2026年09月06日

「無機的な恋人たち」

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濱野 ちひろ 著
講談社 出版

 著者は、自らの初恋の相手はブラック・ジャックだったと冒頭で述べています。有名な手塚治虫作品の主人公に恋した経験のある著者は、 2016 年から人間と人間ではないものたちの恋愛事情を調査しています。この本では、等身大人形と人間の性愛を中心に考察がなされています。

 著者は、人間性愛規範、つまり『人間は普通、自然に他の人間と恋愛関係や性的関係に至るという信念』から距離を取り、もっと広い視野で恋愛やセックスを見渡してみたいと書いています。これを読んで、わたしは、この人間性愛規範に囚われてきたひとりだと気づきました。

 ラブドールと暮らし、自らをラブドールの夫と名乗る男性を皮切りに、さまざまなタイプの方々が調査対象として登場します。わたしにとって、夫 (配偶者) やパートナーという存在は、別々に家庭に築いている兄弟姉妹よりも近しく、たとえば事故に遭ったときなど真っ先に連絡を受ける人、あるいは法定相続人になる人、そういったイメージで考えていたので、ラブドールのパートナーや夫だと自認する人がいるとは想像したことがありませんでした。

 著者も、『パートナーとは、いったいどんな存在なのだろうか。等身大人形に恋し、ともに暮らす人々への調査を始めて以来、私はこの根本的かつ難しい問題に悩まされ続けている』と、書いています。等身大人形と暮らしている人たちそれぞれの価値観を読むと、わたしも迷路に入り込んだような感覚を覚えました。

 ある人は、妻の裏切りを機に離婚を経験しました。彼にとって、ラブドールは、裏切ることも、嘘をつくことも、突然どこかに行ったりすることもないパートナーなのです。なかには、ラブドールのパーソナリティを構築する人も登場します。生年月日や家族構成だけでなく、『性格設定、詳細な背景、数々のエピソード』などをつくりあげるのです。

 そこまでの関心を寄せるのであれば、それはもう愛かもしれません。著者のなかでは、愛がなにかという問いに対する答えが芽生え始めているそうです。『愛するとは、自分ではない存在と共在すること。そして、その存在の様子を日々、くまなく観察すること。観察を続けることによって、私たちはその相手を知ることができる』と、著者は書いています。この定義だと、人形を愛することはできそうですが、人形と愛し合うことはできそうにありません。

 さらに、著者は、ラブドールの夫が与えたパーソナリティをもつラブドールは本当に夫にとって他者か、つまり夫は他者としてラブドールを愛しているのか、あるいはパーソナリティを与えた夫とラブドールはほぼ同一の存在で、ラブドールへの愛を自己愛と見ることもできると書いています。

 人間性愛規範から距離を取ると、さまざまな定義が揺らぎます。同時に、わたしたちは理解できていないことを理解した気になっていただけかもしれないと、わたしには思えました。
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2026年09月05日

「金融化する世界 資本主義の構造変化と現代企業行動の本質」

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小倉 将志郎 著
日経 BP/日本経済新聞出版 出版

 タイトルにある『金融化』を著者は、『資本主義の下で、広義の金融が、経済・社会に対して直接・間接に有する影響・役割が、徐々に高まっていくプロセス』だと説明しています。ただ、タイトルの『世界』に、日本は含まれていません。おもに米国を指しているようです。

 著者は、いかに広範囲にわたって金融化が進んでいるかを表にまとめています。政府の金融化については、これまで考えたことはありませんでしたが、金融工学の発展など、金融の深化では目を瞠る変化がありましたし、企業の金融化についても実感があります。

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 たとえば、FRB 統計をもとに著者が作成した以下のグラフを見れば、米国の金融部門の伸びは、一目瞭然です。日本語でいうリーマンショックの前後を除いて、税引前純利益は右肩あがりで伸びています。全産業に占める割合は、ピーク時には 30% を超えていました。

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 著者は、企業が『利潤追求において、財・サービスの生産というコストと時間のかかるプロセスをスキップし、広義の金融的経路を通じて、金融市場の原理に突き動かされて、利潤追求を行おう』としてきたと指摘しています。たとえば、製造業が製造ラインの建設などに投資して収益を拡大するのではなく、金融部門を通じて収益をあげる方向に進んできたということでしょう。ほんの一例ですが、リーマンショック前の 2006 年時点で、主要企業の総収益に占める金融部門の貢献度は、GE で 33.3%、フォードでは 10.5%、GM で 16.5% だったそうです。

 しかし、これだけ金融化が進んだ背景には、以下のように権力の中心に大手金融機関が鎮座していられるよう、結果的に政府が協力したことが影響していると見られます。たとえば、TBTF 政策 (経済への影響が大きすぎる企業の破綻を政府が防ぐ政策) のおかげで、大手金融機関は、税金の投入を想定し、高リスクの商品を扱ってきたのではないかという憶測が飛び交ったこともありました。

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 この本の最後には、この金融化の流れが縮小することはなく、ある程度制御されて金融化が進むか、極端に金融化が進むか、どちらかだろうと、著者の考えがまとめられています。そんな流れのなか、日本が得られる利益は、相対的に減少していくことになるのでしょう。そのいっぽうで、米国と同様に、リーマンショックのような金融危機の影響を受けることは経験済みです。辛い現実を突きつけられた気分です。
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2026年08月07日

「彼の左手は蛇」

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中村 文則 著
河出書房新社 出版

「掏摸 (スリ)」という作品で『ウォール・ストリート・ジャーナル』の年間ベスト 10 小説に選ばれた作家が自ら『僕らしい』作品だと評しているのが、この「彼の左手は蛇」です。

 自身の左手は蛇だと思っている男が殺人を計画し、人生が台無しになって終わる前に書いておこうと残した手記と、犯行の後日談で構成されている作品です。論理的だと感じられるくだりもありますが、妄想も多分に含まれているだろう手記からは、彼の追いつめられようが伝わってきます。

 ひとは、理不尽な目に遭って追いつめられると、こうなってもおかしくないと、妙なリアリティが感じられました。ただ、そういう状況に陥ったひとは、視野が狭くなっていて、これしか方法がないと思いこんでいるだけかもしれないと、小説の外から冷めた目で見てしまい、架空の世界にどっぷりと浸かって疑似的な体験をするといった感覚にはなれませんでした。

 手記には、そのとおりだと思える部分も随所に見られるのですが、それを言い出したら人生は辛すぎると思うようなこともありました。あとがきで著者は、『この本が、何かの困難を抱えた人達の御守りにーーもちろんそういった人達が望めばですけれどもーーなってくれたらと、作者としては勝手に願っている』と書いています。

 わたしとしては、小説の最後に書かれてある、『抑圧者が現れ、抵抗が無理なら逃げろ』の部分以外、あまり共感できませんでした。逃げるというシンプルな答えに辿りつくまで、妄想を膨らませ続けた男の手記は、残念ながらわたしには響きませんでした。でも、最後まで読んで、犯行後の男を見ることができてよかったです。
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2026年08月05日

「ファイナル・スコア」

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ドン・ウィンズロウ (Don Winslow) 著
田口 俊樹 訳
河出書房新社 出版

 以下が収められています。

- ファイナル・スコア
- サンデー・リスト
- 北棟 (ノース・ウイング)
- ほんとの話 (トウルー・ストーリー)
- ランチブレイク
- 衝突

 この作家の短編集を読んで一層、どんな作品でもこなしてしまう作家なのだと思いました。それは、序文にも書かれてありました。『小説の舞台をどこに設定しようと、どんな人物を登場させようと、ドンの文体はそこにぴたりとはまる。場所がどこであれ、ドンはスラングを知っていて、隠語を知っていて、その町のリズムを知っている。だからこそ登場人物の話すことばにも行動にも、その人物の "らしさ" が宿るのだ』。この "らしさ" は、リアリティということもできます。

 わたしが一番好きなのは、「サンデー・リスト」です。小さな港町に暮らすティーンエージャー、ニック・マッケナは、魚の加工工場で働く、あるいはヴェトナム戦争に行くという将来の選択肢に大学に行くという選択肢を加えようと、ろくに働かない両親に代って子どもの頃から勤勉に働き続けてきました。その夢がいざ叶うときになって、とんでもないことが起こります。そして、そこに至るまでに丁寧に描かれてきた彼の日常、日曜日の町の風景がきれいに結びつき、約 50 年後の姿へとつながっていきます。それは見事としか言いようがなく、読後感は最高に爽快です。

「北棟」や「衝突」は、リアリティがあるだけに、怖くなってしまう作品です。わたしのような平凡な人間は、あっち側の世界とこっち側の世界のあいだに大きな隔たりがあると信じて暮らしています。でも、これらを読んだあとは、あっち側とこっち側の境界が実は、あってないようなものかもしれないと不安に陥ります。仲のいい親戚を見捨てられない、理不尽な扱いに腹を立てるなど、だれにでもあるちょっとした弱さが恐ろしい世界へと誘います。

 そのいっぽうで、「ファイナル・スコア」、「サンデー・リスト」、「ランチブレイク」は、世の中は、悪い人ばかりでもないと幸せな気分に浸ることができます。「ほんとの話」は、たわいのない会話が堂々巡りしていると思っていたら、実は怖い話だったという落ちが待っています。

 これだけ幅広い作品が一冊にまとまっているので、この作家を知るには最適な本です。この作家の作品のなかでは、わたしは、ニール・ケアリーを主人公とするシリーズが好きで、お勧め作品を訊かれたときいは、「ストリート・キッズ」を推してきましたが、好みの作家か試してみるには、この本もいいと思います。

2026年07月13日

「エージェントは二度推理する」

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ハーラン・コーベン (Harlan Coben) 著
田口 俊樹 訳
小学館 出版

 1995 年から始まったシリーズ作品の最新作です。巻末の解説によると、『看板シリーズの最新作だ。本国では 2024 年に刊行され』ていますが、『邦訳は第 7 作の「ウイニング・ラン」 (2000 年) で止まっており、間の 4 作が抜けている』そうです。わたしは、1990 年代はあまりミステリーを読んでいなかったので、シリーズ作品だと知らずに読み始めましたが、主人公の過去が適宜紹介されているので、支障なく読み進められました。それでも、主人公のマイロン・ポライターとその相棒ウィンザー (ウィン) ・ホーン・ロックウッド三世が若かったころ、ふたりを FBI の仕事に引きいれた PT という人物が登場したときは、その事件を知りたくなりました。

 さらに、タイトルにある『二度推理する』場面が思った以上におもしろくて、このシリーズをもう少し読んでみたいという気になりました。ただ、1995 年だと、AI どころか、スマホもなかった時代なので、いろんな場面がもどかしく感じられるかもしれず、迷います。

 フーダニット作品でもある本作には、犯人を追うマイロンと彼を手助けするウィンとは別の立場で語る短い章が複数回挿入されています。おもに犯罪を犯す場面で、犯罪の手口を知ることができるだけでなく、主人公よりも先に犯人の心理をある程度見られる構成になっています。不思議だったのは、その人称が二人称になっていた点です。最後の最後の謎解きでその理由が、それまでの人物描写と相まって腑に落ちました。

 作品構成や犯人像が巧妙に作りあげられていて、小さな違和感、たとえば、FBI に寄せられた匿名の情報の目的はなにか、二度名前のあがる関係者がひとりだけだけいるのはなぜか、犯人側の視点で『前回、綿密な計画をたてたのにミスを犯した』と語られたミスとはなにか、といったことがすべて明かされる最後を読んだとき、多くの点が漏れなくつながった感覚を味わえました。

 登場人物のキャラクター造形も巧みで、主人公と重層的に対立する関係性のなか、犯人が選んだ最後の選択にも納得できました。ただ、シリーズを第 1 作から読んでいたら、違った印象をもったかもしれません。シリーズを通して登場してきた人物の最新を知ったうえで、過去作を読んでみるのもおもしろいかもしれません。
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2026年07月12日

「歩く マジで人生が変わる習慣」

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池田 光史 著
NewsPicks パブリッシング 出版

 さまざまな角度から歩くことを考察した本です。健康に与える影響に注目して歩くという運動を取りあげた本とは一味違いました。まず、歩くことによって創造性が高まるといった研究結果が紹介されています。坐っている状態と歩いている状態を比較した場合、数学のように正解を求める問題に向き合うには前者が良く、アイデアを捻りだすには後者が良いという結果が出ています。被験者数が 176 人と比較的多く、実施したのが米スタンフォード大学なので、相応の説得力のある実験だと思います。

 そのほか、日常的に歩くことを可能にする都市開発や歩きやすい街ランキングも紹介されています。米保険会社 Compare the Market が 2024 年に発表した『世界で最も歩きやすい都市ランキング』は、ドイツのミュンヘン、イタリアのミラノ、ポーランドのワルシャワ、フィンランドのヘルシンキ、フランスのパリに続き、東京が 6 位に入っています。7 位以降は、スペインのマドリード、ノルウェーのオスロ、デンマークのコペンハーゲン、オランダのアムステルダムとなっています。東京はトップスリーに充分入ると思っていたので、意外でした。

 著者紹介にある経済ジャーナリストという肩書にふさわしいと思ったのは、『歩きやすい都市の賃貸価格は、オフィスや分譲住宅において、実に 35〜45% のプレミアムが付いているという』 (2019年の World Economic Forum のレポート) 内容や、現在 15 億台を超える自動車が存在していますが、稼働率は 5% に過ぎず、もしロボタクシーが普及して個人所有の車が減少すれば、駐車場を歩きやすい公園に転換できるといった、イーロン・マスクが描く未来図です。

 歩くときに欠かせないウォーキングシューズの章は、某シューズメーカーのマーケティングかと思う部分もありましたが、全体的に広く浅く、歩くことが考察されています。COVID-19 の大流行以降、運動量が減ったという自覚もあり、歩くために、もっと時間を割いてもいいと思えた一冊でした。
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2026年07月11日

「人間標本」

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湊 かなえ 著
KADOKAWA 出版

『イヤミスの女王』と呼ばれる作家の作品は、ひとつ読めば充分と思っていたのですが、おもしろいと勧められ、また読んでしまいました。そしてまた、嫌な気分に浸る羽目になりました。嫌な気分の一番の理由は、主だった登場人物がみな自らの欲求を満たすために家族や知人を利用していることです。そして、容赦なく第三者を利用しても、誰も自らの欲求を満たすことなく、物語が終わってしまうことも、後味を悪くしているのだと思います。

 さらに、真犯人に辿りつくまでのトラップの多さにも気分が滅入りました。意外な結末が用意されているとわかっていたので、犯人だと最初に名乗りでた人物が犯人だとは思っていませんでした。ただ、その次に真犯人に見えた人物も、その次の人物も、真犯人ではないと判明した時点で、底なし沼に嵌ってしまった気分を味わい、それも嫌な気分になった理由のひとつかもしれません。真犯人が簡単にわからないようになっているのは、登場人物が周囲の誰かを利用しようと画策することに関係していて、周囲を欺くひとたちの多さが、真実を覆い隠しているかたちになっています。

 殺すのは誰でもよかった、ひとを殺して死刑になりたかったと自白する通り魔は、ドラマの筋書きなどでよく登場します。そういう状況でわたしは、死にたいのなら、ひとりで自殺すればよかったに……と、考えてしまいます。身勝手な振る舞いを目にして嫌な気分になります。たとえるなら、そんな気分を味わうことになった作品でした。誰もが多少はもっている、自己顕示欲や承認欲求を満たしたいという利己的な面ばかりに目がいくよう作品が構成されているような気がしてなりません。
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2026年07月10日

「大奥づとめ よろずおつとめ申し候」

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永井 紗耶子 著
新潮社 出版

 以前、『奥奉公出世双六』という双六を見たことがあります。大奥のさまざまな仕事が並び、一番上の段に『上がり』があります。上様のお手がついて男子を産んだ『御部屋様』と実務方のトップ『老女』です。この本では、大奥の実務を担う女たちの出世に対する思いや大奥に出入りする女たちの町なかでの暮らしを中心に物語が展開します。

 大奥と出世というのはあまり結びつかなかったのですが、『男は家格よりも上に上ることはできない。されど、女は大奥では、才覚一つで上ることができる』と書かれてあるのを見て、お仕事小説として大奥はうってつけなのだと納得できました。また、大奥に出入りする、商家の女将や師匠といった女たちが登場することにより、大奥の特殊な世界がより一層鮮やかに浮かびあがっています。

 短篇連作になっている本作には、次が収められています。

- ひのえうまの女
- いろなぐさの女
- くれなゐの女
- つはものの女
- ちょぼくれの女
- ねこめでる女

 どれも大奥が舞台のわりには、足を引っ張りあうような場面はでてきません。出世を目指す女たちが揃っていても、正々堂々としているだけでなく、メンターのような役割を買って出る女も次から次へと登場します。

 わたしの場合、舞台が現代の小説なら、白々しく見える場面もなぜか、時代小説だと違和感なく受け入れることができ、それなりにリアリティを感じてしまいます。そのせいか、足掻いている新人を導くような先輩が大勢登場しても、すんなりと読めてしまいました。聞いたこともないような役職や役割が頻出し、想像したこともないようなしきたりが次々と紹介されると、それらの流れについていくのに精一杯で、ファンタジーの世界を受け入れてしまうのと同じ状態になるのかもしれません。

 たとえば、「ひのえうまの女」では、御三の間 (おさんのま) から御次への出世を狙っている女に対し、御祐筆の女が助言を与えます。自分に合った役、つまり自らが楽しめる仕事を目指してはどうかと、出世に躍起となっている新人にことばを掛けます。もし長いあいだ仕事をするのなら大切な視点だと、経験者ならだれでも頷ける助言を頼まれもせずに差し出し、祐筆の仕事に興味があるのなら、力になるとまで言います。現実社会ではあまり見かけないことですが、相手を思う助言が好ましく思えました。

 わたしが一番気に入った登場人物は、御末としては夕顔と呼ばれ、御三の間に出世してからはお正と呼ばれ、上様の御手付きになることを目指す女です。こういった生き方をできる女性になりたいと心底願わずにはいられない登場人物で、このキャラクターを作りあげただけでも、この作家が好きになりました。機会があれば、またこの作家の作品を読みたいと思います。
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2026年06月17日

「会話の 0.2 秒を言語学する」

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水野 太貴 著
新潮社 出版

 著者は言語学の専門家ではなく、出版社勤務の編集者だそうです。大学時代に言語学を専攻していたとはいえ、著者の知識のもとは、現在運営中の『ゆる言語学ラジオ』という、ゆるく楽しく言語の話をする配信番組にあるそうです。ちなみに、同チャンネルの YouTube 登録者数は 36 万人超と人気があるようです。その人気には納得できましたし、『編集力』というのは、もっと評価されていいスキルではないかと思いました。なにを取りあげ、どういった視点で語るかが、この本のおもしろさをつくっていると感じたからです。

 著者は、『言語学を学ぶと、「自分はこんなに複雑なことを自然と行なっていたのか」と驚くことしきりだ』と、書いています。その驚きがそのまま伝わってきて、人間、もっと細かい単位では、自分の能力を再認識できます。著者は、このプロセスを『自分と出会い直す』と、表現しています。

 タイトルにある 0.2 秒というのは、会話の最中、話者が交替 (ターンテイキング) する際にかかっている時間の平均です。そのあいだには、数多くのことが為されていることは想像に難くありません。直前の会話を把握し、自らが話す内容をまとめ、話しだすべきタイミングをはかるといったことです。著者は、その時間の短さに驚くと同時に興味をもち、いろいろ調べあげた結果を読者と共有するためにこの本を書いたそうです。

 普段なにげなく実践しているのに、ターンテイキングにかかる時間ががそんなに短いと知って、わたしも驚きました。さらに驚いたのは、世界的に見て、日本語話者の平均値は世界全体の平均値 0.2 秒 (200 ミリ秒) よりさらにぐっと短く、たった 7 ミリ秒だそうです。もっとも長いデンマーク語は 468 ミリ秒で、日本語の 67 倍だそうです。その短さの原因は、『日本語話者は相手の発話が終わるより前にかぶせて話し始める』ことにあるそうです。

 さらに、ほかのデータも紹介されています。わたしが印象に残ったのは、ビデオ通話時のターンテイキング平均値です。487 ミリ秒と対面時の倍以上もかかっていました。通信のタイムラグは約 30 〜 70 ミリ秒なので、明らかにテンポが落ちています。また、『聞き手の沈黙時間を話し手はどうとらえるか』も興味深い結果になっています。『基本的には会話の中で沈黙が 1 秒を超えると話者が違和感を覚え、それを解消しようとするそう』です。たとえば、『はい』や『いいえ』で答えられるような質問に対して答えがなかった場合、質問の仕方を変えたりします。

 そして、沈黙の時間と回答内容のあいだにある相関関係も紹介されていました。依頼などをする場合、『質問が終わってから 700 ミリ秒以上経ってから始まる応答は、だいたい肯定的ではない』そうです。不思議なのは、わたしたちがそんな時間の長さを理解していないにもかかわらず、どこかでわかっているように思える調査結果があることです。『依頼から応答までに何秒経過したら、「この人、気乗りしてないんだろうな」と』判断するかを調べたら、境目は 600 ミリ秒だったそうです。これを超えると、本音では依頼を「本当は聞き入れたくないのだろう」と判断する被験者が急増したそうです。

 わたしたちは、ことばでコミュニケーションをとっているつもりでも、実際のところ、沈黙もそれ以上に本音を語っているのかもしれません。この本では、そういうった沈黙を埋める『フィラー』、まあ、あのー、そのー、えーっと、といったことばにも触れています。何気なく口にしているフィラーですが、それぞれに使い方の差異があります。『あのー』と『えーと』では、使うべき場面が異なります。ただ、わたしはその違いを説明できませんでした。著者の説明に首肯できたので、正しく使えてはいるようですが、無意識に使い分けてきたようです。ちなみに正解は、『えーと』は『そもそも伝える内容を処理している段階』で使い、『あのー』は『その伝え方を考えている段階』で使うことです。

 わたしたちは、こういったターンテイキングを無意識に日々膨大な回数こなしています。著者は、そのことに驚き、その感動がこの本には詰まっていました。同じ内容の本を読むなら、この著者の視点を介して読んでみたいと思える内容でした。
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2026年06月16日

「うまい酒はどのようにできるのか」

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稲垣 栄洋 著
SBクリエイティブ 出版

 お酒の原料や製造工程に関する知識がなければ、楽しめる読み物です。著者が酒場でお酒を飲みながら語るウンチクに耳を傾けるかのように読めます。ただ、タイトルが少し紛らわしい気がします。おそらく、『酒』というものは『うまい』から、『うまい酒』なのでしょう。『うまい酒』と『まずい酒』では何がどう違うかといったことには踏みこんでいません。

 わたしが一番興味をもったのは、製造工程ではなく、イネ科やブドウ科など酒の原料になっている植物の知識です。植物学者である著者がド素人でもわかるように説明しています。目から鱗だと思ったのは、イネ科の突然変異が農耕生活の始まりだったということです。イネ科の種子はもともと、栄養豊富ではあるものの、ほかの植物と同じように、熟すと地面に落ちていました。それが突然変異で、熟しても落ちない株ができ、それを人間は大切に育て、農耕が始まったそうです。それまでは、家畜に栄養価の高いイネ科の植物を食べさせ、その家畜を食べていました。乾燥した草原でも育つイネ科の植物を食べられるようになったことは、人類の歴史上、ひとつの転換点になったに違いありません。

 突然変異はそれだけではありません。イネ科のイネは、ジャポニカ種とインディカ種に分けられますが、前者は後者の突然変異で生まれたと考えられているそうです。イネの原産地は中国南部で、そこから北上する過程で寒さに強いジャポニカ種が生まれたと言われています。日本で作られているのはおもにジャポニカ種で、日本酒の原料である酒米も含まれます。ただ、泡盛の原料になっているのは、インディカ種です。

 イネ科植物は、『糖』を『デンプン』に変えて、種子に蓄えています。そのデンプンが咀嚼時に唾液中のアミラーゼという酵素の働きで、糖に分解され、効率よくエネルギーとなります。同時に糖は、陶酔感と幸福感をもたらす中毒性物質でもあり、長年わたしたちが栽培を続けてきた、おもな理由のひとつかもしれません。

 ブドウ科では、山梨のワインでよく見かける甲州というブドウの話が意外でした。ブドウは、ラブルスカ種 (アメリカ種)、ヴィニフェラ種 (ヨーロッパ種)、ノブドウ (野生種) に分かれます。ワインの原料となるのは、おもにヨーロッパ種で、乾燥した土地に適しているため、日本の気候には馴染みません。いっぽう、アメリカ種はおもに生食用で、日本の気候にあっています。たとえば、デラウェアはアメリカ種です。いまでは、ヨーロッパ種とアメリカ種を交配して、さまざまな品種が作られています。たとえば、シャインマスカット、巨峰やそこから派生したピオーネなどが含まれます。ただ、例外もあって、甲州は、中近東からシルクロードを経由して、奈良時代に日本に伝わったと考えられていて、中国の野生種の DNA も含むヨーロッパ種由来だそうです。シャインマスカットや巨峰のような色味とは異なり、素朴な甘味が魅力的ですが、もともとの種がまったく異なるようです。

 これからは、甲州を食べながら、大陸を渡って日本に伝わり、奈良時代から作り続けられてきたブドウだと思いながら、楽しめると思います。知っていると、食事をさらに楽しめるウンチクがいろいろありました。
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