
藤野 紀男 著
ミネルヴァ書房 出版
マザーグースの歌を下敷きにした部分が「鏡の国のアリス」にあって、少しマザーグースを学びたいと思い、手にした本です。
タイトルにある『ミステリー』を見て、マザーグースには色々謎があると想像していたのですが、謎というほどのことは、あまり載っていませんでした。たとえば、誤訳があることを著者はミステリーと呼んでいますが、1 世紀近く前、英語を読める人が少なく、辞書も充実していなかった当時、日本語に訳されたものに今より多く誤訳が見つかっても不思議だとは思えません。
ただ、マザーグースを通して当時の暮らしを学ぶことができました。印象に残った 2 点のうちのひとつは、羊毛の輸出税やエンクロージャ― (領主や地主が貸してあった耕地や農民の共有地を柵などで囲い込んで、羊牧場化してしまうこと) が招いた庶民の苦労が唄われているものです。
Baa, baa, black sheep,
Have you any wool?
Yes, sir, yes, sir,
Three bags full;
One for the mater,
And one for the dame,
And one for the little boy
Who lives down the lane.
著者による訳は次のとおりです。
メェー メェー 黒羊さん
羊毛を持っていますか?
ハイ ハイ もっていますよ
3 つの袋にいっぱいにね
1 つの袋はご主人に
もう 1 つの袋は奥様に
そして残りの 1 つの袋は
路地の先に住んでいる坊やにね
the mater が国王、the dame が裕福な貴族階級、the little boy が一般庶民を指しています。集成本のなかには、一般庶民がさらに苦しんでいるバージョンが収められているものがあり、その場合、最後の 2 行が次のようになっています。
But none for the little boy
Who cries in the lane.
路地で泣いている坊やには
何にもやらないよ
この唄に対し、著者がミステリーと呼んでいるのは、これが羊に課された輸出税 (約 67% という高率) を唄ったものか、エンクロージャ―を唄ったものか、はっきりしない点ですが、輸出税を唄ったものと著者は考えているようです。
もうひとつは、妻がモノのように売り買いされる唄です。
When I was a little boy
I lived by myself,
And all the bread and cheese I got
I laid upon a shelf;
The rats and the mice they made
such a strife,
I had to go to London and
buy me a wife.
The streets were so broad and
the lanes were so narrow,
I was forced to bring my wife home
in a wheelbarrow.
The wheelbarrow broke and
my wife had a fall,
Farewell wheelbarrow,
little wife and all.
僕がまだ小さかったころ
一人きりで住んでいた
持っているかぎりのパンとチーズを
棚の上に並べといた
ネズミたちの争いが余りに
ひどすぎたので
妻を買うためにロンドンへ
行かなくてはならなかった
街路は広すぎたし
路地は狭すぎたので
妻を手押し一輪車に乗せて家まで
連れ帰らなければならなかった
手押し一輪車は壊れ
妻は落っこちた
手押し一輪車も妻も
みんなさようなら
妻売りはイギリス結婚制度史にあった習俗で、文献に残る記録だけでも 17 世紀から 20 世紀初期まで見つかっているそうです。教会が離婚を禁止していた時代に民間で始められた離婚獲得の方法だろうという人もいるそうです。それにしても、唄に残るほど一般的だったとは驚きました。