2020年12月15日

「狭き門」

20201215「狭き門」.png

アンドレ・ジッド (André Gide) 著
山内 義雄 訳
新潮社 出版

愛と同じくらい孤独」でジッドの名があげられているのを見て、そういえば……と思い出して引っ張り出してきた本です。

 タイトルは、主人公ジェロームが牧師に読み聞かされたルカ伝第 13 章 24 節から来ています。『力を尽くして狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路 (みち) は広く、之より入る者おおし、生命 (いのち) にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし』。

 このひたすら精進することを求めるようなことばを受けてジェロームがその思いを向けたのは 2 歳年上の従妹アリサで、アリサに相応しい自分であるべく最大限努めると決めます。当のアリサもジェロームに好意を寄せ、より一層自分を高めようと決めますが、ふたりはハッピーエンドを迎えませんでした。

 アリサが考える愛や幸福は、当時の女性が思い描くようなものでもなく、ジェロームが期待するようなものでもなく、神とともにあるものでした。彼女は、日記にこう書いています。
++++++++++
 いかに幸福なことであっても、わたしには進歩のない状態を望むわけにはいかない。わたしには、神聖な喜びとは、神と融合することではなく、無限にして不断の神への接近であるように思われる……もし言葉を弄することを恐れないなら、わたしは《進歩的》でないような喜びを軽蔑する、と言ってもいいだろう。
++++++++++

 神への道を進もうとするアリサは、こうも書いています。
++++++++++
 主よ、ジェロームとわたくしと二人で、たがいに助けあいながら、二人ともあなたさまのほうへ近づいていくことができますように。人生の路にそって、ちょうど二人の巡礼のように、一人はおりおり他の一人に向かって、《くたびれたら、わたしにおもたれになってね》と言えば、他の一人は《君がそばにいるという実感があれば、それでぼくには十分なのだ》と答えながら。ところがだめなのです。主よ、あなたが示したもうその路は狭いのです――二人ならんでは通れないほど狭いのです。
++++++++++

 アリサは、そう結論を出して、ひとり神のもとへ旅立ちました。宗教をもたないわたしは、そんなアリサに共感できませんでしたが、ジッドがアリサという登場人物に羨望にも似た優しいまなざしを向けていたように思えました。

 巻末の解説によると、ジッドの妻マドレーヌがアリサのモデル的存在だったそうです。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月14日

「だから、もう眠らせてほしい」

20201214「だから、もう眠らせてほしい」.png

西 智弘 著
晶文社 出版

 著者は、緩和ケアに従事する医師で、安楽死を望む患者の意思にも一定の理解を示すものの、たとえ安楽死制度があっても、自発的に死に向かおうとする人をひとりでも減らしたいと考えています。

 そんな姿勢の著者が、実際に安楽死を希望した患者を診察した経験から、ご自身の考えを深めていったプロセスが、この本には書かれてあります。そのため、先ごろニュースになっていた ALS 患者のように身体的自由を失われた精神的苦痛がおもな理由と思われるケースなどは含まれず、安楽死を包括的に議論するということではありません。

 それでも著者が辿ったプロセスを読むと、共感できる部分と共感できない部分があることに気づかされました。

 自分のものとは違う考え方だと感じたことのひとつは、『日本と欧米では、死は個人のものなのか、家庭内のものなのかという文化的概念が異なる』というものです。たとえばオランダでは個人の生き方を尊重した結果、安楽死が増えているが、日本では安楽死制度があっても、周りの人たちに支えられていれば、安楽死は選ばないという意見です。わたし自身は、現代においてその対比は疑わしいと思っています。

 逆にそのとおりだと思ったのは、『安楽死に関係する人が強い人と弱い人に二極化している』という考えです。生き方と同様死に方を選ぶ発想から安楽死をひとつの選択肢として考える強い人がいるいっぽう、日本が貧しくなって相互援助が成り立ちにくい状況のなか周囲から見捨てられて安楽死しか選択肢がないように感じる弱い人がいるという意見です。その状況で良いというつもりはまったくありませんが、その現実を直視して議論していく必要はあると感じました。

 身近なところで緩和ケアを見た結果、自分が癌の終末期を経験するとしたら、持続的鎮静を選びたいと思うようになったので、医療の現場が鎮静をどう捉えているかわかったことは良かったと思います。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月13日

