2022年08月18日

「日本・日本語・日本人」

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大野 晋/森本 哲郎/鈴木 孝夫 著
新潮社 出版

 著者たちの鼎談とそれぞれの執筆文から構成され、日本・日本語・日本人について論じられています。言われてみればそのとおりと思ったのは、文明と言語の関係です。

 大野氏は、言語は文明とともにあると鼎談で語っています。つまり、「文明力を持てば、その言語は生き残るが、衰えれば別の文明に巻き込まれる。オランダ語がそうでした。江戸時代、日本人はオランダ語を学んできたが、オランダの国力が衰えた途端、それを習う日本人はいなくなった」のです。

 同様に、明治時代になって英語を学ぶことになった背景について、鈴木氏が「明治新政府は西洋文明を取り入れる手段として、最初は英独仏の三言語による英学、独学そして仏学という三本立ての体制で、日本の近代化 (西洋化) をはかるつもりだった。だが数年たらずして、これら三つもの西洋語の習得に乏しい予算と少ない人材を分散させることの非を悟った。当時世界最強の国力をもつ大英帝国の言語である英語に集中するほうが、全体として得策であることが判ったから」だと書いています。

 ただ、英語だけに絞ったわけでもなく、「優秀なドイツの医学や化学、そしてフランスの生理学や優れた軍事技術などの、イギリスよりも進んでいる分野を学ぶためには、ドイツ語とフランス語も全くは無視できなかった。このような事情を考慮して、結局英語を中心に置き (英学本位制)、それにこの二言語を補助的に位置づける」ことになったのです。これらの方針の根本にあったのは、のちに脱亜入欧と呼ばれることになった、日本を『西洋流の文明富強国』(福沢諭吉) とするための政策です。

 そののち、日本が戦争に負けて以降、政府は漢字を制し、日本人の漢字による造語能力が低下するという結果を招いたと大野氏は語っています。これは、いわゆる『和製漢語』(日本で日本人がつくった漢語で、『経済』や『資本』など数多あり、中国語にも外来語として取り入れられています) のことを指していると思われます。その影響もあってか、現代においては、外国の概念をあらわすことばをカタカナ表記でそのまま取り入れるようになり、漢字による造語は見られなくなりました。つまり、中国の国力が衰えたことを見てとり、漢字を積極的に使わなくなったということでしょうか。

 戦後、先進国に追いつこうとし、基本的に海外のものを手本としててきた日本のことを、鈴木氏は、先進国を「追い越した途端に目標が視界から消え失せ、迷走を始めた」と書き、日本が「こんな経済大国になったのが間違いかもしれない。資源をはじめ、あらゆる面でくらべものにならないアメリカに追随し肩を並べていきたいという発想からそろそろ脱却して、身の丈にあった国を目指さなければだめなのでは……」と語っています。

 鈴木氏の考えに心底共感するものの、法律にせよ文化にせよ、海外に存在する何かを持ってくるだけで間に合わせてきた日本に自らの目標を自らつくりあげることができるとは、わたしには思えませんでした。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする