2025年04月19日

「ChatGPT 翻訳術」

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山田 優 著
アルク 出版

 この本では、AI、特に ChatGPT などの大規模言語モデル (LLM) が得意とすることが説明され、どう対話すべきか、つまりプロンプトがいくつか紹介されています。特徴的なのは、翻訳を業としないものの、英語を使う立場のひとたちが、どのように ChatGPT の力を借りたらいいか、具体的に説明されている点です。

 翻訳を仕事にしていないと、翻訳をどういった観点から評価すればいいのか、何をもってよい翻訳とすべきかわからないものです。著者は、それを『正確性』と『流暢性』に分け、翻訳を生業としないビジネスパーソンの流暢性より機械翻訳のそれが優れていることを指摘し、流暢性を補うためのツールとして AI を勧めています。
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 これらの数字は、たとえ TOEIC のスコアが高く、ある程度正確に英語を使えても、流暢性においては機械翻訳よりだいぶ劣るという点で説得力があります。また、著者は、正確性を担保するための工夫や流暢性を向上させるために必要な知識を紹介しています。
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 さらに、翻訳の工程を『前工程』、『制作工程』、『後工程』と分け、翻訳そのもの、つまり『制作工程』だけでなく、『前工程』も『後工程』も、AI と一緒に取り組めば、精度があがると述べています。機械翻訳のために、ひとがプリエディットやポストエディットを行なっていたのが、いまは AI と対話しながら進められるというわけです。

 たとえば次は、用語集を使った翻訳を AI に依頼するプロンプトですが、そのほかチェックを依頼する方法やひとの理解を助ける説明の求め方なども紹介されています。
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 プロンプトテンプレートを使いながら、自らテンプレートを増やしていきたいと思える本でした。
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2025年04月18日

「The Coffin Dancer」

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Jeffery Deaver 著
Simon & Schuster, Inc. 出版

 真相解明のプロセスでは、楽しめた部分とそうでもなかった部分の両方がありました。楽しめた部分は、犯人を追う側の主人公 Lincoln Rhyme が科学知識や経験をもとに些細な手がかりから犯人の意図を見抜き、行動を予測していくプロセスです。

 Coffin Dancer と呼ばれる殺し屋は、何年も犯行を重ねてきたにもかかわらず、警察はその本名も年齢も掴めずにいました。Coffin Dancer の最大の武器は、deception (欺き) です。相手を欺き、捜査を攪乱することによって、自らの足跡を消し去り、次の行動予測を不能にして、逃げ切ってきました。

 その殺し屋を追うのが Lincoln と彼の部下 Amelia Sachs です。Lincoln Rhyme には身体障害があり、事件現場に自ら赴くことができません。彼の代わりに証拠を見つけ、Lincoln の分析を助けるのが Amelia です。個性的なこのコンビは、Coffin Dancer が仕掛ける巧妙な罠に立ち向かっていきます。

 追う者がまんまと騙されたり、追われる者が真意を見抜かれたりといった攻防が続き、距離が徐々に縮まるプロセスは、読み応えがありました。Lincoln は、超能力者と見まがうほどの予見力を有するため、現実味に欠ける場面もあるものの、なかばファンタジーとして楽しめました。

 そのいっぽうで、大詰めに明かされる、いくつかのどんでん返しのなかには、それは余計だったのではないかと思うものもありました。意外な結末にインパクトがあるのは確かですが、あからさまなミスリードに少し落胆しました。

 ただ、そういった不満はあっても、2 日ほどの緊迫した追跡劇は全体的におもしろいと思います。周到な伏線、緻密な分析、捜査機関内部の駆け引き、最後に明かされる意外な黒幕など、楽しめる要素が揃っていた気がします。とりわけ、個性的な登場人物、灰汁の強い犯罪学者 Lincoln と独立心旺盛な Amelia の関係性、法廷の証人として保護された被害者遺族 Percey Clay と Lincoln との関係性など、人物描写としても興味深い場面が多くありました。結末では、恋愛感情が思った以上に色濃くあらわれ、犯罪だけでなく、ひとの感情の謎も解かれた気がします。
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2025年03月31日

「移動する人はうまくいく」

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長倉 顕太 著
すばる舎 出版

 自己啓発書の場合、著者自身が成功した方法は万人に役立つと考えて、書かれていることが多々あります。この本も、相関関係があるだけなのに因果関係があると誤解しているように見受けられる点があったり、全体的に根拠が乏しく感じられました。ただ、感覚的にそうかもしれないと納得できた点もありました。行動を変えたいと思いながら変えられないひとに対し、著者が意志の力で変えるのは難しくとも、環境を変えると感情が動き、その結果として行動が変容すると説いている点です。

 ひとは『安定』を望む傾向があり、毎日の繰り返しを退屈と感じながら、そこから脱することができません。だから、人生を変えたいと思えば、旅に出るとか、多拠点生活をするとか、意図的に行動範囲を変えると、接するひとや情報も変わり、自ら考えるようになり、自然と行動に移せるようになるという意見です。さらに、タイトルにある『うまくいく』の意味が、収入を増やすでも、恋愛を成就するでも、昇進するでもなく、行動を変えることにあり、具体的な目標を設定していない点で、結果を出せそうな気がしました。

 そもそも、著者にとって、目標設定自体意味のないことのようです。動き続けていれば、目指すものも変わり続けます。この本も、途中で話題があちらに飛びこちらに飛びで、テーマに沿っているようでいて、そうでもありません。どうやら、著者が目指すのは、特定の目標ではないようです。『いろんなことができるようになるというより、いろんなことに対応できる人間になっておく必要がある』と書いているからです。AI の発展が今度どういった速度で進んでいくのかわからず、人間の寿命が伸びているいま、そのとおりだと思います。さまざまな経験を積み、人脈を増やし、自らの対応力をあげるために動き続けるというのは、理にかなっているかもしれません。

 問題は、潜在的に対応力を有するひとが、その能力を目覚めさせるために移動するのは効果的かもしれませんが、移動すれば、あらゆるひとに対応力が備わるかについては、根拠が乏しい印象を受けたことです。
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2025年03月30日

「追伸、奥さまは殺されました 伯爵夫人のお悩み相談」

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メアリー・ウィンターズ (Mary Winters) 著
村山 美雪 訳
原書房 出版

 事件の解決を生業としない主人公が活躍するコージーミステリ―のなかでも、本作の主人公の立場が珍しいのは間違いありません。舞台は、1860 年のロンドンで、主人公アミリア・エイムズベリーは、伯爵未亡人です。彼女は、レディ・アガニというペンネームで週刊誌のお悩み相談欄で読者の相談にこたえています。しかも、25 歳という若さの未亡人でありながら、10 歳になる姪の後見人を務めています。

 連続殺人事件を扱う本作の最初の被害者は、元海軍提督の長女であり、公爵の婚約者です。転落事故として処理されたものの、その死の真相を目撃した侍女は、どうすべきか考えあぐねた末、レディ・アガニに相談の手紙を送り、その直後に第二の被害者になってしまいます。公園の池で溺死したため、第一の殺人事件同様、事故として処理されてしまいます。

 そこで調査に乗り出したのが、侍女は口封じのために殺されたと推理した、主人公です。レディ・アガニの正体が伯爵未亡人だと知られたくないアミリアは、警察を頼らず、自ら犯人捜しを始めます。

 キャラクター設定など、珍しさがてんこ盛りではあるものの、わたしの好みとは言い難いコージーミステリーでした。19 世紀が舞台とあって、数多く披露されるお悩み相談はどれも、怖い先生の前で優等生が吐露するささやかな愚痴といったレベルで共感しづらいですし、素人探偵の活躍はゆっくり過ぎて犯人候補がなかなかあらわれませんし、さらには、一緒に謎解きをする侯爵と主人公のロマンスは遅々として進みません。

 また、犯人捜しの動機もしっくりきませんでした。世間の目を気にして当然の伯爵未亡人という立場を考えると、会ったこともない侍女の事件を自らの身を危険にさらしてまで解決しようと主人公が執着する理由が腑に落ちません。すでに本作の続編も発表されているようですが、それも読みたいという気持ちには、残念ながらなれませんでした。
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2025年03月29日

「コンサルタントが毎日見ている経済データ30」

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小宮 一慶 著
日経BP 日本経済新聞出版 出版

 わたしにとっては、学ぶ点が多い本でした。まず、巻末に『主な経済指標一覧』が掲載されていて、とても便利です。次に、長年日経電子版を購読しながら、便利な『経済指標ダッシュボード』を知らずにいたので、その存在を知るきっかけになりました。最後に、著者の説明がわかりやすく、世の中の流れを推測できる見方を学ぶことができました。

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 上記の『主な経済指標一覧』は、全部で 58 です。日本と米国の指標が多いのは当然ですが、意外だったのは、中国の指標が少なかったことです。内訳は、日本 41、米国 14、ヨーロッパ 2、中国 1 です。中国で唯一選ばれたのは、中国・国家統計局発表の消費者物価指数です。

 著者の解説で印象深かった点は、4 点あります。ひとつは、なんといっても、マネタリーベースです。『異次元緩和』といわれながら、どのくらい異次元なのか、わたしは全然理解できていませんでした。ここには、『日銀が大量に国債を購入する「黒田バズーカ」は 3 度実施され、マネタリーベースは 10 年で約 5 倍の水準に達しました。日銀当座預金残高は、異次元緩和スタート当時は約 60 兆円でしたが、約 570 兆円 (2024 年 4 月 25 日時点) まで増加。マネタリーベースは約 700 兆円 (同) まで膨らみました。このような異常な状態になるまで、政府はまさに日銀を "使い切った" のです』と書かれてあります。

 次は、日本の国力の低下に関する著者の解説です。『有事の円買い』といわれた円も、いまやその立場を失ったようです。『規模は異なりますが、2009 年 10 月に起こったギリシャ危機では 1 ドル=80 円前後まで円高が進みました。ところが、シリコンバレーバンクに端を発した米国の金融危機の兆しが見えたときは、円高は 1 ドル=130 円台までしか進みませんでした。これが、2009 年から 2023 年の 14 年間における日本経済の実力の低下だと私は懸念しています。円安の理由は、ひとえに日本の国力が落ちた結果だといえるでしょう』と、書かれてあります。この先、まだまだ円安は進みそうです。

 3 番目は、貯蓄率です。米国の貯蓄率は、新型コロナのパンデミック時は、30% 前後と高い数字を記録しましたが、ポストコロナといわれる時期になると、3%〜4% で推移しています。わたしは、もう少し高いと思っていたので、意外でしたが、驚いたのは日本の貯蓄率です。米国が 30% 前後だった時期でも 10% 前後で、ポストコロナでは、0% 前後です。理由は、貯蓄を取り崩して暮らしている高齢者の割合が増え、勤労世帯の貯蓄と相殺されて、0% 前後になるようです。

 最後は、景気の先行きを知りたいときは、不要不急の消費を見るべきだという助言です。具体的には、『旅行取扱状況』や『全国百貨店売上高』などです。言われてみるとそのとおりなのですが、先行きに不安を感じると、旅行や非日常的な支出がまず減らされます。どういったデータをどう見ればいいのか、参考になりました。
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2025年03月28日

「人は、なぜさみしさに苦しむのか?」

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中野 信子 著
アスコム 出版

 さみしさに限らず、感情には個人差があります。わたしは、さみしさを感じることが比較的少ないと自分では思っていますが、新型コロナウィルスが流行した折りは、さみしさ、不安、心細さといった負の感情を意識せざるを得ませんでした。それ以降、『感情』というものを理解したいと思うようになりました。

 この本で目指しているのは、さみしさが生じる仕組みを理解して上手にさみしさと付き合い、人生をより豊かに過ごせるようになることです。確かに、さみしく感じたからといって、その感情に浸っているばかりでは、よい方向に進めません。

 著者によれば、さみしさは、人間が生き延びるための仕組みだそうです。現代は、成人すればひとりでも生き延びられる環境にあると言えますが、人類の歴史において、それはつい最近実現した状況です。それまでは単独よりも集団でいるほうが生存の可能性が極めて高く、共同体や組織などの社会的集団をつくることで人類は生き延びてきました。そのため、危険や危機を予測する防御反応として、さみしいという感情が生じるのではないかというのです。

 そのほか、さみしいという感情の特徴として、痛みなどとは違って個人差が非常に大きいと説明されています。つまり、第三者のさみしさを想像するのは難しく、本人にしか、そのさみしさをうまく扱えないようです。また、1 歳半までの時期に、スキンシップを多くとるなど『愛情ホルモン』であるオキシトシンの分泌が多くなれば、愛着関係を築けますが、その逆だと、誰かがそばにいることを好まないようになります。さらに、孤独が寿命に与える影響力は、タバコやお酒による害や、太り過ぎ、運動不足という生活習慣に起因する害よりも大きいという研究結果もあるそうです。

 こういった、さみしさの特徴を理解し、さみしくなるのはひととして健全な反応だと捉え、それでもいい人生を生きていけるように考えることを著者は勧めています。さみしさを克服しようとせず、さみしいときは話を聞いてくれるひとに騙されやすくなっていることなどを頭の片隅で警戒しつつ、自分が本当に必要としているのは、どんなつながりかを認識することが大切だというのです。

 さみしいという感情に振り回されず、適度な距離感でひととのつながりを築きつつ、機嫌よく日々を過ごす参考になる本だと思います。
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2025年03月06日

「ペーパーバック読解法 ミステリ-で英語漬け」

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藤田 悟/出口 正喜 著
アルク 出版

 わたしが英語でミステリーを読むきっかけになった本を再読しました。大昔の本ですが、目から鱗とはこういうことだと思ったのを今でも覚えています。日本語の本を読み、もし知らない単語が出てきても、あまり深く考えず、文脈から推測して読み進めるのに、なぜ英語の本を読んだときには、それができずにいたのか、指摘されるまで考えたこともありませんでした。著者は、そのことを気づかせるために『英語のリーディングも誤解をしながら読み続けることで上達する。日本語を読むことだって結局はそうして身につけたのではないか』と書いています。

 そのことばに納得して、このなかのミステリー用語辞典の単語を覚え、ミステリーを英語で読みだしました。この用語辞典は、ほんの数十ページなのですが、homicide (他殺、殺人) や assault (暴行) などの罪名、inspector (警視、警部) や lieutenant (警部補、部長刑事) など警察官の職位、first offense (初犯) や mug shot (<容疑者などの>顔写真) など警察小説に頻出する単語、法廷 (裁判) の基本用語、薬物用語など、ミステリー小説で見かける単語がまとめられていて、重宝します。裁判の原告や被告は、民事の場合、the complainant (原告) と the plaintiff (被告) が多く、刑事事件の場合、the accuser (原告) と the accused (被告) が一般的と、民事と刑事で差があることを知ったのもこの本だったと思います。

 再読して気づいたのは、リーディング力を診断するテストで、初読時よりずっと高いスコアを得られたことです。多少は、単語力があがったかもしれませんが、おそらく前後から単語を推測する力があがったのではないでしょうか。ミステリー本の紹介もあって、次に何を読もうか、迷いながら選んだことも思い出します。さらに、この本を読んでから、語源などを学び、単語の意味を推測することなども覚えました。

 ただ、この手の本を最近はあまり見かけない気がします。インターネットが一般的になって、調べようと思えば簡単に調べられるけれども、ひとところにまとまっていたら便利といった本のニーズが少なくなったのでしょうか。
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2025年02月20日

「フロスト気質 上下」

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R.D. ウィングフィールド (R.D. Wingfield) 著
芹澤 恵 訳
東京創元社 出版

Hard Frost」の訳書です。日本語で描かれるフロストは、英語で読む以上におもしろいので、物語の細かな展開を忘れたころに日本語でも読みました。上司にいじめられながら、相も変わらず、よれよれになって数々の事件を捜査するフロストに、ときには同情し、ときには呆れ、今回も大いに楽しませていただきました。

 休暇をとったにもかかわらず、人手不足のために呼び戻されたフロストには同情を禁じえませんが、デートをすっぽかして仕事に行ったまま、ガールフレンドの家に花のひとつも持たずに、煙草欲しさにのこのこと出かけていく姿には、呆れてしまいました。

 それでもやはり、フロストは憎めないキャラクターだと、あらためて思いました。証拠を捏造するような警官なのに、糾弾したいとは思えません。こんなに灰汁が強く、それでいて共感できる人物を描く、この作家の力量を読むたびに感じます。そして、混沌としたこの世界の縮図をこの小説内で見事に構築している点も好ましく感じます。

 フロストがひとつひとつ地道に解決していく事件は、善と悪がわかりやすく対立する構図になっていません。盗みを働いている泥棒を見つけて反撃された女性を救うための犯行、家でたったひとり育児を続けた母親が心を病んでしまい起こった悲劇、軽い気持ちで犯行におよんだ子どもが逃亡中に命を落としてしまった不運。どれも、犯人が判明してよかったでは終わりません。

 さらに、『仕事』とは何かも考えさせられます。事件を解決し、犯人を逮捕するのが、警察官の仕事であり、フロストの役割です。法秩序の維持や被害者救済の観点から、司法の役目を果たすのは大切なことですが、限界もあります。フロストは、警部という立場で部下を管理し、警視からは定められた残業時間を超えないよう求められます。たとえば、誘拐された子どもがまだ生きていて、冷たい雨のなか森に捨てられているかもしれない状況でも、立場を気にする警視から、残業時間を計算しつつ、捜索人員を配置するよう要求されるのが現実です。

 子どもの命は大切だという正論だけで、サービス残業をさせることもできませんし、予算が無限におりてくるわけでもありません。そんななか、ただひたすら子どもの命だけを考えて警視の命令を受け流すフロストの姿勢は、書類仕事や整頓ができず、ひととの約束を守れず、だらしなく見える面があるからこそ、嫌味ではなく、希望に見えるのかもしれません。

 簡単には割り切れない小宇宙がこの小説のなかにあって、読むたびに考えさせられ、登場人物に魅了されます。
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2025年02月19日

「武士語で候。」

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もんじろう運営委員会 著
総合法令出版 出版

『もんじろう』と呼ばれるサイトでは、標準的な日本語を、大阪弁・津軽弁といった方言や武士語に変換してくれます。この本は、その『もんじろう』から武士語だけを抜粋したものです。

 地理的に離れた場所のひとたちとコミュニケーションをとることはあっても、時間的に遠い存在である武士のことばを理解したり使ったりする必要に迫られないだけに、遊び心が刺激され、頭の体操にもなりました。ななめ読みでも、ちょっとした気づきが得られるかもしれません。

 たとえば、武士が生きた時代は、移動するには、歩くしかありませんでした。例外は、経済的に恵まれたひとたちが坐ったまま移動できる駕籠です。

 現代の『車』も『タクシー』も武士語にすると駕籠になるのは、想像がつきますが、現代の『地下鉄』を『地中長駕籠 (ちちゅうながかご)』と言い換えているのは、苦し紛れといった感があります。ただ、武士が生きた時代には地下鉄など影も形もなかったので、仕方ありません。江戸時代が終わった 1867 年から地下鉄が開通した 1927 年まで 1 世紀も経っていないことを考えると、武士の時代が遠いようにも近いようにも感じられます。

 武士の時代を意外に近く感じられたのは、『改易』や『口入れ』です。『改易』は、広辞苑では「官職をやめさせて他の人に代わらせること」とか、「所領や家禄・屋敷を没収すること。江戸時代の刑では蟄居(ちっきょ)より重く、切腹より軽い」と説明されています。現代語の『リストラ』の言い換えに、この『改易』が選ばれています。いっぽう、『口入れ』は、広辞苑で 3 番目の意味として「奉公人などの世話をすること」とあり、現代語の『人材派遣』に該当します。『人材派遣』は、バブル経済崩壊後に増えた印象がありますが、形態としては、特別新しいわけではないのだと思いいたりました。

 ことば遊びとしての武士語を考案したひとに興味がわきました。
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2025年02月18日

「思考の穴」

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アン・ウーキョン (Woo-kyoung Ahn) 著
花塚 恵 訳
ダイヤモンド社 出版

 イェール大学の心理学教授が書いた本です。本教授の講義『シンキング (Thinking)』に登録した学生の数は、2019 年だけで 450 人を上回ったそうです。その人気は、『日常においてさまざまな決断を下すときの判断力の向上』に役立つ内容にあり、その評判から書籍化に至ったようです。

 この本のテーマ、認知心理学が長年研究されてきて、ひとは非合理的な判断をしてしまう心理傾向があることが広範囲で明らかになってきました。わたしたちは、認知において、思い込みや直観などに左右されてしまう傾向があり、その誤った判断は『認知バイアス』と呼ばれています。『バイアス』とは、あるがままを見ることができないことを指しています。

 著者によれば、認知バイアスのなかでも、『確証バイアス』 (自分が信じているものの裏付けを得ようとする傾向のこと) が最悪だそうです。しかも、この本を読めば、誰もが確証バイアスを含むあらゆるバイアスにとらわれていると認めざるを得なくなります。ひとは合理的な判断ができないようになっていると思うと、暗い気持ちになりますが、著者はそのメリットにも触れています。それは、脳のパワーの節約、『認知能力の倹約』です。この世にある、あらゆる可能性を模索し続けることは、途方もないエネルギーを要します。だから、ひとは、『意思決定をする際は、ある程度満足したところで、それ以上の探求をやめる』わけです。この行為は、『満足する (サティスファイ)』と『十分である (サファイス)』を組み合わせた造語『サティスファイス』と名づけられたそうです。

 おもしろいのは、人生を通じて行なわなければならない類いの探求をどれだけ最大限にし、どれだけサティスファイスする (満足したところでやめる) かは、個々人によって大きなばらつきがあると判明したことです。しかも、適当なところで満足せずに最大限探求するマキシマイザーと満足した時点で探求をやめるサティスファイサーでは、後者のほうが幸福度が高いことがわかっています。たとえば、いまよりいい仕事がないか、常に目を光らせているよりも、いまの仕事に満足しているほうが、充実感ややりがいを感じられるということなのでしょう。著者は、確証バイアスが最悪といいつつも、サティスファイスの副作用と捉えることもできるとしています。

 著者は、認知バイアスの専門家でありながら、それでも認知バイアスから逃れられないと書いています。つまり、わたしが認知バイアスから逃れられる道はないということです。そうであれば、せめて幸福度を高められるというメリットに目を向けつつ、ここで学んだ、認知バイアスというものの正体を意識しながら過ごしたいと、わたしは思いました。

 そして、ある程度それを実現できそうな気がしました。それは、この本で紹介された数多くの研究結果のひとつに着目したからです。その研究では、英語を母語とするひとたちとは別に、広東語を母語とし、米国に来て間もない人たちにも同じ実験を実施し、ふたつの集団で明らかな違いがあるという結果になりました。著者は、個人主義と集団主義の社会の違いを原因としてあげ、中国のように集団主義で育った場合、他者が何を考えているのか、自分は他者からどう思われているかを絶えず意識しているため、自らの思いこみにとらわれにくくなっていると考えています。

 ただ、他者が考えていることも考慮する必要がありますが、そればかりを気にすると弊害も生まれます。要は、バランスが大事だということです。自分の幸福との兼ね合いを考えつつ、円満に社会生活を送るために、認知バイアスに対する知識が役立つことは間違いなさそうです。
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