2021年02月26日

「16 歳からのはじめてのゲーム理論」

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鎌田 雄一郎 著
ダイヤモンド社 出版

 新聞でもよく見かけるようになった『ゲーム理論』とは、複数の主体が相互依存関係のもとで、いかなる行動をとるべきかを考察する理論で、その応用範囲は、ミクロ・マクロの経済、マーケティング、政治 (例:国際関係) など広範囲におよびます。

 数学者フォン・ノイマン (J. von Neumann) 氏と経済学者モルゲンシュテルン (O. Morgenstern) 氏の共著「ゲームの理論と経済行動」(1944年) がその出発点だと言われているだけあって、社会で見られる現象を数理的に解明し、最適化するにはどうすればいいのか、どのように均衡が保たれているのかといったことを数学モデル (計算式) を使って明らかにしてきた分野のようです。

 ただ、この本では、ゲーム理論をそういった難しい数学の問題と見るのではなく、どのようにものごとを見て考えるかを、日常のできごとを例に伝えています。

 たとえば、「なぜ人は、話し合うのか」という章では、新人歌手を発掘するふたりの人物が登場します。この敏腕コンビは、誰をデビューさせるか、いつも時間をかけて話し合って決め、その結果デビューした歌手は基本的に売れていました。それが、あるときを境にふたりは仲違いをし、話し合いをやめてしまいました。それでも、彼らの人選に関する意見は一致することがほとんどでした。しかし、そうして選ばれた人材はデビューしても売れなくなりました。

 話し合いは、ひとつの結論を導き出すため、つまり意見を一致させるために行なうことのように思いがちですが、このストーリーが伝えようとしているのは、たとえ意見が一致していてもさらに話し合うとふたりとも意見を変えうるということです。つまり、話し合いによって、成功には遠い意見の一致から、より成功に近い意見の一致に変わることがあることを知るべきだということです。

 これは、ジョン・ジーナコプロス氏とヘラクリス・ポレマルカキスによって 1982 年に発表された論文「We Can't Disagree Forever (訳:我々は永遠に見立てを違えるということはない)」がもとになっているそうです。著者は、人と人とがお互い何を考えているかを探り合うゲーム理論の醍醐味が詰まった論文だと評しています。この本に収められたストーリーのうち、複数の主体が協力関係にある事例として一番おもしろいと思えました。

 そのほか、複数の主体が非協力関係にあるストーリーもありました。老舗のケーキ店の近くに新しくお洒落なケーキ店がオープンし、老舗の店からお洒落な店へ偵察に行ったところ、ケーキが 340 円で売られていることがわかったという話です。老舗では 350 円で売られているので、10 円だけ安くしたわけです。

 こういう状況では価格競争が起こり、値段が材料費まで下がるという論文が 1883 年に発表されました。しかし、利益を失うような決断は現実的ではなく、その後も研究は続き、1971 年、ジェームズ・フリードマン氏が「A Non-Cooperative Equilibrium for Supergames (訳:スーパーゲームの非協力的均衡)」が発表されます。スーパーゲームというのは『長期的関係』を意味する専門用語です。

 競争するふたつの店は、非協力的な関係にあり、また長期的にかかわりうる関係にあります。つまり、お互い自分の利益のみを追求しても、現在の均衡を保ち価格競争に陥らないよう、お互いに協力するような関係が築かれる可能性があることを証明しています。こういった関係の数理的分析は『繰り返しゲーム』の理論と呼ばれているそうです。

 自分だけ、あるいは自社だけで完結することは、世の中にはそうありません。ゲーム理論が幅広く応用される理由がわかった気がします。
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2021年02月25日

「それから」

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夏目 漱石 著
朝日新聞社

 家の整理をしていたら、『それからノート』なるものが出てきました。1909 年 6 月から 10 月にかけて朝日新聞紙上で連載された、夏目漱石の「それから」は、2015 年に再連載されました。それら連載を切り抜いて貼ることができるノートです。

 ノートには、漱石が、大学で教える仕事を辞し、朝日新聞社に入社した経緯を綴った「入社の辞」が掲載されています。大学講師として得ていた年俸 800 円では、子供が多くて家賃が高い状況では暮らしがたたず、他校の仕事を掛け持ちして凌いでいたところに、『文芸に関する作物 (さくぶつ) を適宜の量に適宜の時に供給』する担当として朝日新聞から誘われ、新聞社では『米塩 (べいえん) の資に窮せぬ位の給料をくれる』いっぽう、教師として収入を得ることを禁じられたので、未練なく新聞社の仕事一本に絞ったようです。

『何か書かないと生きてゐる気がしない』という状況にあった漱石にとっても、彼の作品を楽しんだ人々にとっても、利のある転職だったように見受けられます。ただ、後世において、ずっと読み継がれる作品を書いた作家が、そこまで生活に窮していたのは驚きです。

 漱石の初期三部作「三四郎」(1909年)、「それから」(1909年)、「門」(1910年)の 2 番目にあたるこの作品の主人公は、長井代助という高等遊民です。中学時代からの友人平岡 (代助が思いを寄せる三千代の夫) に向かって、次のように語ります。
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僕の知ったものに、まるで音楽の解らないものがある。学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒も懸け持ちをやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読 (したよみ) をするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているより外に全く暇がない。たまの日曜などは骨休みとか号して一日ぐうぐう寐ている。だからどこに音楽会があろうと、どんな名人が外国から来ようと聞 (きき) に行く機会がない。つまり楽 (がく) という一種の美くしい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくちゃならない。僕からいわせると、これほど憐れな無経験はないと思う。麵麭 (パン) に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麵麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。
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 漱石の「入社の辞」を読んだあとに「それから」を読むと、ここで語られる学校の教師と漱石が重なります。

 代助は、三千代と結婚すると決めたがために、高等遊民という立場を捨てざるを得なくなり、結果的に『麵麭に関係した経験』を始めることになります。代助が自らのエゴイズムから自らのいう劣等なことに追い込まれる場面で、先のセリフに教師を登場させた漱石の思いを知りたくなりました。
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2021年02月24日

「NOT DOING, BUT BEING 「在宅訪問薬剤師」奮闘記」

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日本調剤株式会社 在宅訪問薬剤師ブログ書籍化プロジェクト 著
幻冬舎 出版

 この本は、もともとブログで紹介されていた、在宅訪問薬剤師の活動をまとめたものです。

 タイトルの Not Doing, But Being は、イギリスの医師で、緩和医療の礎を築いたデーム・シシリー・ソンダース (Dame Cicely Saunders) 氏のことばだそうです。ブログの内容を書籍化したプロジェクトの方々は、ソンダース氏のことばを次のように解釈されたそうです。
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苦しい治療がすべてではない――。患者さまの苦痛を和らげながら、言葉と心に耳を傾け、そっと寄り添う。人生の大切な時を、その人らしく生きてもらうために、私たちはそこにいるのだから。
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 病院で緩和ケアを勧められたときの心の動揺は大きいものです。いまここで終わるわけでもなく、治ったあとのことを考えられるわけでもなく、残りの時間をどう乗り切ればいいのか、わからないのが普通だと思います。そんなときに、こんな考えを持った方の存在を知れば安らぎを覚えるでしょうし、そばにいてもらえれば救われるのではないでしょうか。

 この本に収められているストーリーは全部で 12 あり、自宅で緩和ケアを受けている患者のもとを訪れる薬剤師の話ばかりではありませんが、それぞれ色々な制約のもとで、ベストを尽くそうとされる薬剤師が登場します。

 認知症を患って規則正しく薬を服用できなくなった方、幼いながら重い病気と闘う子供など、それぞれ事情が異なります。そのそれぞれの違いに対し常に臨機応変に、メンタルケアの一面も担いながら、薬を届ける以上の活躍をされる薬剤師の方々の姿からは、ひたむきさが伝わってきました。
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2021年02月06日

「枕詞の暗号」

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藤村 由加 著
新潮社 出版

 ミステリーのようなタイトルですが、枕詞に『秘めたる暗喩』があるという推測のもと、どのような解釈が成り立つか検討されています。

 取りあげられている枕詞は、いかるがの、あまとぶや、あをによし、とぶとりの、とりがなく・あさひてる、あさもよし、あらたまの、たまだれの、やすみしし、ちはやぶる、あしびきの、たらちねの、あまかぞふ、たまかぎる、たまぼこの、たまづさ・たまゆら、たまきはる、たまだすき、うつせみの、あぢさはふ、さざなみの、ひさかたの、ぬばたまの、そらみつ、あきつしま、しきしまの、やくもたつ、などで、かなりの数になります。そのほか、枕詞には分類できないであろう修辞語もいくつかあります。

 枕詞は『習慣的に特定の語につづけて、主文に関係なく直接下の語を修飾する』(平凡社世界大百科事典) とされていますが、歌は形式上、字数制限が厳しく、たいして意味もないことばを入れたりしなかったはず……というのが著者の意見で、その点はとても説得力がありました。『古代中国や朝鮮のことばや思想、そのすべてに秀でた歌人の手によって凝縮されたことばのエッセンス』が枕詞だったと著者は考えています。

 現実的には、この本で披露されている解釈が正しいかどうかはわかりませんが、解釈を読み進めていくうちに、その時代に中国や朝鮮から取り入れた文化や価値観などに触れることができる点は、優れていると思います。

 著者は、あとがきで次のように語っています。
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枕詞は実に多彩な色合いを放っていることに改めて驚いた。朝鮮語音、字形分解、字源、漢語を和語にしたもの、陰陽五行、易の思想など、すべて漢字という器があったからこそ成し得たことだった。
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 たとえば、学校で習った『春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天香具山 (春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山)』。なぜ、あめのカグヤマと香具山を天でわざわざ修飾しているのかは、説話の影響だと著者は考えています。天にあった山が地上に降りるときに分かれ、ひとつが倭 (大和) の香具山に、もうひとつが伊与 (今の松山) の天山になったという物語がもとになっていると言うのです。

 しかも著者は、このなかに五行説が盛り込まれていると解釈しています。まず、『香具山』は大和から見て東にあり、東は五行で『木』にあたります。季節の移り変わりを意味する『夏来たるらし』は、『木→火』への移行を指し、『白』が『金』をあらわすと推測しています。後半の『衣乾有天之香具山』のうち『乾』のひと文字が北を意味することから、五行の『水』(北の位置)にあたり、『天』で東の香具山に戻ると考えているわけです。

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 信憑性はともかく、知的な連想ゲームに思えました。
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2021年02月05日

「オビー」

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キム・ヘジン 著
カン・バンファ/ユン・ブンミ 訳
書肆侃侃房 出版

 以下の 9 篇が収められています。

−オビー
−アウトフォーカス
−真夜中の山道
−チキン・ラン
−カンフー・ファイティング
−広場近く
−なわとび
−ドア・オブ・ワワ
−シャボン玉吹き

 著者プロフィールによると、このなかの「チキン・ラン」が 2012 年に東亜日報の新春文芸に選ばれたことをきっかけにデビューした作家で、「オビー」が 2016 年に『今年の問題小説』に選ばれたそうです。

 周囲から肯定的な評価を得ることが少ないであろう人たちが数多く登場する短篇集です。「チキン・ラン」では、チキンのデリバリーをする男性と自殺しようとする男性のあいだで、悲壮感があるものの同時に滑稽にも聞こえるやりとりが繰り広げられます。

 「オビー」では、人との関わりが苦手なオビーが、Amazon の配送センターのような場所で非正規労働者として働き始め、陰日向なく勤めたにもかかわらず、職場で居場所を失っていくさまが描かれています。

 社会に必要とされてはいても低賃金で働く人々の暮らしは韓国も日本も似たような状況にあるように見えるいっぽう、まったく理解できない作品もありました。

「広場近く」は、見ず知らずの男から 6 歳の子供を預かった男の話です。そんな幼い子を他人に預けて仕事に行く無茶な設定が韓国ではリアリティをもって受け入れられるのかと驚きました。

「真夜中の山道」にいたっては、訳者あとがきの状況説明を読まなければ、どういった場面か理解できませんでした。説明によると、再開発が進む地域の強制撤去部隊として雇われた男たちと、籠城闘争を決起した人たちの側にアルバイトの市民運動家として参加する女が戦っているそうです。対価と交換に暴力をふるっている人々だということはわかりましたが、市民運動を生活の糧にして暴力をふるうといったことが、本当に世の中に起こっていると受けとめていいのか迷いました。

 韓国という国を垣間見ることができる短篇集でした。
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2021年02月04日

「嫌いなことから、人は学ぶ」

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養老 孟司 著
新潮社 出版

 嫌いなことからは遠ざかりたいと常に考えてきたので、嫌いなことからも何か吸収できるものなら、そうなりたいと思って、この本を手にしました。

 しかし、嫌いなことから学ぶことをテーマにした本ではありませんでした。「考える人」2005 年春号から 2008 年冬号までに掲載された内容がもとになっていて、テーマは多岐にわたっています。巻末の内田樹氏との対談のみ、この本のために追加されたそうです。そのため、「まともバカ―目は脳の出店」を読んだときと同じように重複による煩わしさを多少感じました。

 イメージしていたのとは少し違う内容でしたが、確かにそうだと納得して学べたことが数多くありました。それと同じくらいわからないこともありましたが、わからなかったことをどう受け止めればいいかは、内田氏が対談で語っていた内容が印象に残りました。

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『わからない』というのは、『わからないので今すぐ教えてください』という話ではなく、『この辺がわからないけど、気長に片付けよう。まだ自分には修業が足りないので』という『わからなさ』だからいいんです。『わからないから教えてください』というのは横着なんですよ。読んでわからないのは、わかるだけのレベルに達していないということなんだから、『ああ、わからない、わからない』と思いながら、『デスクトップ』に置いておけばいいんです。デスクトップに置いてあると、いつも気になっていて、何年かたって開くとささっと読めた、ということになる。だから、たくさんわからないところがある本はよい本だとぼくは思っているんです。そこから始めればいいんだから。
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『わからない』から読まないでもなく、『わからない』から訊くでもなく、『わからない』から修行を始めるという考え方には、はっとさせられました。逆に、読んでわかったことというのは、わかるための修行が終わっている状態で、ただ理解できていることの存在に気づかされただけなのかもしれません。

 養老氏が語っていたなかで、腑に落ちたのは、世界の見方は、言語の性質に影響を受けているという考えです。

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階層性の感覚は、日本人には乏しいといわれる。それは文章に関係代名詞が欠けているからだ、と。関係代名詞があると、単一の文章のなかに、主と副という「階層」が発生する。西欧語では、こうした階層が日常的なのである。しかも階層は一段階あればいいので、あとはそれこそ『同じこと』を積み重ねていけば済む。もう一つ、すでに古く論じたことだが、西欧風の還元主義はアルファベットと関係している。私はそう思う。英語であれば、26 文字と空白、コンマ、ピリオドで世界を描くことができる。それなら世界のあらゆる物質を、百の原子の集まりとして記述することに、抵抗感がなくて当然である。こうして世界の見方は、当たり前だが、言語の性質に大きく依存する。言語は意識の機能で、それなら科学を論じるよりは、そちらを論じるほうが先ではないか。というふうに話はどうしても意識の一般的性質に戻る。しかも世界のあらゆる言語は、意識の性質をよく反映しているはずである。それなら同一性、差異、階層性、こうしたすべては意識が基本的に持っている性質に違いない。意識のそうした基本的性質を吟味することが、本来の哲学の役割であろう。これを意識の博物学といっていいだろうと私は思う。ところが意識の博物学が意外にかけていたのである。私が教育を受けた時代に、すでに博物学は時代遅れの学問だったからである。意識にはどれだけの種類があるか。それすらよくわかっていない。
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 IT 業界の仕事を長くしていると、文字の数がさまざまなことに大きく影響してきたことを実感します。しかし、還元主義とも関係していたとは思いもしませんでした。世界の見方、特に還元主義と言語の性質の関連性は、興味深いテーマでした。

 ただ、『意識の種類』には、具体的にどういった例があるのか、ピンときませんでした。これから修行したいと思います。
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2021年02月03日

「天空の蜂」

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東野 圭吾 著
講談社 出版

 東野圭吾ファンの父から譲り受けた本なので、いつ頃出版されたのか知らずに読み始めました、原子力発電所の安全性に対する『本音と建て前』が見え隠れする設定なので、福島第一原子力発電所の問題を機に書かれた作品かと思ったのですが、1998 年が初版でした。2015 年 7 月で 68 刷となっているので、東日本大震災以降も、たびたび増刷されたのかもしれません。

 わたしを含め、日本人の多くが原子力発電所の見せかけだけの安全神話に疑いの目を向けることもせず、ずっと過ごしてきたことを指摘されたように感じました。

 タイトルの「天空の蜂」とは、防衛庁が発注した、大型の新型ヘリコプターを指しています。そのヘリコプターがメーカーから防衛庁に引き渡される日、犯人は、それを盗み、自分たちの要求をのまなければ、ヘリコプターを高速増殖炉原型炉に墜落させると脅迫する事件を起こします。

 政府も、高速増殖炉関係者も、何が起ころうと放射能漏れは起こらないという建て前を崩さず、そのいっぽうで何が起こるかは予想がつかず、犯人を見つけるため、ヘリコプターの墜落を阻止するため、最大限の人員を動員します。

 しかし、その犯人は、読者に対して早々に明かされます。この作品は、フーダニットではなくホワイダニットなのです。最後に動機が明かされたとき、その動機や犯人像によって読後感が変わるかと思いますが、今回明白に動機が明かされるのは半分だけです。ふたりいる犯人の片方の視点でのみ語られ、もう片方については政府が動機を把握しているものの、その隠蔽体質により語られることはありません。

 政府の隠蔽体質は、リアリティある設定ですが、謎解きとしては半分が残り、読後感はすっきりしません。ただ、この小説は、謎解きを楽しませるより、わたしたち普通の人が、原子力発電所のように自分たち自身のために存在するものにもっと意識を向けさせるために書かれたように感じました。
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2021年01月23日

「PK」

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伊坂 幸太郎 著
講談社 出版

 伊坂幸太郎といえば、ある短篇で張られた伏線が別の短篇で回収されるといったパターンや、ある短篇で脇役で登場した人物が別の短篇でクローズアップされるといったパターンの短篇連作を得意とするイメージを思っています。たとえば「ラッシュライフ」を読んだあとは、その緻密な伏線に驚きました。

 この短篇集を読み終えたとき、つまらなかったとか面白かったとか、何かしら感想が浮かぶ前に、小説の世界についていけていたのか自問してしまいました。何が伏線だったのか、あるいは何が事実だったのか、一見相容れないように思われる事柄は本当につながっていたのか、いろいろなことに確信がもてませんでした。

 短篇は、全部で 3 つです。

−PK
−超人
−密使

 あるできごとが「PK」でも「超人」でも語られているのですが、細部が異なり、本当に同じできごとなのか確信がもてずにいると、最後の短篇「密使」でいきなり、タイムトラベルが可能な舞台設定が明かされ、さらに他人の時間を盗むことができる『時間スリ』という行為も存在する、つまり一連の作品がサイエンスフィクションだったと判明します。

 その時点で、密使が「PK」と「超人」の世界で何かを変えた、あるいは変えようとしているのではないかと思ったものの、漠然としか理解できませんでした。短篇同士がどういう関係にあるのか、巻末の解説を頼りに理解しようとしても、解説者も正解は持ちあわせていないようでした。

