2022年08月01日

「デジタル革命の社会学――AI がもたらす日常世界のユートピアとディストピア」

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アンソニー・エリオット (Anthony Elliott) 著
遠藤 英樹/須藤 廣/高岡 文章/濱野 健 訳
明石書店 出版

 タイトルにある、『AI がもたらす日常生活』を考える際、まず AI が何かをはっきりさせる必要があります。著者は、2017 年のイギリス政府による『産業戦略白書 (Industrial Strategy White Papaer)』で、AI が『視覚的知覚や音声認識、言語翻訳など人間の知能を代替する業務を行う能力があるテクノロジー』と定義されていると紹介しつつ、そこには鍵となる条件が欠けていると指摘しています。それは、『新しい情報もしくは刺激から学び、適応する能力』としています。

 そのうえで著者は、『広い意味において AI を、環境を知覚し、思考し、学習し、そのデータを感知し、それに対応して反応する (そして、予期せぬことに対処する) ことができる、あらゆるコンピュータ・システムのこと』だと定義しています。

 この本では、さまざまな考え方を紹介しつつ、著者は、『デジタル・テクノロジーの中核、特にロボット工学と AI における構造的特徴−−それは社会、文化、政治における他の多くの変容と複雑な形で絡み合っている−−とは何か、明確に示そうと』しています。

 わたしはこの本を読んで、この『他の多くの変容と複雑な形で絡み合って』いる点を軽く見ていたと気づかされた気がします。AI より少し前に起こった変革のひとつにオートメーション化があります。それと同時に通信技術などの発達により、グローバル化も進み、生産拠点などがオフショアに移されるオフショア化も進みました。これらは、お互いに影響しあっていたと考えざるをえません。似たようなことが AI の周辺で起こっても不思議ではありません。

 論文などのさまざまな意見が紹介されているなかで、一番印象に残ったのは、イギリスの作家デビッド・レヴィ (David Levy) が立てた、2050 年までに『ロボットとの愛は人間との愛と同様にノーマルなものとされる』という仮説です。その仮説だけを取りあげると突飛に思えたのですが、マージェ・デ・グラーフ (Maartje de Graaf) が、高齢者たちが、友だちロボットを楽しさ、気づかい、友だち意識を伴って受け入れたと述べている例などを見ると、ロボットをペットと同じように家族の一員とみなすのは、ありえる気がしてきます。

 このままロボット工学と AI が影響しあって発展すれば、一緒に過ごせば過ごすほど自分を深く理解してくれる AI 搭載ロボットに愛情を抱くようになっても不思議ではない気がしてきます。そしてそのとき、ロボットを愛する人間のアイデンティティも AI の影響を受けるのでしょう。

 そのほか、ソーシャルメディアがより浸透したとき、ロシアゲート (2016 年米大統領選挙におけるロシアの干渉) のようなインフルエンス活動が AI を搭載し多様なネットワークを有するソーシャルメディア・ボットによって行われる可能性もより高まり、民主主義において主権を有するとされる国民の意思は、本当に国民が自ら考えたことなのかわからなくなる可能性もあるかもしれません。

 結局のところ、わたしたちは、AI によって何が起こるのか、完全に予測することはできず、ただそれが正しく使われているかどうか評価する術を維持し、その評価を政策や法律に反映させることができる道を何とか残していく以外、できることはないのかもしれません。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする