2021年02月25日

「それから」

20210225「それから」.png20210225「それから」1.png


夏目 漱石 著
朝日新聞社

 家の整理をしていたら、『それからノート』なるものが出てきました。1909 年 6 月から 10 月にかけて朝日新聞紙上で連載された、夏目漱石の「それから」は、2015 年に再連載されました。それら連載を切り抜いて貼ることができるノートです。

 ノートには、漱石が、大学で教える仕事を辞し、朝日新聞社に入社した経緯を綴った「入社の辞」が掲載されています。大学講師として得ていた年俸 800 円では、子供が多くて家賃が高い状況では暮らしがたたず、他校の仕事を掛け持ちして凌いでいたところに、『文芸に関する作物 (さくぶつ) を適宜の量に適宜の時に供給』する担当として朝日新聞から誘われ、新聞社では『米塩 (べいえん) の資に窮せぬ位の給料をくれる』いっぽう、教師として収入を得ることを禁じられたので、未練なく新聞社の仕事一本に絞ったようです。

『何か書かないと生きてゐる気がしない』という状況にあった漱石にとっても、彼の作品を楽しんだ人々にとっても、利のある転職だったように見受けられます。ただ、後世において、ずっと読み継がれる作品を書いた作家が、そこまで生活に窮していたのは驚きです。

 漱石の初期三部作「三四郎」(1909年)、「それから」(1909年)、「門」(1910年)の 2 番目にあたるこの作品の主人公は、長井代助という高等遊民です。中学時代からの友人平岡 (代助が思いを寄せる三千代の夫) に向かって、次のように語ります。
++++++++++
僕の知ったものに、まるで音楽の解らないものがある。学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒も懸け持ちをやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読 (したよみ) をするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているより外に全く暇がない。たまの日曜などは骨休みとか号して一日ぐうぐう寐ている。だからどこに音楽会があろうと、どんな名人が外国から来ようと聞 (きき) に行く機会がない。つまり楽 (がく) という一種の美くしい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくちゃならない。僕からいわせると、これほど憐れな無経験はないと思う。麵麭 (パン) に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麵麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない。
++++++++++
 漱石の「入社の辞」を読んだあとに「それから」を読むと、ここで語られる学校の教師と漱石が重なります。

 代助は、三千代と結婚すると決めたがために、高等遊民という立場を捨てざるを得なくなり、結果的に『麵麭に関係した経験』を始めることになります。代助が自らのエゴイズムから自らのいう劣等なことに追い込まれる場面で、先のセリフに教師を登場させた漱石の思いを知りたくなりました。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする