2020年03月31日

「7番街の殺人」

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赤川 次郎 著
新潮社 出版

 子供のころに赤川次郎作品を頻繁に読んでいた時期があり、懐かしさから文庫になったばかりの本作品を読んでみました。

 数十年の時を経ても、赤川次郎作品らしい安定感と雰囲気は変わらず、安心して読めました。表紙を開いてから閉じるまでの 3 時間ほどのあいだ、次々と人が死に、主人公の女の子が安全ながらも大変な状況に置かれているにもかかわらず、なぜか全体的に拍子抜けする程ふんわりのんびりした空気が漂い、ちょっと間の抜けたボーイフレンド未満が頑張り、ハッピーエンドを迎えるという赤川次郎作品の定番中の定番路線を楽しめました。

 ただ、時代を感じさせられたところもありました。タイトルになっている 7 番街というのは団地の 7 号棟のことで、その団地は住む人もほとんどなく高齢者だけが残っているという限界集落のような設定になっていました。

 今回の赤川次郎作品を読んであらためて思ったのは、時代の流れに合わせて変わる部分はあっても、ちょっとリラックスしたい時間に別世界を楽しむという読書の期待を裏切られたことはないということでした。そういう意味では、すごい作家なのだと思います。
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2020年03月30日

「さよならセキュリティ つながり、隔たる、しなやかなセキュリティの世界」

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大竹 高史 著
インプレス R&D 出版

『セキュリティ』という用語を聞いて何をイメージするかは人によって異なると思いますが、わたしは、この本のタイトルを見て、日々仕事で使っているパソコンがネットワークを介してクラッキングされるリスクを思い浮かべました。

 そのほかに、自分がどんな種類のリスクに日々晒されているのか、これまで認識してこなかったと、この本を読んで知った気がします。

 たとえば、最近話題の AI のセキュリティ面の脆さは、教師データや報酬の誤りにあると説明されています。著者は、AI が行なう『学習』を『教師あり学習』と『強化学習』に分けて説明しています。前者の場合、過去のデータから正解を正解として学び、後者の場合、AI が選んだ結果に対して正解、不正解を『報酬』という形で教えるとしています。

 もし、正解でないデータを正解として教えたり、『報酬』が誤って与えられれば、AI は、誤った判断をするようになります。実例として挙げられているのが Amazon の実証実験で、これは 2014 年に始められ、2017 年に打ち切られました。理由は、過去 10 年分の社員情報を学習していた AI の公平性を証明できなかったからです。実際の社員情報において、圧倒的に男性の情報が多かったから、AI は男性=優秀と判断するようになったというのです。

 AI がどう判断するか、そのアルゴリズムはブラックボックスです。どういうデータの積み重ねが AI の判断を構築したか、明確にすることはできません。そんな AI が入社試験の一次判定をする時代にわたしたちは、公平性を担保しようと自ら動く Amazon のような企業だけが存在することを期待していいのでしょうか。

 テクノロジーの進歩と同時に『セキュリティ』に対する概念も進歩させなければならないと思いました。
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2020年03月12日

「サクラと星条旗」

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ロバート ホワイティング (Robert Whiting) 著
阿部 耕三 訳
早川書房 出版

 日米の文化比較のような本かと、タイトルから勘違いをして入手しました。実は、米国のメジャーリーグのあれこれをそこで活躍する日本人選手を中心に紹介するエッセイです。普段野球を観戦しないので、メジャーリーグに渡った日本人はこんなにも多かったのかと今更ながら驚いたのですが、プレーの話題以外でも色々驚かされたことがありました。

 そのなかでも数字絡みのことは、印象に残りました。ひとつは『セイバーメトリクス (SABR metrics)』です。SABR は、Society for American Baseball Research (アメリカ野球学会) のことで、metrics は指標や評価基準を指します。統計学の一種ですが、これで選手の価値が判断されるそうです。WHIP、PAP、VORP、BIP% など、見てもわからないメトリクスばかりですが、これらを駆使して、野球経験がまったくないながら活躍する GM もいるそうです。

 もうひとつは、日本の球団の懐事情は、年間(数)十億円レベルの球場使用料で痛むいっぽう、米国の球場は、莫大な地元の助成金で支えられ、球団が多額な使用料を支払うことはないという日米の対照的な状況です。こうして球団が選手に資金を投入できる余裕が生まれ、日本の優秀な選手がメジャーリーグに移っていく事情も生まれているようです。結局のところ、地元の助成金も、球場で試合が行われることによる経済効果をもとに算出されているのでしょうから、スポーツも結局は経済活動のひとつということなのだと今更ながら気づかされました。

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2020年03月11日

「旅に出る時ほほえみを」

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ナターリヤ・ソコローワ 著
草鹿 外吉 訳
白水社 出版

 最初に世に出されたのが 1965 年という古い作品で、1967 年に日本語に訳され (邦題は「怪獣 17P」)、1978 年に改訂 (邦題は「旅に出る時ほほえみを」) され、それがここに再刊されたそうです。

 ジャンルとしては、いわゆる SF なのですが、ヨーロッパ・アメリカ流の SF ではなく、ソ連風にいうところの『科学幻想小説 (ナウーチナヤ・ファンタースチカ)』なのだと、巻末の解説に書かれてありました。作者自身はこの物語を『現代のおとぎばなし』と称しているそうで、わたしにはそのジャンルのほうが合っていると思えました。1965 年が遠い過去になってしまったことが理由のひとつかもしれません。

 もうひとつ『おとぎばなし』らしく感じられた理由は、主人公が《人間》と称され、最初の翻訳版のタイトルになっている『怪獣 17P』を発明した者として『怪獣創造者』と呼ばれることはあっても、名前で呼ばれることはありません。

『人間』のほか、重要な役割を担う登場人物はほかにもいて『見習工』や『作家』などと呼ばれ、『むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが』と始まるおとぎばなしに似た雰囲気を感じさせます。

『人間』、『見習工』、『作家』などは、権力に憑りつかれた愚かで恐ろしい者たちに、人として最低限の権利さえ奪われてしまういっぽう、怪獣は優しさと成長を見せるあたり、『おとぎばなし』らしく感じられます。

 この物語のなかで、珍しく名前で呼ばれているルサールカという若い女性は『人間』に対してこう言います。『わたしをつれていって……怪獣のところへ。人間といっしょじゃやっていけないわ。人間といっしょだと、わたし、こわいんです』それに対して『人間』は答えます。『わたしも、そうだ』。

 この物語を象徴する会話だと思います。

 こんな会話が交わされた時代もあったと昔話のように語れるときを迎えたいと思いました。
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2020年03月10日

「超・箇条書き」

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杉野 幹人 著
ダイヤモンド社 出版

 以下は、本書籍の紹介です。この本に書かれた内容が実践された箇条書きだと思います。著者によると、箇条書きのメリットは、書き手が箇条書きでまとめることにより、読み手がすべき情報処理(理解するプロセス)の負担が減り、より正確に伝わることだそうです。

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 箇条書きについて、自己評価してみたところ、上記の MECE (ミーシー) 崩しができていないことに気づきました。MECE は、Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive の略で、ダブりもなく、漏れもないことを指しています。

 重複せず網羅できていることはいいことだと思っていたのですが、著者は、MECE により、伝えたい相手に引っかかるフック、山場がなくなってしまうと言っています。たしかに、伝えたい相手に伝えたい内容が伝わることが大切なのであって、網羅することを最重要事項のように考えるのは間違っているような気がしてきました。

 箇条書きの道のりはまだまだ先がありそうです。
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