2021年05月31日

「法廷遊戯」

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五十嵐 律人 著
講談社 出版

「無辜ゲーム」と「法廷遊戯」の 2 部構成になった小説です。前半の第 1 部では、ロースクールの模擬法廷で行われる無辜ゲームとはどんなものか、登場するのはどんな人物でお互いどう関係するのか、などが明らかにされます。後半の第 2 部では、第 1 部で主要な役割を果たした登場人物が、ゲームではない本物の裁判において、被害者、被告人、弁護人となって物語が進みます。

 法律用語が文中に登場しますが、都度わかりやすい説明が付され、理解しながら読み進められるようになっているだけでなく、法曹であろうとも人としての誤りから逃れられないこと、罪を犯した者たちが不起訴になるケースが多いこと、裁判は真実を明らかにするための場ではないこと、冤罪を晴らすことは不可能に近いことなどの事実を再認識できるようになっています。

 法制度、加害者家族問題、児童虐待、貧困問題など、正解のない問題が満載の作品ですが、わたしにとって一番印象に残っているのは、第 2 部で弁護人を務める久我清義を見て、『良心を持ち合わせること』と『他者に対しては想像力が働かないこと』は、最悪の組み合わせで、やりきれないと感じたことです。

 良心を持たなければ、他者に対する想像力がなくても、本人にとっては何ら不都合はないでしょう。(周囲の人々にとっては、迷惑そのものだと思いますが。)

 しかし、久我清義のように、良心を有したまま、逮捕されるリスクを無実の第三者に転嫁させる手筈を整えて罪を犯せば、罪を犯してまで手に入れたものを危うくしてしまいます。久我清義に起こった問題をこの先できるだけ起こらないようにするには、『自分だけでなく他者にも想像力を働かせる余裕』が必要なのでしょう。しかし、その難しさも同時にこの小説で示されているために、やりきれない気持ちが残ったのだと思います。
posted by 作楽 at 19:00| Comment(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする