2019年10月21日

「インスマスの影 クトゥルー神話傑作選」

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H・P・ラヴクラフト (Howard Phillips Lovecraft) 著
南條 竹則 編訳
新潮社 出版

 科学がすべてを明らかにしてくれると思って生きている多くの現代人とは違って、これらの作品をラブクラフトが書いた時代の大半の人には、地球ができる前から存在する生命体といった人智の及ばない領域を容易に信ずることができる土壌があったのだと思います。

 つまり、暗闇を見つけるのが難しいような暮らしをしているわたしが、ラブクラフトが作り上げた怪奇世界に惹きこまれることはないだろうと思って読み始めましたが、結果的に、その予想は裏切られました。

 以下の七篇のうち「暗闇の出没者」では、謎の生物が地球の外から来たことや高度な科学技術を有することなどが事細かに描かれ、その地球外生命体との接触に対し想像が膨らみました。怪奇小説と呼ばれても、SF らしさもある作品だと思います。

−異次元の色彩
−ダンウィッチの怪
−クトゥルーの呼び声
−ニャルラトホテプ
−闇にささやくもの
−暗闇の出没者
−インスマスの影

 また「インスマスの影」は、語り手が自らの恐ろしい体験を披露しているのですが、その体験を凌ぐ恐ろしい事実が最後に明かされます。伏線が張られて回収されるさまは、ミステリーを思わせます。

 初めてラヴクラフトを読みましたが、思いのほか楽しめました。
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2019年10月10日

「校閲記者の日本語真剣勝負」

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東京新聞・中日新聞 編
東京新聞出版局 出版

 東京新聞の校閲担当者が、校閲という仕事のなかで修正を入れるべきか迷った経験などを交えながら、誤用といわれる日本語や簡単には想像できない語源などを紹介しています。

 この手の本を読むと、間違えないようにわたしも気をつけなくては……と思うことも多いのですが、今回は誤用よりも、新聞という立場の難しさを垣間見ることができました。ことばの意味が少しずつ変わり、本来の意味ではなくいわゆる誤用のほうの意味で解釈する読者が増えると、きちんと伝わっているか、気になるようです。

 そういう事情があって、ことばによっては新聞としての暫定的な方向性を決めて対処なさっている様子でした。

 たとえば『悲喜こもごも』。大学の合格発表のように喜ぶ人もいれば落胆する人もいる状況を描写するときに使われることがあります。でも「広辞苑」には、『一人の人間の中で悲しみと喜びが交互に訪れること、同じ一人の心の中で悲しみと喜びが入りまじる様子』とあります。そのため新聞では、一人の感情・心境についてではない、複数の人の情景描写には『悲喜こもごも』を使わず、なるべく『明暗を分ける』などとしているそうです。

 また『極め付けの芸術品』のように使われる『極め付け』。本来は『極め付き』だそうです。大辞泉には『書画・刀剣などで鑑定書の付いていること。優れたものとして定評のあること。また、そのもの。折り紙付き』と説明され、昔はこの鑑定書のことを『極め書き』といい、これが付いていることを『極め付き』といったそうです。それがいま『極め付け』が多用されるようになり、『極め付きに同じ』と辞書に書かれるようになってきているそうです。しかし、新聞ではなるべき『極め付き』を使うようにしているそうです。

 最後に、翻訳ではない新聞でそんなことばが使われているのかと思ったのは『孫息子』です。著者は、『孫息子』はおかしいといわれると明かしたうえで、『孫息子』に違和感を覚える理由は、かつての家制度があるのではないかと述べています。男性優位社会では、孫といえば男の孫を指し、あえて息子を付ける必要がなかったことが理由ではないかと推察しています。これは、子といえば男の子どもを表していたことからも納得ができるという意見です。そういう背景があって、あまり馴染みのないことばですが、孫の男女を区別したいときに便利であり、男女平等の観点からも、新聞では『孫息子』を使っているそうです。
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2019年10月09日

「源氏姉妹 (げんじしすたあず)」

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酒井 順子 著
新潮社 出版

 源氏物語を紐解き、光源氏と関係をもったシスターズを著者の解釈を加味して比べるという企画です。物語の流れや背景を説明したあと、女性たちになりかわって著者が独白するのですが、その独白は、それぞれの個性がうまく描き分けられ、かつ現代女性にとってもわかりやすいよう語られています。

 観察眼に優れた著者の的を射た分析と好みの表明は読んでいると楽しくなります。

 戦後、男性に比べて女性の生き方は多様化してきました。専業主婦に限られず、共働きという選択肢も生まれ、働くにしても補助的な仕事はもちろん、高度に専門的な仕事に就くことも不可能ではなくなりました。

 それぞれの女性がそれぞれの生き方を模索する時代、さまざまな価値観で光源氏と交わった女性たちを見てみることは、時間という距離がある安心な場所から眺められるだけに意外と楽しいものです。

 わたしがもっとも共感を感じられなかった女性は六条御息所です。夕顔、葵上、紫上と 3 人のシスターズを怨み殺してしまったほどの気持ちを哀れに思うもののそこまでの気持ちは理解できませんでした。著者は『どれほど源氏から疎まれても憎まれても、死んだ後まで、一個の人間として生きる道を選んだ』と評しています。一個の人間として生きることは確かに大切ですが、他人の命を巻きことはまた別の問題だと思いました。

 いっぽう、恋しいと思っている相手が閨をともにするため足繁く通ってくることがなくなっても『ひがむことなくおっとりと対応し、言いつかった仕事を粛々とこなしていた』花散里には、共感できました。著者も、そんな花散里は結局のところ幸福に恵まれたと書いています。

 ほかにも源氏の父の妻にあたる藤壺宮、その藤壺宮の面影のある紫上、床上手だったのではないかといわれる夕顔、源氏が幅広い世代の女性に手を出していた証のような源典侍(げんのないしのすけ)など様々なシスターズが登場し、様々な立場の女性の気持ち窺い知ることができ、源氏物語が長年にわたって読み継がれてきた理由のようなものをあらためて知ることができた気がします。
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2019年10月08日

「行動経済学まんが ヘンテコノミクス」

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佐藤 雅彦/菅 俊一 原作
高橋 秀明 画

『行動経済学』とは、有斐閣の経済辞典によると、実験などで繰り返し観察される行動様式を取り入れて経済主体の行動の公理をつくり,それを基に理論を構築する手法の経済学のことだそうです。

 行動経済学者リチャード・セイラーは、行動経済学によって得られた知見は、普段の生活の中で、非合理的な行動を起こしそうな時に、わたしたちをナッジ (nudge:注意をひくために、人を肘でそっと小突いて知らせる) ためのものになっていくべきと述べています。

 つまり、非合理的な自分たちの行動を知り非合理な判断を避けるため、行動経済学を学ぶことは有益であるというわけです。

 ただなかには、マイペースなわたしには当てはまらないと思える行動パターンが稀に紹介されていました。たとえば性格診断を使って説明されていた『バーナム効果』です。提示のされかたによってわたしたちは、実際はどんな人にでも当てはまる性格に関する記述を自分のためのものとして解釈してしまうことがあるそうです。これにより、占いなどで何に対しても『当たってる!』と思ってしまうようなことが起こります。例として用意された性格診断を読んで、わたしには当てはまらないと思ったわたしは性格に偏りがあり、バーナム効果が及ばないのかもしれません。著者が期待していない学びを得られました。

 逆に、期待されたとおりの学びがあったのが『代表制ヒューリスティック』です。わたしたちは様々な物事を見聞きしたときに、すでに抱いているイメージに囚われて偏った判断をしてしまうことがあります。その心のはたらきが『代表制ヒューリスティック』と呼ばれます。

 なぞなぞ形式で問われます。『ある教授のお父さんのひとり息子が、その教授の息子のお父さんと話をしていますが、その教授はこの会話には加わっていません。こんなことは可能でしょうか。』

 答えは『可能』です。性別が限定される単語が 2 種類出てきますが、教授の性別には触れられていません。女性なら可能なわけです。でもなんとなく男性だと想定してしまいます。それが『代表制ヒューリスティック』というわけです。自分が抱いた漠然としたイメージに悲しくなりましたが、いい勉強になりました。
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2019年10月07日

「つながりに息苦しさを感じたら読む本」

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村上 剛 著
セルバ出版 出版

 サブタイトルとして「心が 9 割ホッとするコミュニケーションスタイル」と書かれていますが、これはこの本の内容をあらわしていないと思います。

 NLP University 認定マスタートレーナーという著者の立場から推察すると、NLP のあれこれを伝えるため、この本を書かれたのでしょう。しかし残念なことに、その幅広い知識が細切れに披露されるだけで、コミュニケーションの改善に絞った適切な助言にはなっていません。

 ただその細切れの知識のなかに、納得できる点がいくつかありました。

 そのひとつが『表象システム』です。視覚優位、聴覚優位、体感覚優位にわかれ、それぞれ行動、思考、価値観などの観点から異なるそうです。この本の内容を読む限り、わたしは、聴覚優位に該当するようです。

 聴覚優位の場合、思考が論理的で思考パターンは情報の配列となり、長所は、話の筋が通っている、言語に対し厳密で定義づける傾向があるそうです。短所は、柔軟性に乏しく、コンピュータのようだとのことです。

 視覚優位の場合、思考が直感的で情報の全体な統合を得意とし、長所は、頭の回転が速く、絵画的表現に優れ、モデリングが得意ということです。短所は、話題が飛びがちで、非難が多く、憶測や歪曲も多いそうです。

 体感覚優位の場合、思考が感覚的・情緒的で、情報を現実化する傾向があり、長所は、情け深く優しく、鋭敏な身体感覚を持ち、共感性が高いところです。短所は、感情に取り込まれやすい点です。

 自分を再確認し、他者との違いを把握するのに、この『表象システム』は、役立つように思いました。ただこの差異を越えて良いコミュニケーションを取るにはどうすればいいのかという観点からの記載がなく残念でした。
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