2021年05月15日
「チョコレート工場の秘密」
ロアルド・ダール (Roald Dahl) 著
クェンティン・ブレイク (Quentin Blake) 絵
柳瀬 尚紀 訳
評論社 出版
「The WITCHES」を読んだ際、ロアルド・ダール作品に登場する単語の辞書 (Oxford Roald Dahl Dictionary など) があることを知りました。それで、造語が多いロアルド・ダール作品がどう翻訳されているのか気になり、「Charlie and the Chocolate Factory」の翻訳本を読んでみました。
訳者あとがきにあたる部分 (この本では『訳者から――空想講演「チョコレート工場の秘密」』と題し、読者に語りかけるスタイルで翻訳家が書いています) で原文に込められた意味をどう反映されたか、詳しく説明されていました。
以下は、Willy Wonka のチョコレート工場を訪問するチケットを手に入れた子供たち 5 人と工場で働く人たちの名前 (正確には (6) は、名前ではありません) です。
(1) Charlie Bucket …… チャーリー・バケツ
(2) Augustus Gloop …… オーガスタス・ブクブクトリー
(3) Veruca Salt …… イボダラーケ・ショッパー
(4) Violet Beauregarde …… バイオレット・アゴストロング
(5) Mike Teavee …… マイク・テレヴィズキー
(6) Oompa-Loompa(s) …… ウンパッパ・ルンパッパ人
これら英語名のなかで、英語の発音を模してカタカナ表記しているのは、Charlie、Augustus、Violet、Mike です。それら以外については、なぜその日本語名にしたのか説明されています。
(1) Bucket は、『バケット』とされるところですが、日本語では旧来『バケツ』と呼ばれているため、敢えて『バケツ』としたそうです。変な名前だという印象が伝わってきます。
(2) Gloop は、Glop (どうにもまずくて食べられない食べ物という意味があります) と Goop (Glop と同じ意味のほか、間抜け・鈍感の意味もあるそうです) の合成だそうです。オーガスタスは食べ通しで丸々としているため、ブクブクトリーという名前が似合っています。
(3) Veruca に r を加えた Verruca がイボ・タコといった意味なので、名前をイボダラーケにしたそうです。苗字のほうは、ピーナツで成功した父親にちなんでいて、すべて金で解決しようとする、成金趣味のしょっぱい味がすることからショッパーだそうです。
(4) Beauregarde の由来については、翻訳家も推測を絞り切れなかったようです。フランス語の Beau Regard (美しい視線) をブラックユーモアとして使った案とアメリカの新聞連載漫画に登場する Beauregard (ボウリガード) という猟犬をもじった案を紹介しています。それがアゴストロングになったのは、寝ているとき以外はずっとガムを噛み続けているからです。
(5) Teavee は TV の音からきていて、テレビばかり見ているこの男の子にテレヴィズキーという名前はぴったりです。
(6) Oompa-Loompa の前半は、Oompah または Ooompahpah (ブラスバンドみたいな『ぷかぷかどんどん』といった擬音です)、後半は Loom (ぬーっと現れることです) からきていて、語呂を考え、この訳にされたそうです。
凝りに凝った訳ばかりで、誰にでもできることではないと感嘆させられます。さらにすごいのは、脚韻を踏んだとても長い歌詞の歌を何曲かウンパッパ・ルンパッパが歌うのですが、すべての脚韻を踏襲して訳してあります。並大抵ではない意気込みというか、凄みが感じられました。
2021年05月01日
「熱源」
川越 宗一 著
文藝春秋 出版
舞台となっているのは、日本が樺太、ロシアがサハリンと呼ぶ島で、時代は、19 世紀末から第二次世界大戦の終わり頃までです。物語は、流刑囚として島にやってきたポーランド人ブロニスワフ・ピョトル・ピウスツキの視点で進むこともあれば、先住民であるアイヌ、ヤヨマネクフの視点で進むこともあり、アイヌの言語や文化に魅せられて研究を重ねる和人 (金田一京助) や、『東洋の優秀民族たる日本人に同化し、未開な蛮習を捨て、文明に参加するべく』アイヌの人々に説く和人も、登場します。
文明とは何か、民族を形成する大きな要素である文化とは何か、民族が滅びるとはどういうことか、いろいろ考えさせられました。
タイトルの「熱源」は、20 歳のときの軽率な行動がもとで 15 年もの懲役刑が下され、それを終えてもなお流刑入植囚として 10 年間樺太に縛られると決まったブロニスワフが、現地のアイヌやギリヤークの人々の言語、伝統、文化に触れたことによって湧きおこった、それらを深く知りたいという衝動、つまり (情) 熱の源を指しています。
同時に、和人が押し寄せて様変わりした樺太ではなく、自らの本当の故郷に帰り、アイヌとして生きたいと渇望するヤヨマネクフを突き動かす熱の源も意味するのかもしれません。
ロシアに支配されたポーランドから来たブロニスワフ。先住民でありながら、あとからやってきた和人に同化を迫られ、アイヌは滅びると言われ続けるヤヨマネクフ。この両者には、共通するものがあります。それは、力を有する者が勝つ弱肉強食の世界で、弱者が、強者の言語を話し、強者の価値観に染まり、その支配下に置かれてしまう流れに抗おうとすることです。
ブロニスワフは、樺太の地でアイヌの妻を娶り、子を授かったにもかかわらず、ポーランドの独立闘争に加わるべく単身故郷に帰ります。ヤヨマネクフは、アイヌがアイヌとして生きているうちにアイヌとして南極点到達を成し遂げたいと橇を引く樺太の犬たちと一緒に南極探検隊に加わります。
正直なところ、ブロニスワフが樺太を自らの第二の故郷とせずに生まれた地を故郷としてその独立を願う気持ちやヤヨマネクフがそこまでして守りたいものなどが、わたしにはよくわかりませんでした。
たとえば、アイヌがアイヌ語を話さなくなったら、草皮衣を身に着けなくなったら、滅びたことになるのでしょうか。日本語を話す人がいる限り、日本民族は滅びたことにならないのでしょうか。『民族』というのが何か、自分がわかっていないことに改めて気づかされました。