2019年08月26日

「これだっ!という『目標』を見つける本」

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ケン・シェルトン (Ken Shelton)/リチャード・H.モリタ (Richard H. Morita) 著
イーハトーヴフロンティア 出版

 前半は一般的な啓発書と同じように、自分にあった目標を見つけることが重要であるという意見が述べられています。後半は前半とは違って、小説風に自分にあった目標を見つけるきっかけに恵まれた人物が描かれています。

 あの手この手で自分にあった目標を見つけよと訴えるくらいなら、具体的なプロセスについてもっと掘り下げて欲しかったと思います。何かを理解することとそれを実践することは別で、いくら頭で理解していても実践する場では実践特有の問題が起こるものです。それについては別の本で学んでくださいというスタンスでは一冊の本として完結していないように思え、物足りなさを感じました。

 わたしの場合、家族がいないので、添付の質問シートがあまり意味をなさなかったり、手に入れたい、自由にしたい、やめたいなどと思うものがなかったりしました。自分に該当する数少ない質問に満足に答えらず、行き詰ってしまいました。

 ただ、自分の目標を見直せなかったとしても、過去を振り返り、過去を解釈しなおし、肯定的で前向きな自己認識をもち、『本当の自分』が興味を持てることを目標に設定する大切さには納得できました。いい学校に行っていい会社に就職のうえ出世するだとか、起業し収益をあげて企業規模を拡大するとか、右に倣えで自分の理想を描いても辛いだけだということがこの歳になるとわかるからです。

 この本に真の価値を見出すのは、人並み以上になろうと本当に頑張っている方々かもしれません。

 ロシュフコーは言っています。『我々は、どちらかと言えば、幸福になるためよりも、幸福だと他人に思わせるために四苦八苦しているようである。』
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2019年08月25日

「献灯使」

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多和田 葉子 著
講談社 出版

 2011 年の東日本大震災後の日本をイメージさせる以下の短篇が収められています。「献灯使」は、全米図書賞の第 69 回翻訳書部門 (National Book Award/Translated Literature) を受賞しています。

−献灯使
−韋駄天どこまでも
−不死の島
−彼岸
−動物たちのバベル

「献灯使」では、老人が死なないいっぽう子供たちが脆弱になったという極端な少子社会になり、食べるものにも困り、日本の問題が世界に広がらないよう鎖国し……と、ディストピアを思わせる描写が続きます。そんななか、歩くこともままならない無名という名の子供のささやかな楽しみや献灯使というわずかな希望に触れたとき、どんな環境におかれても、ひとは生きていくのだと思いました。それが幸せなのか不幸なのか、いまのわたしにはわかりませんが。

「韋駄天どこまでも」は、この作家らしい『漢字』を分解して使った遊びのような文章です。軽い気持ちで読んでいたら、誰もがもつ感情、自分のなかにもある気持ちを突きつけられ、少しうろたえてしまいました。

 震災のあと、東京にいられなくなったら、とりあえずソウルか台北にでも行くのかななどと思いながら全然実感がなかった当時のことを思い出しました。
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2019年08月13日

「仕事が早く終わる人、いつまでも終わらない人の習慣」

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吉田 幸弘 著
あさ出版 出版

 もっとも目を惹く特徴は、読みやすいことです。ひと組ずつ習慣をとりあげ、タイトルと同じように仕事が早く終わる人と終わらない人で比較しています。

 42 列挙されている習慣の比較のひと組に、自信をもてずにいたものの自ら実践していた習慣が含まれていました。
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早く終わる人はマニュアル化思考、
終わらない人は結果が出ればいい思考
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 まず仕事が早く終わらない人の特徴として『仕事から学んだことがあっても、何も記録に残していないので、次に同じような仕事が入っても改善につながりません。』対照的に、早く終わる人は、『仕事から学んだことを整理して、その都度ノウハウをマニュアル化します。その結果、次回の仕事のクオリティがアップし、作業効率が上がっていきます。これが時間の短縮化につながっていきます』とあります。

 押さえるべきポイントを挙げ、次の機会に思い出せる程度に詳しく記録しておくと次の機会に重宝するいっぽう、それなりに時間がかかるうえ、次の機会が必ず巡ってくるかわかりません。そのため、この考え方に自信がもてずにいましたが、これからも続けていこうと思いました。

 そのほか、絶対こういうことはしないでおこうと思っていることも仕事が終わらない人の習慣に含まれていました。
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早く終わる人は「何を言ったのか」を重視し、
終わらない人は「誰が言ったのか」を重視する
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 いわゆる上ばかり見ている人を見て、反面教師にしたいと思っていたので、共感できました。
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早く終わる人は下の人からも学び、
終わらない人は上の人からだけ学ぶ
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 常に学び続けないと新しい技術についていけない時代なのに、自分の年齢はあがっていくばかりなので、このことも絶えず忘れずにいたいと思います。
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2019年08月12日

信頼できない語り手 (unreliable narrator)

 翻訳を研究する会にお邪魔したときに知ったことば、『信頼できない語り手』は、カズオ・イシグロの小説の語り手を指しているそうです。このときの会の課題が、カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」の一節で、その語り手である悦子もやはり信頼できない (unreliable) なのか話題になりました。

「カズオ・イシグロの視線」という本によると、ディヴィッド・ロッジ (Lodge, 1992) が新聞の読者を対象として小説技巧を解説した際に用いた表現によれば、「日の名残り」の語り手スティーブンスは、『信頼できない語り手』だそうです。(1989 年出版の「日の名残り」はブッカー賞を受賞しているので、あちこちで注目を集め、こういうことばが生まれたのかもしれません。)

 スティーブンスほどではないにしろ、悦子が語っている内容には不自然なことも含まれ、信頼できない語り手と言っていいのでしょう。課題になったのは、その悦子がある子供に話しかける場面です。
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The child said nothing. I sighed again.
"In any case," I went on, "if you don't like it over there, we can always come back."
This time she looked up at me questioningly.
"Yes, I promise," I said. "If you don't like it over there, we'll come straight back. But we have to try it and see if we like it there. I'm sure we will."
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 この部分の日本語訳では、主語の人称と子供の名前の部分が原文と異なります。
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子供が黙っているので、わたしはまた溜息をついた。
「とにかく、行ってみて嫌だったら、帰ってくればいいでしょ」
こんどは、万里子は何か訊きたげにわたしを見上げた。
「そう、ほんとうなのよ。行ってみて嫌だったら、すぐ帰ってくればいいのよ。でも嫌かどうか、まず行ってみなくちゃ。きっと好きになると思うわ」
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 原文のこの部分だけを見ると、"we" と言っているのに「帰ってくればいいでしょ(のよ)」となっていて、悦子が含まれている感じがまったくしません。

 ここの訳をもし変えるとしたらどう変更するかというのが課題だったのですが、"we" を「わたしたち」のように明確に書かなくても、「帰って来ましょうよ」など二人称の雰囲気を出すことができるので、そうしたほうがよいという意見に収束しました。

 また代名詞 (この場合 "she") は、日本語では不自然に感じられることも多く、特に子供の場合、万里子といった実際の名前に置き換えることは当然のようになされているのですが、この場面では明確に万里子としないほうがいいという意見も出ました。

 物語全体を読めば、語り手の悦子が、友人の娘である万里子と自らの長女を重ねていることがわかります。それを示唆する "we" であり、"The child" なわけです。それを日本語訳で消し去るのはどうなのかという議論になりました。

 同じ本を読んで意見を交わす機会というのは、いつもながら貴重だと感じました。
posted by 作楽 at 19:00| Comment(0) | 和書(英語/翻訳) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする