2020年10月10日

「フィフティ・ピープル」

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チョン・セラン 著
斎藤 真理子 訳
亜紀書房 出版

 題名の「フィフティ・ピープル」は、この作家が『主人公のいない小説を書きたい』と思い、それが無理なら、全員が主人公で、主人公が 50 人ぐらいいる小説がいいと思ったことからきています。でも、実際に仕上がった小説には、この作家によれば、51 人登場するとか。それぞれの主人公の話が 10 ページ前後ずつ続きます。

 韓国の作品なので、日本や米国あたりでよく見かける名前に比べ、登場人物の名前が覚えにくく、最初は読み進めるのに苦労しましたが、あるストーリーの主人公が別のストーリーの脇役として再登場してもちゃんとわかり、物語と物語を結ぶ橋のような人物を探す愉しみも味わえます。

 これだけ数多くの主人公が登場すると、どの主人公にどのような感情を抱くか、誰に惹かれるかによって、これまで見てこなかった自分自身の一面を再認識させられた気がします。人のことを想う苦しさと喜びの両面を描いているチェ・エソンとキム・ヒョッキョンのストーリーには、特に惹かれました。これほどまでに人を想うことができなかった自分は「The Missing Piece」の主人公とは違って、いつまでも転がり続けて朽ち果てたように思えました。

 娘が欲しいと思っていたチェ・エソンは、ふたりの息子の嫁ふたりのうち、人形のように明るく朗らかなユンナが事故に遭ったことを機に、ふたりの嫁のことを実の娘のように思っていることに気づきます。ヒョッキョンは、天才少女と呼ばれる同僚の医師を想うあまり、彼女をサポートするために生まれてきたも同然だと何年ものあいだ考え続けた末、とうとう彼女とのデートにこぎつけます。

 いっぽう、欲しい欲しいと思っていたわけではないのに仕事運に恵まれたヤン・ヘリョンのストーリーは、誰かが見ていてくれるという幸運をわたしに思い出させてくれました。ヤン・ヘリョンは、誰もが大切に思って当然の存在、たとえば家族のような人たち以外に対しても、その人が喜ぶ何かをしてあげたいと強く想うあまり、大けがを負いますが、仕事運に恵まれます。

 自分が望んでいたものや忘れていたものをあらためて気づかせてくれた短編連作といえるかもしれません。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする