2022年09月27日
「THE BFG」
Roald Dahl 著
Quentin Blake イラスト
Puffin Books 出版
ロアルド・ダールの児童向け作品も、「Charlie and the Chocolate Factory」、「Charlie and the Great Glass Elevator」、「The WITCHES」、「James and the Giant Peach」と読んできたので、なんとなく共通点がわかったように思えました。
(1) まっすぐな子どもが登場し、その子なりの幸せを手にすること
(2) (人物だったり、モノだったり、場所だったり) 突拍子もないものが存在すること
(3) ロアルド・ダール作品に登場する単語の辞書 (Oxford Roald Dahl Dictionary など) が出版されるほど、造語がふんだんに使われて、ことば遊びを楽しめること
(4) 空想の世界だけにとどまらず、現実社会の好ましくないところも、(おもにユーモアとして活かされ) 描写されていること
本作品に登場する子どもは、孤児院に暮らす Sophie です。ある夜、witching hour になっても眠れなかった Sophie は、この本のタイトルになっている BFG を見てしまったせいで、 BFG に連れ去られてしまいます。
BFG とは、Big Friendly Giant の略です。BFG は、全住人 10 名の Giant Country の一員ですが、そのなかで一番小柄 (それでも 7m を超えます) で、唯一人間を食べたりしない友好的な存在です。(Giant にわざわざ Big と付けるのは、名前だけでも大きく見せたいということなのでしょうか。)
巨人などという手垢のついた登場人物が、この作品における突拍子もない存在なのかと、読んでいる途中で落胆しかけましたが、違いました。この巨人には、特殊な能力がありました。トランペットのような道具を使って夢を吹き込むことにより、人にその夢を見させることができるのです。
夢は、Dream Country と呼ばれる、夢が生まれる場所で集めることができます。目に見えませんが、微かな音を発しているため、とても耳のよい BFG にだけその音が聞こえるため、BFG は、夢の内容を知ることもできれば、夢を集めて調合することもできます。実際、5 万もの夢を集め、瓶詰めにして保管していました。そのなかの楽しい夢を子どもたちに届けるため、人影のない夜、街に出かけて、偶然 Sophie に見られてしまったのです。
ふたりは、ある目的を果たさんとバッキンガム宮殿に出かけます。宮殿での執事と BFG の掛け合いは、自身と執事が重なって見え、読んでいて楽しい気分になれました。ロアルド・ダールの豊かな想像力も、溢れるユーモアも、本作の著者について最後に明かされる秘密などの結末も、わたしのなかでは、これまで読んだロアルド・ダール作品のなかで最高だったように思います。
ロアルド・ダール作品をなんとなくわかった気になっていましたが、もっと知りたいと思えた作品でした。
2022年09月26日
「これを大和言葉で言えますか?」
知的生活研究所 著
青春出版社 出版
日本語に注目した書籍なのに、誤字 (『需要』とすべきところが『重要』、『カタカナ』とすべきところが『カナカナ』と表記されたりしています)、読みの誤り (『女丈夫』を『じょじょうふ』ではなく『おんなじょうぶ』と説明されたりしています) や語源の誤り (『つつがない』の語源が、その語より新しい『ツツガムシ』にあるとされています) が見つかったのは、少し残念です。
ただ、大和言葉を意識する良い機会になりました。一番印象に残っているのは、月の呼び名です。こんなにあったのかと驚きました。
月齢ごとに、これだけの呼び名があるそうです。
1 日……『新月』『朔 (さく)』
2 日……『二日月 (ふつかづき)』『既朔 (きさく)』
3 日……『三日月』『眉月 (まゆづき・びげつ)』
7 日〜 8 日頃……『上弦の月』(『上弦の月』や『下弦の月』の月は、『半月 (はんげつ)』や『弓張月 (ゆみはりづき)』とも呼ばれます)
13 日……『十三夜月 (じゅうさんやづき)』
14 日……『小望月 (こもちづき)』『幾望 (きぼう)』
15 日……『十五夜の月』『望 (ぼう)』『三五の月 (さんごのつき)』
16 日……『十六夜の月 (いざよいのつき)』
17 日……『立待月 (たちまちづき)』
18 日……『居待月 (いまちづき)』
19 日……『臥待月 (ふしまちづき)』『寝待月 (ねまちづき)』
20 日……『更待月 (ふけまちづき)』『亥中の月 (いなかのつき)』
22 日〜 23 日頃……『下弦の月』
26 日……『有明月 (ありあけづき)』
30 日頃……『三十日月 (みそかづき)』『晦日 (つごもり)』
月を待つという習慣をもたない日常を送っているので、これらの呼び名から、空を見上げて月を待っていた頃の暮らしを少しばかり想像することができました。
2022年09月25日
「いまどきのニホン語 和英辞典」
デイヴィッド・P・ダッチャー (David P. Dutcher) 著
研究社辞書編集部 編
研究社 出版
研究社の「新和英大辞典 第 5 版」とそのオンライン版から、くだけた表現、俗語、流行語、芸能やスポーツの業界用語が集められたのが本書です。通読してみたら、日本語と英語の相違点や類似点に気づくことができました。
日本語と英語の相違点として一番印象に残ったのが、日本語は、擬音語・擬態語が多い点です。本書では、漫画の英訳を例に、日本語の擬音語・擬態語のニュアンスを英語で伝えるための工夫が 3 種類紹介されています。
ひとつめは、擬音語・擬態語を無視あるいは簡略化する方法です。たとえば、「のだめカンタービレ」の『ぴぎゃーっ』という悲鳴は英訳版では単に『aaah!』や『eeek!』(きゃーっ、ひゃーっ) となっているそうです。
ふたつめは、擬音語・擬態語を動詞で代用する方法です。たとえば、抜き足差し足で歩くシーンの『ソ〜』という擬態語は、『こっそり歩く』という意味の動詞を用いて『sneak』、放心状態のシーンの『ぼーっ』は、『ぼんやりする』という動詞『daze』、あざ笑うシーンの『ニヤリ』は、『にやにや笑う』を意味する『sneer』とするそうです。おもしろいのは、『glomp』という新和英大辞典に掲載されていない単語です。人に飛びついて抱きしめる『ぎゅむっ』『ヒシ』のような擬態語が使われたときに使うことができるそうです。
みっつめは、日本語のドカン→ドッカーンのような強調形は『ker-』や『ka-』のような接頭辞で示すことがあるそうです。たとえば、『boom』(ドーン、ズーン) に対し、『ker-boom』(ドッカーン、ズドーン) のようなバリエーションをつくるそうです。
日英翻訳における、擬音語・擬態語の扱いの難しさを垣間見ることができました。
いっぽう、日本語と英語の類似点で印象に残っているのは、隠語表記です。『氏ね』などインターネット上で使われている隠語は、日本語でもいろいろあるようですが、英語では leet (speak) という、アルファベットを数字や記号に、数字をアルファベットや記号に置き換える表記があるようです。
インターネットで調べてみたところ、leetspeak 情報を多く見つけることができました。leetspeak は、検索性を低めるため、つまり、自分たちの発言が広範囲に見られることがないよう、ハッカーなどが 1990 年代に使い始めたと言われています。ただ、同音異字を使えば、検索性が一気に落ちる日本語とは違って、leetspeak を使いこなすのは難しそうに感じられました。leetspeak に変換するための一覧表やアプリが数多く見つかったからです。
相違点や類似点の発見以外にも、ニュアンスを伝えるのが難しいと感じる用語を再認識することもできました。たとえば、『あいつちょっと天然入ってるよね』などと使われる『天然』は、癒しの雰囲気というか、少なくとも見下したニュアンスはないように思います。『何が悲しくてこんな本を買っちゃったのやら』の『何が悲しくて』というのは、もちろん何かを悲しんでいるわけではないので、説明に窮する表現です。『まだ宿題を提出していない不届き者が約一名いるようだ』の『約一名』は、一名という数に対して『約』をつけて、何をどう和らげようとしているのか説明が難しく感じられます。
読みものとしても、おもしろい辞典だと思います。
2022年09月14日
「殺人者の白い檻」
長岡 弘樹 著
KADOKAWA 出版
いわゆるフーダニットは、殺人事件などが起こり、その犯人探しという謎解きが始まるのが一般的です。本作では、解かれる謎がなんなのか、暗に示されているものの、読者は確信を得られないまま読み進み、最後にフーダニットだったのだとわかるようになっています。
帯には『「教場」の著者が挑む長編医療ミステリ』とあります。数々のエピソードが盛り込まれている「教場」では、謎解き役の教官には、それぞれの全体図が見えているようですが、読んでいる側としては、何が明かされるのか、最後まで確信が得られないようになっています。それと似た感覚をこの作品でも味わいました。
本作で舞台になっている病院の隣には刑務所があります。ある日、そこの死刑囚がクモ膜下出血により病院に搬送されてきます。手術にあたった外科医尾木敦也は、手術中に患者の名前を知り、激しく動揺します。自分の両親を殺害した罪により、死刑判決を下されたものの無実を訴え続けている定永宗吾だったからです。
脳内出血の後遺症により、リハビリが必要な定永ですが、後遺症がある限り、死刑が執行されないことから、リハビリを拒否します。それがある日、前言を翻し、リハビリを受けることになります。その翻意の理由が最後に明らかになり、伏線として用意されたものがすべてぴたりと嵌まって、全体図がわかります。
わたしは、その結末に少し違和感を覚えました。場当たり的な犯行と犯人の人物像が合わない気がしたのです。また、利己的な犯行に対する尾木の感情も理解に苦しみました。練りあげられたプロットに感心しましたが、読んでいて共感できる内容とは言い難かった気がします。
2022年09月11日
「眠れる美女」
川端 康成 著
新潮社 出版
次の短篇が収められています。
−眠れる美女
−片腕
−散りぬるを
一番印象に残ったのは、「眠れる美女」です。解説で三島由紀夫は、次のように述べています。
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『眠れる美女』は、形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品である。デカダン気取りの大正文学など遠く及ばぬ真の頽廃がこの作品には横溢している。私は今でも初読の強い印象を忘れることができない。ふつうの小説技法では、会話や動作で性格の動的な書き分けをするところを、この作品は作品の本質上、きわめて困難な、きわめて皮肉な技法を用いて、六人の娘を描き分けている。
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この六人の娘とは、ひと晩じゅう目が覚めない薬を使って、一糸まとわぬ姿で 67 歳の江口の隣で眠った女たちのことです。男として女の相手になれないような老人を相手に、若い女に添い寝をさせる『秘密のくらぶ』に友人の紹介でやってきた江口は、あるできごとが起こるまでこの宿に通います。
眠ったままの女の寝言や微かなつぶやき、ちょっとしたしぐさ、匂い、肌の色などから滲みでる、女それぞれの個性が描かれているのは、三島由紀夫の解説どおりです。ただ、興味深いのは、江口老人がたびたび通ってくるわりには、それぞれの女と自分のあいだにこの先何か起こるかもしれないと夢想するでもなく、娘の行く末を思ったりはするものの、そこに自分の姿を見ようとはしないことです。それどころか、思いは過去に飛び、かつての愛人たちや娼婦、それに自らの娘や母のことを思い起こすばかりだということです。
老いとは何か、突きつけられたような気がしました。江口老人は、自らを『安心の出来るお客さま』ではないとしつつも、『自分の男の残りのいのちももういくばくもないのではあるまいかと、常になく切実に考えさせられ』ています。生命の塊ともいえる娘の隣で眠ることに魅入られた老人の姿に人生の儚さや執着を感じるのは、わたしだけでしょうか。