
カズオ・イシグロ 著
土屋 政雄 訳
早川書房 出版
「わたしを離さないで」を読んだときのことを思い出しました。主人公キャシーが、どういう時代で、どういう立場に立たされているのか、知りたくて先を急いだ、あの感覚です。
今回の語り手は、クララという AF です。この AF とされるクララは、ものの捉え方が独特で、何者なのか冒頭では掴めませんでした。そして AF の A が Artificial (人工) だとわかったとき、キャシーの存在理由を知ったときと同じ驚きを覚えました。
「わたしを離さないで」でも、この作品でも、いまの時代にはいない存在が語っています。そして、キャシーもクララも自らの境遇を淡々と受け入れているように見受けられる点が似ています。人工知能が反乱を起こす映画などを見たときに覚えた違和感が、クララには感じられず、わたしたち人間の感情や価値観をクララの学習を通して気づくことができた気がします。
臓器移植が可能になったり、クローンや遺伝子編集が実現したり、人工知能が人間と同等の知能をもつ日までもう 10 年もないという説が出てきたり、テクノロジーの進展によって、状況は刻一刻と変化しています。そして、そうした新しいテクノロジーを生みだす人たちがいるいっぽう、大多数はそれによって変化した環境に適応するのに精一杯なのではないでしょうか。そして、テクノロジーを生みだした人たちも、それがどう世界を変えるのか、実は正確にはわかっていないのかもしれません。
クララを購入したクリシー・アーサーは、娘のジョジーにねだられてクララを選びました。しかし、クリシーは、娘には内緒で、クララに対してある役割を期待していました。娘が新しいテクノロジーの恩恵に浴することができるよう娘のために決心をしたものの、それに伴うリスクは受けいれがたいことで、苦肉の策として思いついたのでしょう。
新しいテクノロジーによって、良いことばかりが起こるとは限りません。そして、自然が新しいテクノロジーに負けるとも限りません。それでも人々は、新しいテクノロジーを生みだし続けるいっぽう、それによって変化する世の中でなんとか各々の居場所や考えをもとうと迷いながら進むしかないのかもしれない、この小説を読み終えたとき、そう思いました。
そんな人間とは対照的に、自分の役割を終えて冷静に過去を振り返るクララの結末に、なぜか心が休まりました。