
笹原 宏之 著
光文社 出版
小学生の頃、漢字には訓読みと音読みがあると習って以降、訓読みが何かとか、訓読みと音読みの違いが何かなど深く考えたことがなかったと気づかされました。この本では、訓読みとは『「漢字を本来の漢語ではない語で読むこと」であり、また「漢字に当てられたその個々の読み方」のこと』だと定義されています。
そもそも、中国と日本は地理的に近いものの、それぞれの言語は、『言語学上の一つの分類である語族が全く異なるとされ、文法、発音、語彙などあらゆる点で異質の言語』だと著者が説明するとおり、両言語に共通点がなく、単に漢字という文字だけを借りてきて自由な発想で使いこなすことになり、訓読みが生まれたようです。著者の表現では、『日本語を表記するために漢字を自在に使おうとする姿勢の高まり』があったと記されていました。
訓読みの割合を知るための数字としては、『(漢字音訓表などで) 現在、認められている音訓の数は 4087 で、うち 1900 が訓読みである。そこには、「なん」(何)「むな」(胸)などの特殊訓、派生形も含まれている。ただし、訓だけの漢字は 40 にすぎない。訓の品詞は、動詞が 56% と過半数を占め、以下、名詞が 29.3%、形容詞が 7.1% などと続く (『図説日本語』角川書店)』と説明がありました。
訓読みの起源については、『6 世紀半ば頃には、日本列島で確実に訓読みが用いられていた』と書かれてありました。訓読みにも相応の歴史があるようです。長年使われてきたなかで、ひとつの漢字に対し、訓読みも音読みも複数存在することは当たり前になってきたのでしょう。
音読みが複数存在する理由として著者は、『中国語自体は子音、母音などの発音が豊富であったが (ほかに声調・アクセントもある)、日本語に入る際に本来、音の種類が少ない和語の発音の制約を受けた』ためだと説明しています。
訓読みの場合、前述のとおり、漢字を自在に使おうとする姿勢が影響したからか、かなりの数の訓読みがある漢字が少なくありません。著者の例でおもしろいと思ったのは、『海』です。『あ行』のすべての読みが存在します。例をあげると、「海女 (あま)」、「海豚 (いるか)」、「海胆 (うに)」(海栗)、「海老 (えび)」、「海草 (おご)」(海髪) です。
同様に、同訓異字も数多く存在します。驚いたのは、 「はかる」です。137 種類もの漢字があるそうです。「体重をはかる」の場合、いずれの漢字を用いた表記が適しているかという著者の問いに対し、300 名余りの学生が答えたところ、「計る」「測る」「量る」で見事に三分されたとか。わたしはこういうとき、ひらがなで書くという方法に逃げたくなります。
また、同訓異字では、地域性があらわれるケースもあるようです。わたしは、『たまご』を漢字表記する際、料理になれば『玉子』、それ以外は『卵』を使うのを基本にしています。しかし、高知県では『玉子』の表記が使われることはほとんどなく、『卵焼き』などと表記するそうです。『玉子焼き』と書いた場合は、縁日などで売られる鈴カステラを指すそうです。
そのほか、外来語やローマ字の例なども訓読みがいかに自由かをあらわしていると思います。
前者の例としては、次があげられます。『「訪ふものは扉を叩つくし」ーーこれは萩原朔太郎の詩「乃木坂倶楽部」に出てくる一節』で、「叩」の読み仮名は「の」とあり、「叩つくし」は「ノックし」と読むそうです。著者は、『「ノック」という一つの外来語に対して、漢字とひらがなとを交ぜて書くことで、詩に独特の雰囲気を与えている』と語っていて、工夫したすえの表記だと、納得できます。
後者の例としては、「W る」(ダブる) があげられています。驚いたのが、特に新しい表記ではなく、戦前から見られたという点です。
この本は、内容がさほど体系的になっていない印象を受けましたが、それでも、断片的な知識をつなぎ合わせるのに役立つ部分も多く、いろいろ気づかされました。