
スティーヴン・キング (Stephen King) 著
山田 順子 訳
新潮社 出版
以下の二篇がおさめられています。
- スタンド・バイ・ミー (The Body)
- マンハッタンの奇譚クラブ (The Breathing Method)
「スタンド・バイ・ミー」は、映画にもなった有名な作品で、読んでいると、つい「Joyland」を思い出してしまいます。仲間と過ごした時間や古き時代は、もう戻ることができないゆえに、そこに思いを馳せるたび、輝きと重みを増していくものなのかもしれません。
日本語の『少年』ということばは、『男の子』や『男』といったことばに比べて、ぴったりくるシチュエーションが少ない気がしますが、この物語は、四人の『少年』が一緒に過ごした最後の夏の冒険と称するに相応しい気がします。
夏の終わり――9 月から始まる新学年の直前、もうすぐ 13 歳になる (英語でいうティーンエイジャーの一歩手前)、クリス・チェンバーズ、ゴードン・ラチャンス、テディ・デュシャン、バーン・テシオの 4 人組が、自分たちと同じ年頃の少年の死体を見に行った 2 日間を、作家になった 34 歳のラチャンスが振り返るスタイルで描かれています。
それぞれに問題を抱えた 4 人の少年ですが、将来作家になる夢を抱き、実際に作家になったゴードンの人を見る目は『男の子』というにはおとなびていて、『男』というには仲間内の暗黙の了解事項への一途さが真っすぐ過ぎるように感じます。
さらにクリスにいたっては、恵まれない境遇にあり、『人の足を引っぱるのは人』だという諦念に達していて『男の子』というには成熟し過ぎているいっぽう、自らの孤独を和らげるために不遇仲間を得ようと友人を引きずり込むのではなく、突き放す思いやりがあり、『男』というには不釣り合いな純粋さが感じられます。
何よりも『少年』を感じたのは、4 人が列車にはねられた遺体を見つけた直後、炎天下のなか 1 日かけて歩いてきた自分たちとは違って、クリスやバーンの兄がいるティーンエイジャーグループが車でやってきて鉢合わせした場面です。ゴードンは、自分たちが彼をみつけたのだから、自分たちに優先権があると声に出して主張し、『年上の体の大きな連中に横盗りさせるわけにはいかない』と、躍起になる姿が、人生においてほんの短い時期にしか起こりえない真の怒りに見えました。
そんな『少年』の物語に続く、『おとなの男』、「マンハッタンの奇譚クラブ」は、読み始める前は「スタンド・バイ・ミー」の付録のようにしか思えませんでしたが、意外性に満ちていて楽しく読めました。奇譚にフォーカスした作品かと思いきや、結末で示される語り手の推測に、どきっとさせられました。