2019年12月25日

「あたりまえなことばかり」

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池田 晶子 著
トランスビュー 出版

 哲学者が書いた本です。哲学と聞くと、自分には理解できないと構えてしまうのが常ですが、難しいことばが何ひとつ登場しないこの本は、肩の力を抜いて読むことができました。

 著者は、哲学とは『考えること』だと言っています。哲学者の本だとか学校の先生の言うことに頼るのではなく、手ぶらで零から『不思議』について考えるべきで、それが哲学だと主張しています。

 そしてその哲学の原点は、無知の知を自覚することだと言います。ソクラテスのことばを引用した説明によると『考えても何の得にもならない。しかしわからないことをわかろうとして考え始めて、如何にわからないかということをはっきりとわかることができる』そうです。これをソクラテスは、無知の知と呼びました。

 そして時には、わからない、理解できないと知ることが、それだけで十分な癒しになり得ると著者は考えています。たとえば人生です。その形式、生まれてから死ぬまで生きているという形式は、単純明快であるいっぽう、心であるところの人生、その複雑な動きをそれとして理解することは、複雑で難しいので、その事実を知るだけでも救いとなるかもしれないと著者は考えています。

 もうひとつ印象に残ったのは、心がどういったものかという考え方です。心とは、一般的にはわたしのなかにあるとされていますが、心のなかにわたしがあるという考えることもできるというのです。これはユングも行き着いた壮大な逆説だと著者は紹介しています。そう考えると、宇宙論的な奥深さのうちに心を認めることができ、心を理解できない事実を受け止めやすくなる気はします。

 考えもせずに、世の中なんにでも答えがあると思う自分より、考えて考えて、理解できないと知る自分でありたいと思いました。

 著者は、「なぜ生きるのか」という問いに「存在するから」と答えるそうです。「なぜ存在するのか」となお問われたら「さあ」と言うしかないと書いています。わたしもわたしなりの「さあ」に辿りつきたいと思います。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする