2021年02月04日

「嫌いなことから、人は学ぶ」

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養老 孟司 著
新潮社 出版

 嫌いなことからは遠ざかりたいと常に考えてきたので、嫌いなことからも何か吸収できるものなら、そうなりたいと思って、この本を手にしました。

 しかし、嫌いなことから学ぶことをテーマにした本ではありませんでした。「考える人」2005 年春号から 2008 年冬号までに掲載された内容がもとになっていて、テーマは多岐にわたっています。巻末の内田樹氏との対談のみ、この本のために追加されたそうです。そのため、「まともバカ―目は脳の出店」を読んだときと同じように重複による煩わしさを多少感じました。

 イメージしていたのとは少し違う内容でしたが、確かにそうだと納得して学べたことが数多くありました。それと同じくらいわからないこともありましたが、わからなかったことをどう受け止めればいいかは、内田氏が対談で語っていた内容が印象に残りました。

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『わからない』というのは、『わからないので今すぐ教えてください』という話ではなく、『この辺がわからないけど、気長に片付けよう。まだ自分には修業が足りないので』という『わからなさ』だからいいんです。『わからないから教えてください』というのは横着なんですよ。読んでわからないのは、わかるだけのレベルに達していないということなんだから、『ああ、わからない、わからない』と思いながら、『デスクトップ』に置いておけばいいんです。デスクトップに置いてあると、いつも気になっていて、何年かたって開くとささっと読めた、ということになる。だから、たくさんわからないところがある本はよい本だとぼくは思っているんです。そこから始めればいいんだから。
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『わからない』から読まないでもなく、『わからない』から訊くでもなく、『わからない』から修行を始めるという考え方には、はっとさせられました。逆に、読んでわかったことというのは、わかるための修行が終わっている状態で、ただ理解できていることの存在に気づかされただけなのかもしれません。

 養老氏が語っていたなかで、腑に落ちたのは、世界の見方は、言語の性質に影響を受けているという考えです。

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階層性の感覚は、日本人には乏しいといわれる。それは文章に関係代名詞が欠けているからだ、と。関係代名詞があると、単一の文章のなかに、主と副という「階層」が発生する。西欧語では、こうした階層が日常的なのである。しかも階層は一段階あればいいので、あとはそれこそ『同じこと』を積み重ねていけば済む。もう一つ、すでに古く論じたことだが、西欧風の還元主義はアルファベットと関係している。私はそう思う。英語であれば、26 文字と空白、コンマ、ピリオドで世界を描くことができる。それなら世界のあらゆる物質を、百の原子の集まりとして記述することに、抵抗感がなくて当然である。こうして世界の見方は、当たり前だが、言語の性質に大きく依存する。言語は意識の機能で、それなら科学を論じるよりは、そちらを論じるほうが先ではないか。というふうに話はどうしても意識の一般的性質に戻る。しかも世界のあらゆる言語は、意識の性質をよく反映しているはずである。それなら同一性、差異、階層性、こうしたすべては意識が基本的に持っている性質に違いない。意識のそうした基本的性質を吟味することが、本来の哲学の役割であろう。これを意識の博物学といっていいだろうと私は思う。ところが意識の博物学が意外にかけていたのである。私が教育を受けた時代に、すでに博物学は時代遅れの学問だったからである。意識にはどれだけの種類があるか。それすらよくわかっていない。
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 IT 業界の仕事を長くしていると、文字の数がさまざまなことに大きく影響してきたことを実感します。しかし、還元主義とも関係していたとは思いもしませんでした。世界の見方、特に還元主義と言語の性質の関連性は、興味深いテーマでした。

 ただ、『意識の種類』には、具体的にどういった例があるのか、ピンときませんでした。これから修行したいと思います。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする