があるのかと、第二弾の謎解きを推理しながら読んだのですが、三話いずれとも意外な展開で、一気に読んでしまいました。

 収められているのは、次の短篇です。

- 恋文は詠み人知らず
- からたちの花とオオカミ少年
- ハートの施錠と狐憑きの乙女

 わたしが気に入ったのは、「からたちの花とオオカミ少年」です。ひと捜しの依頼だったはずが、思わぬ展開になり、巧妙に仕掛けられた罠が明かされます。周到に伏線が張られているだけでなく、ある場面の一部分だけが見せられ、種明かしになってはじめてその場面の全体を見せられるあたり、ドラマのカット割りのようにストーリーが流れます。

 ライトノベルらしさが、作品のよさにつながっていた気がします。
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