
鈴木 孝夫 著
岩波書店 出版
この本で著者は、日本語などの言語、つまり『ことば』を『人間が世界を認識する手段であると同時に、その認識結果の証拠 (あかし)』だと定義し、焦点を当てています。日本語と外国語を比較しながら、それらの言語で世界がどう認識されているかがとりあげるつもりだったようです。外国語とは、ここでは具体的に英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語を指しています。
読んだことによって新しい発見が得られましたが、欲をいえば、範囲が広すぎ (つまり、論点が多すぎ) たので、もう少し論点を絞り、掘り下げたほうが良かったような気がします。意地の悪い見方をすれば、掘り下げられなかったから、複数の論点を寄せ集めたのかもしれません。
わたしがこの本から得た収穫は、主にふたつです。ひとつは、自らが英語学習でつまずいた内容について、理由を知ることができました。もうひとつは、つい最近「訓読みのはなし」を読んで学んだことの理解が深まりました。
1 点目は、色の話です。英語で、orange といったとき、温州みかんのような色をイメージする方は多いと思います。手元の英和辞典を見ても、色としては『オレンジ色』や『赤黄色』などと説明されています。しかし、『日本人の目には茶色の一種としか見えない色彩も、時には色としての orange に含まれる』と著者は説明しています。同様に、フランス語の enveloppe jaune (直訳では『黄色い封筒』) は、『日本での茶封筒、つまり書類を入れたり、事務的な用件を伝える手紙などによく使う薄茶色のものを指す』そうです。
英語の orange が日本語のオレンジ色より幅が広いとわたしが知ったのは、Google の画像検索が登場する前でした。著者の例と同じ orange cat の描写がきっかけでした。同様に、dark もわたしにとっては難しい色表現です。dark hair は、『黒髪』がイメージされることが多く、dark eyes は『茶色い瞳』、dark skin は『褐色の肌』なのではないかと思っていましたが、画像検索を利用できるまでは、単なる想像でしかありませんでした。
著者は、色が示す幅の広さ問題を色彩の『弁別的用法』と『専門的用法』ということばを使って説明しています。前者は『同類の対象を、色彩を手がかりに区別するための色彩語の用法』と定義されています。わかりやすい例としては、信号です。3 色しかないので、『赤、青、黄』で表現し、実際には青が緑色に近かったとしても、専門色の『緑』を使わないと語っています。弁別的用法で使われるのは基本色 (日本語の基本色名は、赤、青、白、黒の 4 色といわれています) であり、黄色は、フランス語では基本色に含まれ、日本語では専門色に含まれるため、カバーする範囲に差がでるということです。後者は、ものの色を指定するときなど『色そのものを問題とする時の使い方』としています。
2 点目は、日本語における漢字の有用性です。2000 字近い漢字を覚えることは時間の浪費だという意見への一種の反論です。日本語は、英語などに比べ、文が長くなるしくみになっています。しかし、同じ内容をことばにするのに長くなればなるほど不便になります。その欠点を補うために漢字はなくてはならない存在だと著者は主張しています。
言語ごとの音の単位 (音素) を比較すると、日本語は 23 個、フランス語は 36 個、ドイツ語は 39 個、英語は 45 個と、日本語は他言語より少なくなっています。つまり、日本語がこれらの言語と同じ数だけの単語をもつためには、音素の組み合わせからなる個々の単語が必然的に長くなり、それに応じて文も長くなります。
また、英語と日本語の基本語を比較したとき、英語に比べて日本語は抽象的だと著者は主張しています。たとえば、日本語の『なく』に該当する英語の動詞を著者があげたところ、cry、weep、sob、blubber、whimper、wail、moan など、45 もあり、より具体的な意味がそれぞれにあります。したがって日本語では、『なく』を具体的に説明するには、副詞や副詞句を添えるため、文が長くなります。
しかし、音素の少なさにも、抽象的な基本語が多いことにも、漢字が一定の役割を果たしています。同じ音であっても、漢字で区別できるため、音素の少なさが補われます。また、音だけであれば抽象性が高くても、同訓漢字によって具体的になる場合があります。たとえば『とる』の場合、『取』、『採』、『捕』、『把』、『盗』とあり、どの漢字を用いるかによって、意味が狭められます。
わたしは、ローマ字表記で日本語を使うのは非現実的で、漢字を学ぶ意義はあると思っています。その考えは、日本語を母語とする者の感覚であり、著者のような視点で見たわけではなかったので、興味深くこの本を読むことができました。