2022年02月19日

「ぐうたらな自分を変える教科書 やる気が出る脳」

20220219「やる気が出る脳」.png

加藤 俊徳 著
すばる舎 出版

『脳番地』という概念を考案した著者は、脳を機能ごとに部位を分け、それぞれ名前をつけています。全部で 120 もある脳番地のうち、いずれか未発達の脳番地があれば、やる気がわかない状態になるそうです。わたしたちの行動に特に強い影響を及ぼしているのは『思考系脳番地』、『視覚系脳番地』、『聴覚系脳番地』、『理解系脳番地』、『伝達系脳番地』、『記憶系脳番地』、『感情系脳番地』、『運動系脳番地』の 8 つです。

 この本を読み、長期間にわたる外出自粛生活によって、脳のかなりの部分が衰えてきているのではないかと思うようになりました。特に、身体を動かす機会とリアルな会話をする機会が減ったことが大きく影響しているような気がしました。

 たとえば、『聴覚系脳番地』は、コミュニケーションを通じて成長するそうです。ひとり暮らしだったり、人と会話する機会が少ない人は、聴覚系を意識的に鍛えていかないと、人の機微に疎くなってしまうと著者は説明します。しかも、映画などのコンテンツを観るより、リアルに人と会ったほうが、脳が活発に反応し、やる気なども起こるようになるそうです。

 そして、この本を読もうと思ったきっかけ、やる気が出ないときはどうすべきかという問いに対する答えとしては、意外なことが書かれてありました。着手が遅い場合、『運動系脳番地』を鍛えるべきだというのです。ある程度ルーチンの、決まった身体の動き、運動量を確保することは絶対に必要だと著者は断言しています。

 身体のキレが頭のキレに直結するという意外な答えは、いまのところ腑に落ちていませんが、ともかく、姿勢の歪み、運動不足、身体の痛みなどを排除すべく、心がけたいと思います。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月18日

「絵の中のモノ語り」

20220218「絵の中のモノ語り」.png

中野 京子 著
KADOKAWA 出版

 絵画のなかのモノに注目するスタイルで、32 点の絵画が取りあげられています。絵に描かれた場面、絵の一部のモノの役割など、ひとりで鑑賞していれば、見逃していたことをいろいろ知ることができました。

怖い絵」の著者による本だけあって、絵のなかに直接的には描かれていない、恐ろしいモノがいくつか紹介されていました。ひとつは、『女占い師』という作品です。

20220218「絵の中のモノ語り」1.jpg

 ロマの占い師が、客である若者を占っているこの場面、ロマは彼に秋波を送り、彼は占い師が自分に惚れてしまったと自惚れ、ふたりのあいだに醸し出される微妙な雰囲気が描かれています。同時にこれは、ロマが薬指を巧みに使って若者の指から指輪を抜き取った瞬間を捉えたものだと著者は説明しています。純情そうな若者が、一転して哀れな存在に見えてしまいました。

 この『女占い師』は、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの作品で、彼の作品にインスピレーションを受け、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールは、「怖い絵」の表紙になった『いかさま師』を描いたと言われています。そう言われると、騙す者のとぼけた表情と騙される者のうぶな顔つきが似て見えました。

 それとは違った怖さを感じたのが、この本の表紙にもなっている『イザベラとバジルの鉢』です。14 世紀イタリアの詩人ジョヴァンニ・ボッカッチョの短編小説集『デカメロン』の一話を、19 世紀イギリスの詩人ジョン・キーツが恋愛詩に仕立て、それを下地にウィリアム・ホルマン・ハントが描いたのがこの作品です。

 バジルは、フィレンツェの富豪の娘であるイザベラに大切に育てられているのか、すくすくと生長しています。イザベラが頬を寄せるこの鉢には、使用人でありながら、イザベラと愛し合うようになったロレンツォの頭部が埋まっています。恋人の頭を切り落として鉢に埋め、そこでバジルを大切に育てるイザベルには、そこに至るまでの相応の理由があり、同情を寄せたくなります。それでもなお、ここに一種の狂気を感じずにはいられません。

 いっぽう、絵のなかのモノの役割で驚かされたのは、ピーテル・パウル・ルーベンスの『キリスト昇架』に描かれている磔刑の釘です。著者は、次のように紹介しています。

20220218「絵の中のモノ語り」2.jpg
++++++++++
 イエスの足は左右重ねられており、打ち付ける釘は一本。実は中世まではイエスに使用された釘は両手両足、計四本説が取られていた。時代が下るにつれ、このように計三本説が主流となる。
 足を重ねることの絵画的効果は――本作に顕著なように――肉体の捻りによって動きが生まれることだ。処刑人たちの荒々しい動作に加え、イエス自らも肉体をよじって神の御許へと昇ってゆきそうなドラマとなる。動画を見慣れた現代人はいざ知らず、当時の人の目にこの絵は動いて見えたであろう。
++++++++++
 釘の数など気に留めたことなどなかったので、細部が全体に与える影響の大きさに驚かされました。

 この著者の解説を読むと、絵画が描かれた背景を知り、当時に思いを馳せながら鑑賞するのも、自らが感じたままに鑑賞するのと同じくらい楽しいと思えてきます。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月17日

「怒り」

20220217「怒り」.png

吉田 修一 著
中央公論新社 出版

 八王子郊外に住む尾木幸則、里佳子夫妻が殺害された現場の被害者宅には、犯人が被害者の血液で書いた『怒』という文字が残されていました。その犯人は、山神一也と特定されますが、その行方は杳として知れません。

 そののち、房総の漁協で働く槙洋平と愛子の親子、東京で大手企業に勤める藤田優馬、福岡から夜逃げ同然で母親と沖縄に引っ越した小宮山泉それぞれの前に、山神と似た年恰好の若者があらわれます。

 誰が山神なのか、あるいはその 3 人のなかに殺人犯はいないのか、そう疑いの目を向けて読み進めていくうち、あることに思い至りました。怒りとは、期待があってこその感情なのだと。

 そして期待とは、自分のことしか考えられず、すべてが自分の思い通りになることを前提とした期待もあれば、相手との距離や信頼関係などを推し量りながら、相手を信じたいという気持ちを徐々に募らせていく期待もあり、十人十色です。そして、それぞれの期待の実態は、本人でさえ正確に把握することはできません。さらに、第三者から見て、どこまでが真っ当な期待でどこからが真っ当ではないと線引きすることも現実的ではありません。

 身元のはっきりしないひとりの男の出現をきっかけに、さまざまな期待が生まれるいっぽう、その影の感情が生まれる場面もあります。たとえば、相手の期待が自己中心的なもの、つまり自分を単に利用するためのものではないかという疑いや裏切られるのではないかという恐れです。

 それぞれの登場人物の胸の内を読むにつれ、怒りとは何なのか、怒りの燃料となる期待とは何なのか、期待しないということはどういうことなのか、ひとりの人を受け入れるということはどういうことなのか、いろいろ考えさせられました。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月16日

「BT '63」

20220216「BT’63」.png

池井戸 潤 著
講談社 出版

 この作家の本を何度か読んだことはありますが、ファンタジー要素のある小説は初めてです。一種の再生物語ですが、超常現象を経験したことが再生のきっかけになっています。

 主人公の大間木琢磨は、精神分裂に悩まされ 2 年ものあいだ療養したあと、不思議な体験をします。父大間木史郎がかつて手にしていたボンネットトラック (タイトルの BT は、ボンネットトラックの略) の鍵を琢磨が持つと、40 年ほど前の父親の意識に琢磨の意識が同化するのです。

 その不思議な経験によって琢磨は、自身が生まれる 3 年前 1963 年当時の父親の生き様を垣間見ることになります。その姿は、自身が父親に抱いていたそれまでの印象とはまったく異なるものでした。そして、さらに知りたいという欲求を抑えられず、ボンネットトラックの鍵を何度も手にし、現代においても父親の過去を知ろうと行動を起こします。

 琢磨が、自らの意識を父親のそれと同化させる経験を重ねたり、過去を知る人を訪ねたりするなかで、高度経済成長期にあった 1963 年当時の史郎がのっぴきならない状況に追い詰められていることが判明していきます。それが、自分自身の存在を確かなものとして感じられない状況に陥った琢磨の苦境と重なって見えます。

 過去は、変えられません。そして、前を向くことを諦めてしまったら、変えられるはずの未来も閉ざされてしまいます。また、他人と自分を比べることに意味はありません。自分が本当に欲しいものは何か、自分に向き合うことでしか知ることができません。そんな当たり前でいて、忘れがちなことを思い出させてくれる作品だと思います。

 シンプルなわかりやすいメッセージだけに読みやすく、先の見えないサスペンスとしても楽しめました。特に、読み手が色眼鏡で見てしまいがちな若いカップル、和気一彦と相馬倫子が思わぬ優しさや心配りを見せて、意外な結末に至った点が予想を超えていて、驚かされました。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月15日

「「話す力」が面白いほどつく本―効果は "スグに" 現れます!」

20220215「「話す力」が面白いほどつく本」 .png

櫻井 弘 著
三笠書房 出版

 効果がスグに現れるというタイトルに嘘はないように感じました。著者は『私たちが誰かと話すときに考えておきたいポイントのひとつに、「何を話すか」ではなくて、それが相手に「どう聞かれるか」ということがあります』と書いています。この視点を忘れないだけで効果は現れる気がしました。

 たとえば、人を不快にするような発言、つまりなおすべき言葉のクセを見つける方法が 3 つ紹介されています。最初に、周囲の身近な人に自分のクセを聞き、その答えをいったんは素直に聞き入れることが勧められています。次に、周囲の人の言葉グセを観察し、自らの受け止め方をしっかり認識することも有益とされています。自身が不快に感じた言葉は、人も不快にさせると考えるべきでしょう。最後に、できるだけ間をとって話すことが重要とされています。そうすれば、相手の反応に気を配る余裕がうまれ、相手が少し表情を変えたとき、何か気になることがあったか、その場で確認できます。

 なおすべき言葉グセの具体例として、ある窓口業務でのひとコマが紹介されていました。何度も同じ質問をしてくる相手に対し、担当者が「ですから、先ほども申し上げましたように……」と多少面倒くさそうに、もう一度同じ説明を繰り返そうとしたのに対し、相手がこう言ったそうです。「お前の説明は専門用語ばかり使って、わかりにくいんだよ」。自分がわかっていることは相手もわかって当然という姿勢が『ですから』という言葉に現われ、聞き手としては聞いている側に問題があると言われているように感じても不思議ではありません。著者は、『ですから』の代わりに「どの部分が特にわかりにくかったですか?」と質問してみることを勧めています。

 話す目的は、うまく話すことではなく、相手に伝えることなのに、それを忘れてしまいがちです。これは、その基本に立ち返るよう勧めている本だと思います。
posted by 作楽 at 19:00| Comment(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする