2021年12月15日

「清少納言を求めて、フィンランドから京都へ」

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ミア・カンキマキ (Mia Kankimäki) 著
末延 弘子 訳
草思社 出版

 フィンランド人の著者は、ある日本文学講座で、清少納言「枕草子」の英訳版 (イギリスの日本文学研究家アイヴァン・モリスが訳した「The Pillow Book of Sei Shōnagon」) を読む機会を得たとき、清少納言が着目したことの多くが、驚くほど身近で、まるで自分に話しかけているみたいに感じたそうです。それから 15 年ものあいだ清少納言の考えに触れ続け、2010 年、1 年かけて清少納言を探しにいって、そのことを書こうと決めたのでした。

 そうして書かれたこの本の内容は、少し変わっています。大きく分けて 4 種類のコンテンツから構成され、それぞれがあまり境目を感じさせず連なっています。(著者自身は、本作を『文学的な趣のある自伝紀行文学』と評しているそうです。)

 一種類目は、清少納言のことを『セイ』と呼びかけ、千年もの時を超えて清少納言に語りかけるスタイルで書かれています。清少納言および枕草子は、同時代の紫式部および源氏物語に比べて、英語で得られる情報が少なく、日本語ができない著者のいらだちとともに、彼女の想像力の豊かさが感じられます。

 二種類目は、著者が『清少納言のものづくしリスト』と呼ぶ、あるテーマのもと、数々のものや事柄を並べたものを真似て著者が書くリストです。

 三種類目は、[清少納言の言葉] という著者なりの現代語訳 (日本語古文→フィンランド語現代文→日本語現代文というプロセスを経たことになります) とそれに付随する解説です。わたしは、初めて現代語訳を読んだので、まるで見知らぬ文献のように見えましたが、解説については、それまで知らなかったことも含まれていて、意外にも楽しめました。

 四種類目は、いわゆる紀行文のようなもので、著者が清少納言や日本 (平安時代を含む日本の文化全般) を知りたいと日本に滞在した際の経験が描かれています。欧米人から見た日本といった紀行文は、珍しいものではありませんが、著者らしいユーモアのセンスが随所に見られ、和やかな気持ちで読み進められます。

 彼女が日本語ができないことなどを考えると、清少納言に触れたいと日本にやってきた彼女の決断は突拍子もないことに見えるかもしれません。でも、その決断に至るまでの話を読んだとき、わたしは、まるで自分のことのように感じました。あたかも、著者にとっての清少納言が、わたしにとっての著者であるかのように。そうして、この 500 ページ近い本を読み進めるうち、自然と彼女を応援したくなりました。

 それだけではありません。彼女が清少納言が生きた時代を知ろうと、源氏物語絵巻を観賞に出かけた際、詞書を見て、『踊る文字、あちこちに振りまかれた金や銀の塊、極細の線の模様、嵐雲のようにそこここに黒ずんだ銀の箇所を見てみる。不意に映画音楽が背景から聞こえてきた。詞書が、紙の装飾がリズムを刻み、テンポをとり、強弱をつけたリズミカルなダンスのような、三次元で繰り広げられるドラマのように見え出した』と書いた彼女の感性に触れ、時代と国を超え、彼女に枕草子を読んでもらって、清少納言も幸せだろうなと思えました。

 この本の最後で、「枕草子」がなぜ書かれたかについて、著者はひとつの結論を出しました。清少納言が仕えていた中宮定子は、定子の父 (藤原道隆) が亡くなり、叔父である藤原道長が権力を握るにつれ、宮中での立場が苦しいものになり、ふさぎこむようになりました。そんなとき、雰囲気が重苦しくならないように明るく振舞い、定子の評判を救おうと懸命に務めたのが清少納言であり、宮中での余計な苦労を忘れさせてくれる愛について語ったのが「枕草子」だと著者は見ています。さらに、清少納言のことを『中宮の宮廷道化師』であり『中宮定子の前に身を投げる守護道化師』だとも書いています。自らの評判をおとす結果になろうとも、定子の評判を守ったというのです。

 清少納言については、確かな記録があまり残っていません。まして、「枕草子」が書かれた理由など断定できるはずもありません。それでも、著者がわざわざ京都までやってきて、『セイ』と語り合いながら、精一杯宮廷を想像して出した見解を支持したくなりました。
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2021年12月14日

「ぶるわん」

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カルリ・ダビッドソン (Carli Davidson) 著/写真
ナショナルジオグラフィック 編集
安納 令奈 訳
日経ナショナルジオグラフィック社 出版

 犬が体をぶるぶると震わせる姿を集めた写真集です (濡れてしまったときに水気を弾き飛ばそうとするような、あのしぐさです)。撮影者は、長年犬を飼っていて、犬がぶるぶるする姿は見慣れていたはずなのに、ある日ノーバードという飼い犬がぶるぶるする姿を見て写真に撮ろうと思い立ったようです。

 エドワード・マイブリッジ* による、高速度撮影のアイデアを参考にして撮影されたこれらの写真は、どれも鮮明です。1 秒の 1 万 3000 分の 1 という閃光時間で被写体の動きを止めたかのように見えるストロボ照明が用意されたそうです。

 ぶるぶるは、犬にとって何気ないしぐさのはずなのですが、思わず笑ってしまいます。耳が長く垂れている、毛がかなり長い、口まわりなどにたるみがある、そういった特徴の犬の写真を見たときは特に、にやにやしてしまいます。写真集には、にこやかにじっとしているときの姿は 1 枚もありません。だから、この犬が気取って坐っているときは、どんな感じなのだろうと想像せずにはいられませんでした。

 わたし自身、犬のぶるぶる姿は何度も見ているはずなのですが、動きが速すぎるせいで、おもしろい瞬間を見逃していたようです。

*エドワード・マイブリッジは、動いている動物の一瞬をとらえた 19 世紀のイギリス出身の写真家。1878 年、走っている馬の四つの脚がすべて地面から離れている瞬間があることを、写真に撮って証明しました。
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2021年12月13日

「父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」

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ヤニス・バルファキス (英語:Yanis Varoufakis) 著
関 美和 訳
ダイヤモンド社 出版

 2009 年ごろ、ギリシャ危機が問題になり、厳しい緊縮財政・構造改革が求められたものの、負担増に耐えられなくなったギリシャ国民は、2015 年の総選挙において急進左派連合に政権を委ねることにしました。この本の著者はそのとき、財務大臣に就任しました。しかしそののち、緊縮財政を受け入れることが国民投票で決まり、反緊縮財政を掲げる著者は、半年足らずの在任期間で辞任しました。

 そんな著者が書いた、こんな長いタイトルの本に興味を惹かれました。奇をてらったタイトルに見えますが、嘘や偽りは感じられませんでした。答えの出ない難しい問題をできるわけわかりやすく説明しつつ、将来的には真摯に向き合ってほしいという娘に対する気持ちが伝わってきたように思います。

 著者は本書で、『経済について語るとはつまり、余剰によって社会に生まれる、債務と通貨と信用と国家の複雑な関係について語ることだ』と最初に述べています。そのあと、余剰と国家の関係、余剰と債務の関係、通貨と信用の関係、通貨と国家の関係など、複雑な関係を次々とひもといていきます。それぞれ、正解はひとつだけとは言えない問題ですが、著者の考え方には説得力がありました。

 たとえば、『余剰から国家が生まれた』と説明されています。『国家には、国の運営を支える官僚や、支配者と所有権を守ってくれる警官が必要になる。支配者は贅沢な暮らしをしていたし、守るものも多かった。だが、よほど大量の余剰作物がなければ、大勢の官僚や警官を養っていくことはできない、軍隊も維持できない』とし、余剰が全員に行きわたるほど多くなかった時代は、支配者だけが国を支配する権利を持っていると庶民に信じさせるために、国と一体となった宗教組織が必要だったと書かれてあります。

 さらに著者は、これまでに起こった大転換とこれから成すべき大転換について語っています。これまでに起こった大転換とは、労働力や土地にも交換価値が生まれ、世が市場社会となり、生産ののち分配されるのではなく生産前に分配が起こり、借金を糧に富が生まれ、利益が追求されるようになったことです。かつては、農奴が生産し、領主が年貢を無理やり納めさせ、残ったもので農奴は暮らしていました。領主が土地を手放すことも、農奴が自らの労働力を売ることもありませんでした。しかし、領主が農奴に農作物を生産させることをやめ、地代を徴収するようになったことを機に農奴は起業家になり、借金をもとに事業を始めました。将来の地代や必要なものの値段はわかっていて、分配をイメージしつつ生産することになり、結果的に利益を追求するという大転換が起きたと、著者は説明しています。

 これから成すべき大転換は、人ではなく機械が新しいテクノロジーを生みだし、新しいテクノロジーが生みだした富をどう分配するかを、市場に任せるのではなく民主主義で決めるというものです。現在は新しいテクノロジーを生みだした起業家が富を独占する方向に徐々に進んでいます。(著者は触れていませんが、人工知能を生みだせる人工知能を最初に開発した者が世界の富を独占するのではないかという危惧は広く知られています。) しかし著者は、市場のように富の多寡によって支配権 (投票権) が得られる仕組みではなく、法の下の平等にのっとり、ひとり一票の投票権が得られる仕組みによって富の分配を決めるべきではないかと考えているようです。

 タイトルに嘘偽りなく、美しい理想であり、壮大な夢ではないでしょうか。
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2021年12月12日

「鏡の国のアリス」

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ルイス・キャロル (Lewis Carroll) 著
河合 祥一郎 訳
角川書店 出版

 前作の「不思議の国のアリス」ほどは楽しめなかった気がします。ただ、その理由は、自分でもわかりません。著者の寂寥感のせいか、チェスを知らないせいか、アリスが目標地点に向かって突き進むせいか、折々に登場するマザーグースの歌を知らないせいか、それらのいずれか、あるいはすべてが関係しているのかもしれません。おそらく、ことば遊びに触れながら先が見えないまま進んでいった前作のほうが、わたしに合っていたのでしょう。

 著者の寂寥感は、前作の下地ができてから起きた変化に原因があるようです。オックスフォード大学クライストチャーチ校に勤務していたルイス・キャロルが、同校学寮長の次女アリスにせがまれて紡ぎだしたストーリーがのちに「不思議の国のアリス」になったのは有名な話です。しかし、「不思議の国のアリス」が世に出たころ、学寮の中庭で 13 歳になったアリスと偶然再会した著者は、彼女が物語をせがんでいたころの幼い少女ではなく、娘になりかけていたことに驚いたようです。訳者あとがきでは、本作は、前作とは違って、実在のアリスのためというより、自分の心のなかにいる小さなアリスのために書かれたものだとされています。もう戻らない時間に対する寂しさが滲みでていても不思議ではない気がします。

 トランプの世界を冒険した半年後、鏡の向こうのチェスの世界を冒険するという設定になっている本作は、景色がチェスの盤面のようになっています。『まっすぐな小川が何本もはしからはしまで横切っていて、そのあいだにはさまれた土地は、小川から小川までのびているたくさんの小さな緑の垣根によって、いくつもの正方向に区切られ』ていて、整然としています。

 そこで繰り広げられるチェスのゲームを見たアリスは、ポーン (歩兵) でもいいから自分も仲間に入りたい、できればクイーンになりたいという望みを赤のクイーンに漏らします。赤のクイーンは、8 つ目のマスまで行けばクイーンになれると答えます。そうして、8 つ目のマスまで進むという明白な目標ができ、そこに向かって物語は進みます。しかも、チェスの盤上を適当に進むのではなく、きちんとルールに則って駒は進んでいるようですが、チェスに詳しくないわたしは、展開についていけていないように感じました。

 その盤上でアリスは、いろんな登場人物に会いますが、一部はマザーグースの歌に登場する者たちです。ハンプティ・ダンプティやトゥィードルダムとトゥィードルディーのコンビなどです。もとの歌を知らないわたしにとっては、内容の理解が難しい描写もありました。

 ただ、前作同様、多くのことば遊びが盛り込まれていて、翻訳の過程でそれらが失われないよう工夫が凝らされているので、日本語でも踏韻などの音を楽しみつつ、登場人物の滑稽な物言いや所作に笑ったりできます。また、鏡の向こうに広がる世界だけに、時間軸が反対になっていて、過去から未来に進むのではなく、未来から過去に時間が流れていくという不可思議な状況に驚いたりもできます。しかし、基本的には、赤のクイーンがアリスに教えたとおりに物語は進行します。まるで、どんな子供も、おとなになるという、ひとつのゴールに向かって、決められたレールのうえを進んでいくかのように。枠にはまらない前作のほうが、わたしの好みに合っているのかもしれません。
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2021年12月11日

「新版 この1冊ですべてわかる 金融の基本」

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田渕 直也 著
日本実業出版社 出版

 目次には、金融の歴史や概観、コーポレートファイナンス、株式市場、債券市場、金利、外国為替市場、投資、デリバティブなどの新しい金融などが並んでいます。幅広い話題が取りあげられているため、自分の知識に欠けている分野が見えました。

 全体的に知識がなかったのが債券で、部分的に欠けていたのがコーポレートファイナンスの分野です。

 債券の場合、安全資産である国債に比べてリスクのある社債投資には、リスクプレミアム (リスクのある資産の期待収益率から無リスク資産の収益率を引いた差) があり、社債格付けに応じた追加利回り (『クレジットスプレッド』とも呼ばれます) を上乗せした利回り曲線 (『イールドカーブ』とも呼ばれます) は、次のようなイメージになります。

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 実際には、利回りが一時的に長短で逆転することもあるでしょうし、こういうきれいなカーブにはならないのでしょうが、理論の基本を確認できました。

 コーポレートファイナンスでは、財務諸表が取りあげられています。これまで折々に貸借対照表や損益計算書を学んできましたが、キャッシュフローの重要性は意識したことがありませんでした。キャッシュフローを重視した経営を意味する、『キャッシュフロー経営』ということばさえ知らなかったくらいです。

 営業キャッシュフロー (営業活動から発生するもの)、投資キャッシュフロー (設備投資や他企業の合併・買収などに投じたり、それを回収したりするもの)、財務キャッシュフロー (資金調達に関係するもの) 別に、どのような項目があるのか、簡単に列挙されてありました。キャッシュフローについては、もう少し学びたいと思いました。

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posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(経済・金融・会計) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする