2022年05月22日
「クララとお日さま」
カズオ・イシグロ 著
土屋 政雄 訳
早川書房 出版
「わたしを離さないで」を読んだときのことを思い出しました。主人公キャシーが、どういう時代で、どういう立場に立たされているのか、知りたくて先を急いだ、あの感覚です。
今回の語り手は、クララという AF です。この AF とされるクララは、ものの捉え方が独特で、何者なのか冒頭では掴めませんでした。そして AF の A が Artificial (人工) だとわかったとき、キャシーの存在理由を知ったときと同じ驚きを覚えました。
「わたしを離さないで」でも、この作品でも、いまの時代にはいない存在が語っています。そして、キャシーもクララも自らの境遇を淡々と受け入れているように見受けられる点が似ています。人工知能が反乱を起こす映画などを見たときに覚えた違和感が、クララには感じられず、わたしたち人間の感情や価値観をクララの学習を通して気づくことができた気がします。
臓器移植が可能になったり、クローンや遺伝子編集が実現したり、人工知能が人間と同等の知能をもつ日までもう 10 年もないという説が出てきたり、テクノロジーの進展によって、状況は刻一刻と変化しています。そして、そうした新しいテクノロジーを生みだす人たちがいるいっぽう、大多数はそれによって変化した環境に適応するのに精一杯なのではないでしょうか。そして、テクノロジーを生みだした人たちも、それがどう世界を変えるのか、実は正確にはわかっていないのかもしれません。
クララを購入したクリシー・アーサーは、娘のジョジーにねだられてクララを選びました。しかし、クリシーは、娘には内緒で、クララに対してある役割を期待していました。娘が新しいテクノロジーの恩恵に浴することができるよう娘のために決心をしたものの、それに伴うリスクは受けいれがたいことで、苦肉の策として思いついたのでしょう。
新しいテクノロジーによって、良いことばかりが起こるとは限りません。そして、自然が新しいテクノロジーに負けるとも限りません。それでも人々は、新しいテクノロジーを生みだし続けるいっぽう、それによって変化する世の中でなんとか各々の居場所や考えをもとうと迷いながら進むしかないのかもしれない、この小説を読み終えたとき、そう思いました。
そんな人間とは対照的に、自分の役割を終えて冷静に過去を振り返るクララの結末に、なぜか心が休まりました。
2022年05月21日
「時間はなぜあるのか? チンパンジー学者と言語学者の探検」
平田 聡/嶋田 珠巳 著
ミネルヴァ書房 出版
この本のタイトルに虚を衝かれました。時間の存在理由を考えたことなどなかったからです。
この本は、『時間とはなにか』さらに、『時間はなぜあるのか』という問いに対する著者たちの考えを書き表そうとしたものだそうです。まえがきによると、『時間』というテーマそのものズバリを中心にした研究は、従来そう多くはなかったそうですが、昨今、脳科学の進展とあいまって、さまざまな領域からのアプローチが増えているらしく、この本もそのなかの試みのひとつと位置づけられそうです。
ただ、研究者たちも時間が何かわかっているわけではありません。わたしたちは、時間が過ぎるのが早い、あるいは遅いと『感じ』ますが、時間については、視覚の目、聴覚の耳、嗅覚の鼻、触覚の肌、味覚の舌に該当する感覚器官が存在しないので、どこで感じているのかすら、わかっていないそうです。脳内のなんらかの神経活動等によって時間が生成されているのではないかという推測のレベルにとどまっています。
しかし、この本を読むうち、時間を感じ、時間という概念を確立したことにより、人類は進歩してきたのだと思い至りました。過去を振り返って将来を見通す能力をもったことは、これまでの文明の発展において重要な役割を果たしたに違いありません。
そのいっぽうで、時間そのものが何かを知ることは難しいようです。ちなみに、時間の『長さ』は、人類における共通認識があるとのこと。『セシウム 133 の原子の基底状態の 2 つの超微細準位のあいだの遷移に対応する放射の周期の 9192631770 倍に等しい時間』が 1 秒の長さと定義されているそうです。
平田氏は、この本のタイトルに対し、『物の動きや状態の変化を私たちがとらえるための変数として必要だから』と答えています。次の例が説明されていました。
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なにか物が動くとします。その動きを私たちがとらえるとき、動きの長さや大きさといった側面がひとつ大切なことです。その物は 1 センチ動いたのか、1 メートル動いたのか、というような長さ・大きさの次元です。長さ・大きさを変数と考えて、空間的変数と言い換えてもいいでしょう。そして、動きをとらえるときにもうひとつ大切な側面が、その動きが素早いか、ゆっくりかといった速さです。たとえ 1 メートル動いても、それが非常にゆっくりした動きであれば、私たちは気づかないかもしれません。たとえ 1 センチの動きであっても、目のまえで一瞬にして 1 センチ動けば、気づくことができるでしょう。そうした素早さ、あるいはゆっくりさをとらえるときに、時間という側面が立ち現れてきます。空間的変数に対して時間という変数です。
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なんとも納得できる定義です。しかも、平田氏によると、紀元前 4 世紀の哲学者アリストテレスも同じようなことを言っていたそうです。時間がある理由のほかにも、身近すぎて意識すらしてこなかったことが色々この本には登場します。それらを読むたび、これまで考えてこなかったことに気づかされ、読書の楽しみを堪能できました。
2022年05月20日
「心の監獄 選択の自由とは何か?」
エディス・エヴァ・イーガー/エズメ・シュウォール・ウェイガンド (Edith Eva Eger/Esmé Schwall Weigand) 著
服部 由美 訳
パンローリング株式会社 出版
著者は、16 歳でアウシュヴィッツ強制収容所に送られるという経験をした心理学博士です。そんなイーガー博士が『心の監獄』ということばで表現しているものが何なのか、興味を惹かれました。
実際に読んで思ったのは、『心の監獄』は、誰にあってもおかしくないだけでなく、意外にもその監獄に自ら進んで閉じこめられている人が多いのではないか、誰にでももっと自由になる余地が残されているのではないかということです。
たとえば、レッテルや役割も監獄になると著者は、書いています。『期待に、自分には果たすべき特定の役割や仕事があるという気持ちに閉じ込められること』は、誰にでもありそうです。わたしも、周囲からの期待に沿うことばかりに気をとられ、自身がどうしたいかを考えたり、その考えを誰かに伝えたりする努力をしてこなかったことに思い至りました。
著者は、『人の子ども時代が終わるのは、誰かがイメージした自分の中で生きるようになったとき』だと書いています。その判断基準に従えば、わたしは小学校にあがる前後で子ども時代を終えたことになります。ただ、わたしの未熟さを考えると早すぎる終わりだったようです。だからそのあと、『いい子』でいることを強硬に拒絶した時期もありました。いま思うと、そうしたかったというより、『いい子』でいるための我慢を止めたくてもうまく止められなかっただけのような気もします。
過去の自分をこれまでよりは理解できた気がします。
2022年05月05日
「世界史は化学でできている」
左巻 健男 著
ダイヤモンド社 出版
『化学』を広辞苑で引くと、『諸物質の構造・性質並びにこれら物質相互間の反応を研究する自然科学の一部門』とありました。この本では、その化学に着目して、世界がどう変わってきたか、歴史がどう作られてきたかが語られています。指摘されるまで思いが及ばなかった点や意外なつながりが書かれてあり、違う切り口で考えるおもしろさを実感できました。
たとえば、指摘されて初めて気づけたのは、利器の材料で時代を分けたときの石器時代、青銅器時代、鉄器時代という並びです。金属の鉱石から金属を得る『製錬』という化学技術において、鉄鉱石から鉄を得るのには銅鉱石から銅を得るよりも高い温度が必要なだけでなく、得た鉄を加工するにもより高い技術が必要だったため、こういう発展を遂げたのです。わたしは歴史を『暗記』していたので、この事実に思い至らず、歴史を『理解』していればよかったと後悔しました。
意外なつながりで特に気に入った話題は、次のふたつです。
ひとつは磁器にまつわるエピソードです。中国の宋代 (960-1279) で白磁が最盛期を迎えたころ、ヨーロッパでは硬質磁器をつくることができず、輸入に頼っていました。しかも当時は、工業製品というより芸術作品のようなもので、同じものを注文しても、同じ形、同じ色にできる保証はありませんでした。
しかし、イギリスのスタンフォードの陶工の家に生まれたジョサイア・ウェッジウッド (1730-1795) が初めて、伝統的な方法ではなく、化学的な陶器づくりに成功します。新しい釉薬や陶土の調合、焼くときの火加減などを克明に記録しながら実験を繰り返したのです。
1760 年代のはじめに、発色が安定した、上質で完全に再生産可能な陶器づくりを完成させた彼の作品は、芸術性も高く、1766 年には王室御用達製品としての『クィーンズ・ウェア』の名が与えられます。そうして、大金持ちになった彼の死後、遺産の大部分は娘のスザンナ・ウェッジウッド・ダーウィンが相続しました。
彼女の息子は、『進化論』を提唱したチャールズ・ダーウィンです。彼が『進化論』に至ることができたのは、祖父ジョサイア・ウェッジウッドが残した資産で研究生活に没頭できたから、そう考えると、化学的手法で成功したウェッジウッドが生物学史上の転換点に大きな影響を与えたと言えるかもしれません。
もうひとつは、医薬品の開発のルーツは合成染料にあるというものです。産出が限られ、色の種類が少なく、質が不純で染めるのが面倒だった天然染料の代替として合成染料が開発されました。その染料工業を先導したのがドイツの化学工業 3 社、バーデン・アニリン & ソーダ製造所 (BASF。1865 年創業)、ヘキスト (1863 年創業)、バイエル (1863 年創業) です。
各社創業から 20 年も経たない 1881 年当時、全世界の合成染料生産量のうち、これら 3 社が占める割合は半分に達していました。さらに、1900 年頃にはドイツは染料市場の 90% を占めるまでになりました。当然ながら、これら 3 社には莫大な利益がもたらされ、バイエルは、その合成染料 (合成アリザリン) で得た収益をもとに、将来性のありそうな化学製品 (薬) 開発へ転換することを目指します。
そうして 1899 年、バイエルは『アスピリン』の販売へとこぎつけました。医薬品のなかでもっともよく使われている薬は、こうして世に出たわけです。染料を作った化学メーカーが薬を作っても不思議ではありませんが、『化学』の幅広さが実感できるエピソードだとわたしは思いました。
2022年05月04日
「魍魎回廊」
宇佐美 まこと/小野 不由美/京極 夏彦/高橋 克彦/都築 道夫/津原 泰水/道尾 秀介 著
朝日新聞出版 出版
ホラーミステリーのアンソロジーです。各作家の作品名は次のとおりです。
宇佐美 まこと……水族
小野 不由美……雨の鈴
京極 夏彦……鬼一口
高橋 克彦……眠らない少女
都築 道夫……三つ目達磨
津原 泰水……カルキノス
道尾 秀介……冬の鬼
そうそうたる顔ぶれのアンソロジーなので、どれもおもしろかったのですが、意外にも「冬の鬼」が、わたしにとってのベストでした。意外というのは、この作家がブレイクした「向日葵の咲かない夏」を読んで苦手意識をもってしまい、それ以降、この作家の作品を手にしていなかったためです。
「冬の鬼」では、超自然的現象は何も起こりません。ひとりの女の日記が 1 月 8 日から 1 日ずつ遡るかたちで続き、1 月 1 日で終わります。ただ、冒頭の 1 月 8 日の日記は、次の 3 行のみで、さっぱりわからないまま読み始めることになります。
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遠くから鬼の跫音 (あしおと) が聞こえる。
私が聞きたくないことを囁いている。
いや、違う。そんなはずはない。
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それに続く数日は、不幸なできごとを経験してもなお、穏やかな日常とささやかな幸福を噛みしめるかのような内容が続きます。ただ、なぜ硝子に新聞紙を貼ったのか、なぜ S は、女に地図を書いてやらなかったのかなど、やや腑に落ちない描写が散見されます。そしてそれら伏線がすべて回収される 1 月 1 日の日記を読んだとき、1 月 8 日に書かれた『聞きたくないこと』が何なのか、次から次へと想像が膨らみました。
作中では、鬼が何を囁いたのか書かれていません。それでも、女が聞きたくないことをあれこれ想像した自分のなかから囁き声が聞こえ、その非情な声に自分が少し怖くなりました。