濱野 ちひろ 著
講談社 出版
著者は、自らの初恋の相手はブラック・ジャックだったと冒頭で述べています。有名な手塚治虫作品の主人公に恋した経験のある著者は、 2016 年から人間と人間ではないものたちの恋愛事情を調査しています。この本では、等身大人形と人間の性愛を中心に考察がなされています。
著者は、人間性愛規範、つまり『人間は普通、自然に他の人間と恋愛関係や性的関係に至るという信念』から距離を取り、もっと広い視野で恋愛やセックスを見渡してみたいと書いています。これを読んで、わたしは、この人間性愛規範に囚われてきたひとりだと気づきました。
ラブドールと暮らし、自らをラブドールの夫と名乗る男性を皮切りに、さまざまなタイプの方々が調査対象として登場します。わたしにとって、夫 (配偶者) やパートナーという存在は、別々に家庭に築いている兄弟姉妹よりも近しく、たとえば事故に遭ったときなど真っ先に連絡を受ける人、あるいは法定相続人になる人、そういったイメージで考えていたので、ラブドールのパートナーや夫だと自認する人がいるとは想像したことがありませんでした。
著者も、『パートナーとは、いったいどんな存在なのだろうか。等身大人形に恋し、ともに暮らす人々への調査を始めて以来、私はこの根本的かつ難しい問題に悩まされ続けている』と、書いています。等身大人形と暮らしている人たちそれぞれの価値観を読むと、わたしも迷路に入り込んだような感覚を覚えました。
ある人は、妻の裏切りを機に離婚を経験しました。彼にとって、ラブドールは、裏切ることも、嘘をつくことも、突然どこかに行ったりすることもないパートナーなのです。なかには、ラブドールのパーソナリティを構築する人も登場します。生年月日や家族構成だけでなく、『性格設定、詳細な背景、数々のエピソード』などをつくりあげるのです。
そこまでの関心を寄せるのであれば、それはもう愛かもしれません。著者のなかでは、愛がなにかという問いに対する答えが芽生え始めているそうです。『愛するとは、自分ではない存在と共在すること。そして、その存在の様子を日々、くまなく観察すること。観察を続けることによって、私たちはその相手を知ることができる』と、著者は書いています。この定義だと、人形を愛することはできそうですが、人形と愛し合うことはできそうにありません。
さらに、著者は、ラブドールの夫が与えたパーソナリティをもつラブドールは本当に夫にとって他者か、つまり夫は他者としてラブドールを愛しているのか、あるいはパーソナリティを与えた夫とラブドールはほぼ同一の存在で、ラブドールへの愛を自己愛と見ることもできると書いています。
人間性愛規範から距離を取ると、さまざまな定義が揺らぎます。同時に、わたしたちは理解できていないことを理解した気になっていただけかもしれないと、わたしには思えました。

