
ミア・カンキマキ (Mia Kankimäki) 著
末延 弘子 訳
草思社 出版
フィンランド人の著者は、ある日本文学講座で、清少納言「枕草子」の英訳版 (イギリスの日本文学研究家アイヴァン・モリスが訳した「The Pillow Book of Sei Shōnagon」) を読む機会を得たとき、清少納言が着目したことの多くが、驚くほど身近で、まるで自分に話しかけているみたいに感じたそうです。それから 15 年ものあいだ清少納言の考えに触れ続け、2010 年、1 年かけて清少納言を探しにいって、そのことを書こうと決めたのでした。
そうして書かれたこの本の内容は、少し変わっています。大きく分けて 4 種類のコンテンツから構成され、それぞれがあまり境目を感じさせず連なっています。(著者自身は、本作を『文学的な趣のある自伝紀行文学』と評しているそうです。)
一種類目は、清少納言のことを『セイ』と呼びかけ、千年もの時を超えて清少納言に語りかけるスタイルで書かれています。清少納言および枕草子は、同時代の紫式部および源氏物語に比べて、英語で得られる情報が少なく、日本語ができない著者のいらだちとともに、彼女の想像力の豊かさが感じられます。
二種類目は、著者が『清少納言のものづくしリスト』と呼ぶ、あるテーマのもと、数々のものや事柄を並べたものを真似て著者が書くリストです。
三種類目は、[清少納言の言葉] という著者なりの現代語訳 (日本語古文→フィンランド語現代文→日本語現代文というプロセスを経たことになります) とそれに付随する解説です。わたしは、初めて現代語訳を読んだので、まるで見知らぬ文献のように見えましたが、解説については、それまで知らなかったことも含まれていて、意外にも楽しめました。
四種類目は、いわゆる紀行文のようなもので、著者が清少納言や日本 (平安時代を含む日本の文化全般) を知りたいと日本に滞在した際の経験が描かれています。欧米人から見た日本といった紀行文は、珍しいものではありませんが、著者らしいユーモアのセンスが随所に見られ、和やかな気持ちで読み進められます。
彼女が日本語ができないことなどを考えると、清少納言に触れたいと日本にやってきた彼女の決断は突拍子もないことに見えるかもしれません。でも、その決断に至るまでの話を読んだとき、わたしは、まるで自分のことのように感じました。あたかも、著者にとっての清少納言が、わたしにとっての著者であるかのように。そうして、この 500 ページ近い本を読み進めるうち、自然と彼女を応援したくなりました。
それだけではありません。彼女が清少納言が生きた時代を知ろうと、源氏物語絵巻を観賞に出かけた際、詞書を見て、『踊る文字、あちこちに振りまかれた金や銀の塊、極細の線の模様、嵐雲のようにそこここに黒ずんだ銀の箇所を見てみる。不意に映画音楽が背景から聞こえてきた。詞書が、紙の装飾がリズムを刻み、テンポをとり、強弱をつけたリズミカルなダンスのような、三次元で繰り広げられるドラマのように見え出した』と書いた彼女の感性に触れ、時代と国を超え、彼女に枕草子を読んでもらって、清少納言も幸せだろうなと思えました。
この本の最後で、「枕草子」がなぜ書かれたかについて、著者はひとつの結論を出しました。清少納言が仕えていた中宮定子は、定子の父 (藤原道隆) が亡くなり、叔父である藤原道長が権力を握るにつれ、宮中での立場が苦しいものになり、ふさぎこむようになりました。そんなとき、雰囲気が重苦しくならないように明るく振舞い、定子の評判を救おうと懸命に務めたのが清少納言であり、宮中での余計な苦労を忘れさせてくれる愛について語ったのが「枕草子」だと著者は見ています。さらに、清少納言のことを『中宮の宮廷道化師』であり『中宮定子の前に身を投げる守護道化師』だとも書いています。自らの評判をおとす結果になろうとも、定子の評判を守ったというのです。
清少納言については、確かな記録があまり残っていません。まして、「枕草子」が書かれた理由など断定できるはずもありません。それでも、著者がわざわざ京都までやってきて、『セイ』と語り合いながら、精一杯宮廷を想像して出した見解を支持したくなりました。