「百年の轍」

20201213「百年の轍」.png

織江 耕太郎 著
書肆侃侃房 出版

 タイトルにある『百年』は、家系における 4 世代という期間や林業が『百年』産業と言われることに関係しています。轍は、軌跡と言い換えることができます。

 その 4 世代は、矢島家、岩城家、鬼塚家といった家族を中心に描かれます。矢島家の 3 世代目にあたる矢島健介は、父親の矢島裕一の通夜で見知らぬ人たちと会ったことをきっかけに、自分のルーツを知りたいと思い、新聞記者としてのフットワークをもって過去を調べ始めます。

 その過程で、第二次世界大戦や林業の衰退といった社会環境だけでなく、自分たちの家族に降りかかった問題と、それがこれまで受け継がれてきた事実を知ります。そして物語自体は、矢島健介の息子、周平の世代で終わります。

 物語の最初のワンシーンは、100 年以上も前に伝統木造構法で建てられたある旧家の解体から始まります。そして、最後に同じシーンに戻ってきたとき、その解体は、さまざまな解体の象徴のように読めました

 床柱のある伝統木造構法、妻たちが陰で家長を支える家系、意にそわずとも命を賭して戦わなければならない状況が生んだ過ちなど、すべての終焉に見えました。わたしたちがこの百年間で失ったものと得たものそれぞれを思い起こさせるような物語でした。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月12日

「愛と同じくらい孤独」

20201212「愛と同じくらい孤独」.png

フランソワーズ・サガン (Françoise Sagan) 著
朝吹 由起子 訳
新潮社 出版

 サガンが 18 歳のとき「悲しみよ こんにちは」を書いたということを、自分が 18 歳のときに偶然知って、とても驚きました。微妙な心理や社会の暗黙のルールを捉えた彼女に羨望を覚えたように記憶しています。

 この本は、サガンのインタビューをまとめたものです。タイトルは、インタビューのなかで作品のテーマは常に『孤独』と『恋愛』だと話していることから来ていると思われます。

 はっとさせられたことがいくつもありました。

++++++++++
愛することはただ《大好き》ということだけではありません。特に理解することです。理解するというのは見逃すこと……余計な口出しをしないことです。
++++++++++

++++++++++
人間は一人孤独に生まれてきて、一人孤独に死ぬのです。その間はなるべく孤独にならないように努めるわけです。人間は皆孤独だと《感じ》ていて、そのことを非常に不幸に思っている、とわたしは心の底から信じています。
++++++++++
 サガンは、孤独 (ひとりの時間を過ごすことではない真の孤独) をまぎらわせるために人がまずすることが恋愛だと考えています。

 なかでも、これまで経験としてわかりすぎるほとわかっていたのに言葉にしたことがなかったと気づかせてくれた次の言葉は印象的でした。
++++++++++
想像力は最大の美徳です。頭、心、知能、すべてに関わりがありますから。想像力はなかったらおしまいです。
++++++++++
 そこにあることが見えていたのに、言語化できていなかった何かは、わたしのなかにまだあるのかもしれません。
posted by 作楽 at 22:00| Comment(0) | 和書(エッセイ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月11日

「空ニ吸ハレシ 15 ノココロ」

20201211「空ニ吸ハレシ 15 ノココロ」.png

園田 由紀子 著
株式会社PHPエディターズ・グループ 出版

 帯には『往復書簡で描くある家族の物語』とも『実話を元に描く感動作』とも書かれています。いまの時代、実話が元になっていて往復書簡というのが、なんとも古風な雰囲気を醸しますが、2007 年から 2008 年にかけてのことなので、そう古い話ではありません。

 手紙をやりとりしているのは、夫と死別して老人ホームに入居した女性と、彼女の孫で入学を機に寮暮らしを始めたばかりの女子高生です。タイトルは、孫宛てに書かれた手紙に登場する石川啄木の詩の引用からきています。
 不来方 (こずかた) のお城の草に寝ころびて
 空に吸われし
 十五の心

 自らの若かりしころを思い、孫の年齢を思い、思い出した歌なのかもしれません。この祖母と孫の往復書簡が成立したのは、いまの若い世代のことばを説明しつつ祖母に宛てて手紙を書く理沙のやさしさと、孫の世代が知らない過去の話を伝えつつも押しつけがましい書き方を避ける妙子の思いやりがあったからだと思います。

 しんみりとする最後でしたが、いまの殺伐とした時代に心が和みました。
posted by 作楽 at 19:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする