2019年06月29日

「外資系コンサルが実践する 図解作成の基本」

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吉澤 準特 著
すばる舎 出版

 久しぶりに提案書を書くようになったので読みました。文だけの情報を、図解で改善していく事例が冒頭にひとつ紹介されているのですが、その前後の違いは明白でした。時間の制約があって、ここまでのことはできないのですが、図形の使い分けルールが掲載されていたので、せめてこれくらいは実践したいと思いました。

【四角形】
角ばった見た目から、具体性のある考え方や事実を示すのに適します。配置するスペースに応じて長方形と正方形を使い分けます。

【三角形】
三角形は、量の増加や減少、集中と拡大、組織モデルや上下関係、スケジュール上の目標地点やマイルストンを示すのに適します。

【丸四角形】
丸四角形は、丸みを帯びた見た目を持つため、四角形で示すよりも抽象的な概念や主観的な意見、推測を示すのに適しています。四角形と混在させる場合、より抽象的で主観的な要素を丸四角形に当てます。

【円・扇形】
円・扇形は、図形全体が曲線で成り立っているため、抽象度が高く、決まっていることが少ない情報を示すのに適しています。抽象度の小さいものは丸四角形とし、それより大きいものを円とします。半円を作ったり、円の中の要素を表現するのに扇型を使います。

【線・矢印全般】
線・矢印・円弧は、要素同士のつながる向きと強弱を示すのに用います。

【円弧・アーチ】
円弧とアーチは、円・楕円や弧に合わせて矢印を並べたい場合に適しています。

【かっこ全般】
かっこは、要素同士の集合関係 (包含関係) を示すのに役立ちます。大かっこ、中かっこがあります。これらは特性ごとに使い分け、「同じ意味を表すが見た目が異なるもの」を混在させないようにします。

【吹き出し全般】
四角形吹き出しは、具体性のある理由や追加情報に用います。丸形吹き出しは、四角形吹き出しよりも抽象的であいまいな情報・意見・推測・番号・記号に使います。雲形吹き出しは、丸形吹き出しよりもさらに抽象的な情報・想像・憶測・心理的な情報に用います。
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2019年06月28日

「二度と戻らぬ」

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森巣 博 著
幻冬舎 出版

 かつての学生運動で罪を犯したこの本の主人公、森山道は、その過ち以来世間に背を向けて暮らし、博打で生計を立てています。わたしは、博打の世界をまったく知らないので、物語のなかで語られていることがどの程度現実社会に当てはまるのかもわからないまま好奇心に駆られて読み進めたのですが、読み終えての感想としては可もなく不可もなくといったところでしょうか。

 主人公の博打がひとつのストーリーで、もうひとつは 30 年前の主人公の過ちに関わる清算です。前者は、楽しめました。確率論で博打を見るおもしろさを味わえましたし、控除率 (馬券を 1000 円買うと、そのうちの 250 円分は天引きされるといったギャンブル参加者に戻らない部分の割合) の存在がわかっていてギャンブルに溺れてしまう流れもいくらか理解できました。

 後者のストーリーのほうは、読後感がよくありませんでした。理由は、わたしの価値観にあると思います。何がなんでも、つまり暴力に訴えてでも自分たちの手で変えたいという意思をもった学生たちの運動をリアルタイムに見なかったことも影響しているのかもしれませんが、わたしは暴力で手に入れたものに価値を見出せませんし、いくら暴力に訴えた解決を語られても、こじつけにしか聞こえません。

 独りよがりな主人公に共感できなかったことが作品への評価につながったと思います。
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2019年06月27日

「思い出の作家たち―谷崎・川端・三島・安部・司馬」

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ドナルド・キーン (Donald Keene) 著
松宮 史朗 訳
新潮社 出版

 ドナルド・キーン氏が昭和を代表する5人の文豪たちとの親交を振り返りながら論じています。キーン氏は、5 人の交わりを次のように述べています。
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谷崎と川端の場合、私とは歳が離れすぎていたので、その間柄も "友人" であるよりは年少の崇拝者に二人の文豪が示した再三の親切と解釈したほうがよかろう。そこへいくと三島、安部とはまさに親友であり、長年にわたり幾多の交遊をもった。司馬の知遇を得たのは他の四人よりは数年遅く、また会う機会も比較的少なかったが、私は彼のことを友人だったと思っているし、まぎれもない恩人でもある。
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 キーン氏が直接本人から聞いた話も興味深いですが、作家の個性や日本文化を熟知したキーン氏による作品の解釈も得るものが多く、それらを踏まえて再読したい、あるいは初めて読んでみたいと思った作品がいくつかありました。

 キーン氏が親友と呼んだ三島氏は、わたしから見て疑問に思う最期を遂げただけに、色々感ずるものがありました。まず、キーン氏は、三島氏のなかに夭折への憧れを認めていました。
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『仮面の告白』の主人公の「私」は、夭折に心を奪われ、やせこけて魅力のない自分の身体に何らかの奇跡が起き、殉教した聖セバスチャンの栄光に達することを夢想する。いつだったか私は三島に、『仮面の告白』中に描かれた「私」の中学時代の作文 (聖セバスチャンについての散文詩を含む) は、中学生だったあなたが実際に書いたものではないかと訊いたことがあり、彼はその通りだと答えた。矢に貫かれて死ぬ美しい若者への憧憬は、早くから現れていたのだ。
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 それなのに、三島氏は兵役を免れようとし、結果的に命拾いをします。しかし 40 代になって自決を決めた瞬間をキーン氏はこう推測しています。
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昭和四十五年の六月、日米安保条約の更新前夜、私と三島は食事の場に向かうタクシーの中にいた。昭和三十五年の安保改定に反対するデモから十年、この年の騒乱は遥かに大きな規模になるだろうと広く予想されていた。この予想をおそらく信じていた三島が、ささやかな私兵集団「楯の会」を結成したのは、暴徒から皇居を守る目的があってのことだったかもしれない。もちろん、私兵百名では、皇居に押し入ろうとする数万人のデモ隊を抑えられるはずがないのだが、死に果てることなら可能であろうし、それこそが三島の真の目的だった。ところが、タクシーが国会議事堂にさしかかった時、そこにはデモ隊の気配すらなく、暇をもて余した警官たちが、その夜は使いそうにもない楯と棍棒を抱えているだけだった。三島が自裁しなければならぬと決意したのは、もはや皇居の石段で討ち死にする機会は永遠に失われたと痛感したあの夜……まさにこの時だったのではなかろうか。
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 三島氏がもし兵役検査で事実を話していたら入っていたであろう部隊は、フィリピンで全滅したそうです。そこで若くして死んでいたらよかった、いまそれをなんとか再現できないだろうか、三島氏はそうとでも思っていたのでしょうか。

 同時に、自らの遺作となる『豊饒の海』が海外で出版されることを強く望み、キーン氏にあらゆる手立てを講じてほしいと別れを告げる手紙に書いていたそうです。

 もっと生きれば、さらなる代表作を書くこともノーベル賞を受賞することもたやすく実現できそうに思える作家だけに残念に思う気持ちは変わりませんが、揺るぎない価値観にしたがった行動だったということだけは、ぼんやりと理解できました。
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2019年06月26日

「飛べない龍」

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蘇 童 (Su Tong) 著
村上 満里子 訳
文芸社 出版

 日本語で読める中国の現代作品は少ないので、少し古い作品 (2007年出版) ですが、いただいたのを機に読んでみました。

 帯に『数カ国語で出版、映画化作品も多数』とあり、この作家の力量を称えていますが、この作品に限ってはそこまで秀でたものには思えませんでした。ただ、文学を目指す人たちにとって自由闊達に表現できる環境とはいいがたいであろう中国で創作を続けている作家の作品が日本語に翻訳されたことは、ある程度の評価を受けて当然だとも思います。

 この本の舞台は急速に都市化が進んだある街です。そこにあった路地や密集住宅が壊されるいっぽう高いビルが建ち、貧しい人たちが追いはらわれたあとに、いわゆるエリートが働くオフィス街ができ、何もかも変わったように見えても、そこにいた人たちもみな変われたわけではありません。

 若さを武器に夢を追いかけて街に来た女、成功を夢見て次々と事業に手を出した男、住み慣れた街が変貌を遂げてもそこに留まろうとあがく中年男、急激に栄えた街で上昇志向に燃える女、流行の波に乗って成功した兄弟、群像劇のような作品には個性の異なる人物が数多く登場しますが、この作品のなかでスポットライトが当たるのは、変貌した街の中心に踊りでることができない人たちです。

 いま貿易をめぐって米国と対立している中国では、都市部で働いていた農村出身者たちが大量に農村へ戻っているといわれています。この小説のような光景が見られているのかもしれないと思いました。気分が塞ぐ話ですが、華やかな場に留まる人たちができる範囲で夢に破れた人たちに優しく接する場面に救われました。
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2019年06月15日

「エレガントな象」

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阿川 弘之 著
文藝春秋 出版

 わたしは、著者より娘の佐和子氏のほうの話題をリアルタイムに聞いた世代で、著者の作品を読んだ記憶はありません。はじめて読んだ随筆ですが、第二次世界大戦時代を生き、原爆を経験した広島の生まれである著者が書く戦争の記述がずしんと響きました。

 たとえば、1945 年の春、東京空襲に来る B29 群は、湘南地方上空で大量の宣伝ビラを撒いたそうです。「鎌倉藤沢忘れたわけではありません」という気味の悪い傑作もあったそうです。数十年を経て、この随筆を書かれていたとき、別の傑作を見つけたとありました。

『日本よい国花の国
五月六月灰の国
七月八月よその国』

 著者は、このひとつの帝国が崩れ去る運命をたった 3 行で的確に表現し、七(八)五調の調べをつけ、しかも韻を踏ませたこちらの傑作が 1939 年にアメリカに亡命した八島太郎氏の作ではないかと推測しています。1956 年に八島氏にお会いになった際、「僕はね、戦争中志願してアメリカの情報機関で働いていたんだよ。空から撒く伝単用の諷刺漫画を描いたり、日本兵に投降をすすめる励ましの文章を書いたり、此の戦争で死ぬ日本人の数を出来るだけ少なくしたいと考へてゐたからね」と八島氏が話されていたそうです。

 特高に殺されるか、戦争で死ぬか、選択肢がふたつしかないように見えた時代に別の道を示そうとした人物がいたことはもっと知られてもいいように思います。

 そんな戦争経験者である著者が、自衛隊の派遣先に関する議論に対し『だいたい、危険な地域に自衛隊を出せないといふのは、軍の本質を無視する矛盾した議論であって、いつまでもそんなことを言つてゐると、テロリストを含む全世界の人の侮蔑嘲笑のまとにされるだらう』と書いていらっしゃることは、安全は待っていれば黙って与えられるものだと思っているわたしたちを諭しているように思えました。
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