2022年06月23日
「会計クイズを解くだけで財務 3 表がわかる 世界一楽しい決算書の読み方」
大手町のランダムウォーカー 著
わかる イラスト
KADOKAWA 出版
タイトルに偽りのない本です。財務 3 表の貸借対照表 (B/S)、損益計算書 (P/L)、キャッシュフロー計算書 (C/S) をクイズを解きながら、(世界一かは別として) 楽しく学ぶことができます。クイズは、B/S や P/L の構成図や C/S の増減図が 2、3 点提示される形式です。それぞれが選択肢の企業名のどれと対応しているのか選ぶのですが、社名や商品を知っていても、意外とビジネスモデルを知らなかったと気づかされました。
たとえば、コンビニのセブン-イレブン・ジャパンとコメダ HD は、いずれもフランチャイズ率の高いチェーンですが、前者は、ロイヤリティが主な収益源となっているいっぽう、後者は、フランチャイジーに対する卸売で儲ける仕組みになっていて、その違いが如実に P/L にあらわれていました。コメダ HD がロイヤリティをほとんど取らない共存共栄モデルをとっていると初めて知りました。
そして、わかりやすさの点でわたしが一番すばらしいと思ったのが、C/S です。苦手意識があったのですが、6 つのパターンを見ていくと、C/S の役割がいまさらながら理解できた気がしました。6 つのパターンとは、以下の @健全型、A積極型、B改善型、C衰退型、D勝負型、E救済型です。
キャッシュフローの読み方がなんとなく理解できたので、読んだ甲斐がありました。
2022年06月22日
「パッシング/流砂にのまれて」
ネラ・ラーセン (Nella Larsen) 著
鵜殿 えりか 訳
みすず書房 出版
『ハーレム・ルネサンス』(一般的に 1910 年代末から 1930 年代半ばを指します) と呼ばれる、アフリカ系アメリカ人による初めての文化活動 / 現象が、大きな盛り上がりを見せた時代に活躍したネラ・ラーセンの小説「パッシング」と「流砂にのまれて」が収められています。
ラーセンは、黒人の父親と白人の母親とのあいだに生まれましたが、すぐに父親を亡くしました。そののち、母親は、白人男性と再婚して子をもうけたので、ラーセンは、白人家庭のなかで唯一の黒人として育ったことになります。その過去がこれらの小説に色濃くあらわれているように思います。
タイトルになっている「パッシング」は、この本で次のように説明されています。
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主として肌の色の白い黒人が、自らを白人を偽って行動する実践を意味する。(中略) 長きにわたり、黒人の血が一滴でも入っていれば『黒人』とみなすという、いわゆる『ワン・ドロップ・ルール』に基づいて人種分類がなされてきた。その結果、たとえ白人と違わぬ外見であっても『黒人』として登録される、という不条理な事態が起きていた。そうした制度の間隙をぬって、偽って白人と申告し、より有利な職業選択や生活上の自己実現を求める黒人たちが、とくに人種隔離を合憲としたプレッシー判決 (1896 年) 以降数多く現れた。
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「パッシング」の語り手アイリーンは、ある日、12 年ぶりにクレアと再会します。交流がなかったあいだにクレアは、パッシングしていました。白人の夫に、自身の祖母が黒人であることを打ち明けることなく、白人として結婚し、娘をもうけていたのです。
自らが黒人であることが周囲に知られないよう、親戚や友人たちとの付き合いを絶っていたクレアは、長年の孤独から逃げるかのように、アイリーンと頻繁に会いたがります。いっぽう、アイリーンのほうは、自らが嫌悪するパッシングをしているクレアの危険な秘密を共有することを嫌いながらも、『本能的な人種への忠誠心』のために秘密を守り続けます。
パッシングという行為を実践している者ではなく、その秘密を知る者の心のうちを読むうち、自らが属する人種への忠誠心というものがわからなくなりました。黒人という人種を捨て、白人として生きることを選んだ友人の秘密を守り抜くのは、同じ人種に属するからという理由なのです。それと同時に、アイリーンは、クレアを排除したいという願望を秘めているように見受けられます。そこに矛盾のようなものを感じずにはいられませんでした。
いっぽう、「流砂にのまれて」の語り手ヘルガ・クレインは、父親が黒人で、母親が白人です。黒人として生きることになる立場であるものの、自らが黒人にも白人にも属さないように感じているように見えます。
米国の黒人社会で働いているヘルガは、こう描写されます。『自分自身の人種的特徴にもかかわらず、これら人種隔離されている黒い肌の人々に彼女は所属していなかった。』そののち、おばを頼ってデンマークに渡って暮らすようになったヘルガは、自らが所属していない人々を思い出します。『肌の色の白い生まじめな顔をした人々としか出会わないとき、ヘルガは笑っている褐色の顔が見たいと願った』のです。
どこに行っても、そこから逃げ出したくなるヘルガの気持ちの根底には、白人でも黒人でもあると同時に、白人でも黒人でもない自身がいるのではないかと思えました。肌の色が違う人と接しながら育っていないわたしには、わかるようなわからないような心境でした。
2022年06月06日
「10 の奇妙な話」
ミック・ジャクソン (Mick Jackson) 著
デイヴィッド・ロバーツ (David Roberts) イラスト
田内 志文 訳
東京創元社 出版
次の 10 篇が収められています。全体として、風変りな展開が多いというか、わたしたちが日常的に簡単に諦めてしまっている何かに固執してしまう主人公が多かったように思います。
- ピアース姉妹
- 眠れる少年
- 地下をゆく舟
- 蝶の修理屋
- 隠者求む
- 宇宙人にさらわれた
- 骨集めの娘
- もはや跡形もなく
- 川を渡る
- ボタン泥棒
「ピアース姉妹」では、ロルとエドナのピアース姉妹が、ふたりだけの暮らしに入り込んだ男に、「地下をゆく舟」では、定年を迎えたモリス氏が自ら造った手漕ぎボートを漕ぐことに、「蝶の修理屋」では、バクスター・キャンベル君が美しい蝶の数々に、「骨集めの娘」では、ギネスが地中に埋まった骨に、「もはや跡形もなく」では、フィントン・ケアリーが奥深い森に、「ボタン泥棒」では、セルマがボタンに執着し、追い求めます。
特に印象深いのは、「蝶の修理屋」です。読む前は、『蝶』に『修理』ということばは似つかわしくないと思ったのですが、読み終えたときは、しっくりきました。主人公の男の子が蝶を修理することにのめり込んでいく心情にあまり違和感を覚えることなく読め、ふとしたきっかけにこんなことが自分にも起こるかもしれないという気持ちになったからかもしれません。理性では不可能だと理解していても、それを物語のなかでは現実として見てしまう感覚でした。
この作品は、新たな着想を人に与えるのか、15 分ほどの実写映画になっています。映画では、再生や復活だけに焦点があたっていて、命を奪った者の最後を描いた原作の結末がなくなっています。そのため、物語の陰の部分が失われたように感じました。原作のほうがわたしの好みでした。
「蝶の修理屋」に限らず、常識を外れた何かに魅入られてしまう不思議な感覚に襲われる物語がいくつかありました。タイトルどおりの短篇集でした。