2023年02月26日

「忘れられた少女」

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カリン・スローター (Karin Slaughter) 著
田辺 千幸 訳
ハーパーコリンズ・ ジャパン 出版

 この著者の作品「グッド・ドーター」を読んだことがあります。ページターナーだという点は、両作品とも同じなのですが、こちらの作品のほうが、自分の学生時代の記憶が呼び起され、共感できる部分が多かったように思います。

 18 歳の誕生日を間近に控えたエミリー・ローズ・ヴォーンが 1982 年に殺害された事件は、38 年経ったいまも未解決ですが、ある人物がその犯人であってほしいという期待のもと、新人保安官補、アンドレア・オリヴァーが再捜査のため派遣されます。ただ、アンドレアは、表立った調査ができるわけではなく、エミリーの母親であり連邦判事でもあるエスタ―・ローズ・ヴォーンの警護という任務をこなしながら、過去を探ることになります。

 1982 年当時のエミリーの視点と現在のアンドレアの視点で交互に語られるスタイルの本作では、アンドレアの任務の進展を追うことも充分おもしろかったのですが、殺される前数か月間のエミリーの成長や犯人探しは、それ以上に読み応えがありました。エミリーは、殺されたとき、出産間近の妊婦で、望んで妊娠したわけではありませんでした。いつも一緒に週末を過ごす友人たちと開いたパーティでドラッグを摂取した際、意識がないままレイプされたのです。

 気を許した仲間内の集まりとはいえ、LSD を服用したエミリーにも落ち度はありますが、その代償は計りしれないほど大きいものになりました。周囲から娼婦のような扱いを受け、高校を退学せざるを得なくなり、おなかの子の父親もわかりません。しかし、エミリーは誰が父親なのか調べ始め、自分が仲間だと信じていた同級生がそれぞれどういった人なのか、冷静な目で見られるようになり、自分と向き合い、成長を重ねていきます。

 エミリーが同級生たちや自身に真摯に向き合って知った、仲間の人となりや自分との関係性が、アンドレアの調べで客観的に証明されていく過程が楽しめるだけでなく、エミリーがわかり過ぎるくらいわかっていた家族との隔たりがアンドレアに明かされる過程で、エミリー自身が表立っては見せなかった彼女の優しさや強さが見られる点でも、ふたつの時代を行き来する構成が活きていたと思います。
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2023年02月25日

「希望の怪物 現代サブカルと「生きづらさ」のイメージ」

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田村 景子 著
笠間書院 出版

 現代サブカル (アニメや映画、マンガやライトノベル) において、希望が怪物とともにどう描かれているかをまとめたものが本書です。希望がフィクションに描かれるのは自然なことだと、わたしは考えます。人が希望を抱きにくい状況が数多くあるなか、こうあって欲しいという理想がフィクションに登場するのは、不思議ではありません。ただ、その希望と『怪物』という組み合わせがテーマになっているのが興味深く感じられました。

 怪物とは、『既存の日常、既存のあたりまえから外れた、驚くべきことやものであり、その存在によってあたりまえの日常を揺るがし、あたりまえの日常に破滅的な危機がせまるのを知らせる異様な「警告者」』だと、著者は、書いています。怪物と警告者のイメージが結びつかなかったのですが、著者によると、怪物 (monster) という語は、ラテン語の monstrum (凶兆、警告の意) が由来になっているそうです。monstrum は、種村季弘さんによれば、『世界没落』を指しているそうです。

 この本の指摘でなるほどと思ったのは、警告が生まれる素地が時代とともに変化してきたという点です。「風の谷のナウシカ」(1982 〜 94) や「AKIRA」(1982 〜 90) の背景には冷戦時代と核戦争の恐怖があり、「寄生獣」(1988 〜 95) には産業文明や戦争によって汚染された地球と人間の存在意義への懐疑、「新世紀エヴァンゲリオン」(1995 〜 98) には未来が今よりもよくなりはしないというバブル崩壊後の諦観、「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」(2004) には子供をとりまく虐待と貧困、「巨神兵東京に現わる」(2012) には東日本大震災・福島原発事故がつながっています。

 さらには、何が怪物なのかも変化していると著者は見ています。3.11 以降の怪物の物語には、人間であったはずの主人公が紛うことなき怪物だと判明する、もしくは主人公が怪物になるタイプが目立つと分析しています。一番怖いのは、身近な人間だという警告が発せられているのかもしれません。それは、古くから脅威と捉えられていた地震を機に、原子力発電所は安全だと言い続けた電力会社、根拠もなくそれを信じていた国民、原子炉建屋が吹き飛び都内の浄水場の水からも放射性物質が検出されても影響がないと言い続けた政府を見て、怪物は身近な人だと捉えるようになったということかもしれません。

 米ソの対立や戦争を恐れる社会に比べ、身近な人を恐れなければならない社会のほうが怖い気がするのは、わたしだけでしょうか。
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2023年02月11日

「ひとりのときに」

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高橋 茅香子 著
horo books 出版

 この本の奥付の隣に『horo books は 100 部から 700 部発行の超スモールプレスです 売り切れ後は、増刷はしません』とありました。わたしがこれまで読んできた本とは、まったく違う発行方法のようです。流通経路も違うのか、カバーにはバーコードの印刷もありません。

 ここには、2021 年の『98 字日記』(著者は、98 文字でまとめた日記を 2011 年から毎日 Web で公開しています) とエッセイ 5 編がまとめられています。98 文字で日記を書くのは『文章を書く上で自分に課す鍛錬』と説明されています。なぜ 98 文字なのかについては説明がありませんが、ここまで文が短いと、その文が生まれた状況などを想像する余地が大きく、共感など読者に生まれる感情が、より多様化するのではないかと思いました。

 著者は、身分証を見せる機会があった折り、「98 字の方ですか」と、声をかけられたことがあるそうです。共感したり気づきを得たりする読者が存在することを知ることができるのは、ひとり鍛錬を続けているだけではあり得ないことで、素晴らしいことだと思います。

 わたしがこの本で一番共感できたのは、次のことです。『タイトルを「ひとりのときに」としましたが、私は「ひとり」をとりわけ強調したいとは思いません。幼い頃からひとりでいることが好きではありましたけれど、ひとりが一番いいと人に薦めることはしません。ただ、ひとりでいる時の充足感があってこそ、他の人との触れ合いを大切にできると、いつも感じています』。

 増刷してどれだけ利益を伸ばせるか腐心する出版もいいと思いますが、本に対する思いを実現するだけで増刷しない出版もあっていいと思いました。
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2023年02月10日

「私の好きなお国ことば」

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小学館辞典編集部 編
小学館 出版

 この本の巻末には『方言索引』が 2 ページにわたって掲載されていますが、わたしに意味がわかる単語は半分もありませんでした。それぞれの意味は、全国 47 都道府県別に一編ずつ (大阪と福岡は例外的に各二編) あるエッセイを読めば、わかります。エッセイでは、その地域のことばを話せる人物が、思い出を交えながらお国ことばを紹介しています。

 エピソードのひとつひとつに方言の広がりというか奥深さを感じるいっぽう、これらのことばがこの先、生きたことばとして誰かの記憶に残っていくことはないように思えてきて、寂しく感じられました。年配の方々が、ご自身が子どもだったり、若かったころの記憶の一部として方言を懐かしんでいるのを読みながら、生まれたときからテレビを通じていわゆる標準語に接してきた世代の方々には、こういった記憶はないのではないかと思ったのです。

 それでも、方言も少しは生き延びるのかもしれないと思ったのは、京都を中心に関西で使われている『はんなり』ということばが好きだと豊竹咲太夫さんが書かれていたからです。関西弁話者のわたしにとって、『はんなり』といったニュアンスを標準語であらわすのは難しく、今でもこのことばを使っています。同じ理由で『まったり』も使い続けていますが、こちらは、テレビの影響で全国区の表現になりました。

 鹿児島県のエッセイでは、薩摩弁は他県人にはわかりにくいとあります。他県人が会話に入っていけないほどわかりにくいような薩摩弁だけを話す人は確実に減ってきたと思いますが、『はんなり』や『まったり』といった特定の表現が残っていくということはあるかもしれないと思いました。

 方言の広がりを感じた表現のひとつに、福岡県の『よる』と『ちょる』があります。町田健さんによれば、標準語の『ている』にあたることばは、福岡県では、『よる』と『ちょる』になるそうです。前者は、動作の途中をあらわし、後者は動作の結果をあらわすそうです。つまり、『(人が) 歩いている』は、『歩きよる』となり、『(財布が) 落ちている』は、『落ちちょる』になるそうです。標準語ではどちらも『ている』になり、動作の途中か結果か区別できませんが、福岡のことばでは区別できるそうです。標準語と対にならないこういう表現に方言の多様性を感じます。

 人の思いを伝えることばとして素敵だと思ったのは、渡辺えり子さんが紹介する『けらっしゃい』です。彼女は、このことばを思い出すと山形に帰りたくなるそうです。『はやぐあがてけらっしゃい。ゆっくり休んでけらっしゃい』などと使われ、玄関から中に入ってください、ゆっくり休んでいってくださいという意味です。相手を思い、労う、柔らかなことばだと思います。

 こういった表現を知ると、利便性と引き換えに方言を失ってきたことに、そこはかとない寂しさを感じます。
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2023年02月09日

「読まずにわかる こあら式英語のニュアンス図鑑」

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こあらの学校 著
KADOKAWA 出版

 英語学習者が手元に置いて損はない本だと思います。タイトルに偽りはなく、ニュアンスの違いが簡潔に明示されています。

 名詞、動詞、助動詞、形容詞、副詞、前置詞・接続詞と、品詞別に似た単語を比較しつつ説明されています。たとえば、名詞だと、shop と store の違いや present と gift の違いがわかります。前者の違いは、なんとなくわたしにも理解できていましたが、驚いたのは、後者の違いです。感謝や愛情をこめた個人間の贈り物には present、価値が高いフォーマルな贈り物には gift という単語を使うということです。

 動詞だと、speak、say、talk、tell の違い、look、appear、seem の違い、select、choose、pick の違いなどが説明されています。最初の speak、say、talk、tell のグループの単語を使う際、わたしは、目的語などの構文を気にするばかりで、随分と適当に単語を選んできたのだと思い知った気がします。この本では、次のように論理的に分類されています。

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 ほかにも、いろいろな副詞を随分とぞんざいに選んできたのだと気づかされました。使わない日はないくらい頻繁に使ってきた because が次のような位置づけにあるとは思いもしませんでした。

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 わたしにとっては手にとるのが遅すぎた本ですが、未来ある英語学習者にはお勧めしたいと思います。
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