 読む側に委ねられる部分が多い作品で、それを楽しめる方々に向いているように思います。
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2021年01月22日

「代償」

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伊岡 瞬 著
角川書店 出版

 インタビューを受けた作者が『全く人を顧みない、全く反省しない根っからの悪を書いてみたいと思い書き始めた』と語った作品です。

 作者の言う『根っからの悪』を象徴する登場人物、達也は、小学生のころから、表の顔と裏の顔を使い分け、人をいたぶり弄ぶことが心底好きで、良心などとは無縁です。そんな達也の標的にされた者のひとり、圭輔は、達也の遠縁にあたり、達也に翻弄され大きく運命を狂わされます。

 ある日、圭輔の両親は達也の罠に落ち命を落とします。残された圭輔の後見人に名乗りをあげたのは達也の義母である道子で、圭輔は、達也と道子と暮らし、辛い子供時代を過ごします。

 のちに圭輔は、あることをきっかけに悪行三昧の『代償』を達也に払わせられないかと考えるようになります。

 達也のように、深く事情を知らない善意の第三者を味方につけながら、自分が有利な立場になるよう、思うままに人を操りものごとを運ぶことに長けている狡猾な人を知っているだけに、圭輔に深く共感しながら読んでしまいました。同時に、達也が代償を払う羽目になるという結末はわかっていても、どのようにそこへ追いつめられるのかが気になりました。

 シンプルすぎるくらいシンプルな善と悪の対立を描いた、いわゆるページターナーです。悪が負けるところを疑似体験できたという意味では、一種の爽快感を楽しめました。
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2021年01月10日

「The Testament」

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ジョン・グリシャム (John Grisham) 著
Dell 出版

 ジョン・グリシャムといえば、リーガル・サスペンスです。本作品では、30 人近い弁護士が登場しますが、要となる役割を担うのは、アルコール依存症から立ち直ろうとリハビリ施設で暮らす Nate O'Riley です。

 Nate が施設を出て、アルコール依存症から立ち直り、離婚した妻たちや別れて暮らす息子たち・娘たちとの関係を再構築しようと決め、新たなキャリアを手に入れるまでの再生物語が小説のひとつの軸となっています。もうひとつの軸は、タイトルにある The Testament (遺言) に関係する、両極端な生活を送る人々の群像劇です。

 遺言を残した Troy Phelan が有する財産は約 110 億ドルと桁外れな金額です。彼が 3 度結婚してもうけた 6 人の子どもたちが、その財産を当てにして真面目に働いたり学業に励んだりすることなく自堕落な生活を送っていたところ、Troy は、認知すらしなかった Rachel Lane に自らの財産を託し自死してしまいます。

 法定相続人である 6 人は、それまで Rachel の存在さえ知らず、思いもしなかった遺言の内容に腹を立てて遺言が無効だと申し立てるべく、金に群がる弁護士たちを総勢 22 人雇います。弁護士たちは、醜い駆け引きと策略の数々を繰り広げ、そのさまは、読んでいて驚くやら呆れるやらで、真実や正義などということばが吹っ飛ぶような展開ですが、リアリティに満ち満ちています。

 そのいっぽう Rachel は、ブラジルとボリビアの国境付近でキリスト教の布教に努めながらつましく暮らし、金銭とは無縁に生きています。大金を得る正当な権利を有するものの大金には何の興味も示さない Rachel と米国にいる法定相続人たちのギャップがあまりにも大きく、読んでいて、法定相続人の勝利は見たくないものの、Rachel が大金を受けとるとも思えず、結末が気になって一気に読み進めてしまいます。

 結末は思いもしなかったものですが、それまで描かれてきたそれぞれの人物像を裏切るものではなく、ハッピーエンドではなかったものの、不正がまかり通ったわけでもなく、世の中がこんな感じなら希望がもてると思いながら読み終えることができました。
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