
外山 滋比古 著
中央公論新社 出版
ことばに関する考察のエッセイがまとめられた書籍です。興味が湧いた話題が2点ありました。
ひとつめは、句読点です。以下の文は、句点(。)と読点(、)の使い分けに用いられた例文です。
ひとりぼんやり考えた。このままではしかたがない。何とか動き出す必要がある。それには、しかし先立つものがほしい。それをどうするか。そのとき台所の方でガタンという大きな音がした。われにかえってあたりを見回す。
上記の「ぼんやり考えた」内容は、どこまでかと著者は問うています。答えは、「それはどうするか。」という文までです。日本語を母語としない読者を想定すれば、考えた内容を「このままではしかたがない。」までとする解釈もあり得るとして、以下のように読点を用いることを検討しています。
ひとりぼんやり考えた。このままではしかたがない、何とか動き出す必要がある、それには、しかし先立つものがほしい、それをどうするか。そのとき台所の方でガタンという大きな音がした。われにかえってあたりを見回す。
著者は、このような読点の使い方を推奨しているわけではありませんが、おもしろい考察だと思いました。
ふたつめは、ことばの当たりに関する話題です。コカ・コーラのうたい文句であるドリンク・コカコーラ(コカコーラを飲め)を例にあげて、日本人はつよいことばをはばかると著者は主張しています。このうたい文句が世界中でその国のことばに訳されて使われているのにもかかわらず、日本だけは命令形が受けつけられず、"スカットさわやかコカコーラ"になったというのです。
著者は、こういったつよいことばをはばかる慣習を重んじ、ことばの当たりをソフトにするよう提言しています。そのとおりだと思ういっぽう、著者が「イエスかノーかをはっきりさせる」ことと「マアマア、どうぞよろしくのアイマイ」を対立させて考え、「イエスかノーかをはっきりさせる」こととソフトな当たりが相容れないような印象を与えていることが残念でした。