2023年04月22日

「さりげなく思いやりが伝わる大和言葉」

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上野 誠 著
幻冬舎 出版

 大和言葉は、柔らかい印象を与えるイメージがあり、わたしにも使える言葉がないかと思って、読みましたが、使ってみたいと思った言葉より、誤った使い方をしたことがあったかもしれないと不安を感じた言葉のほうが多くありました。

 使ってみたいと思ったのは、『ややもすれば』で、例文は、『朝寝坊をしないように、みんな気をつけていると思いますが、一時間目は八時半からなので、ややもすれば遅刻してしまうことになります。ですから、前日は夜更かしなどしては、いけませんよ』とあります。ほんの少しのことで、そうなってしまうという懸念の伝え方は、相手を咎めているようには聞こえない気がしました。

 正しく理解できていたか自信をなくした言葉は、『さじを投げる』、『たしなめる』、『下にもおかぬ』、『舌を巻く』です。

『さじを投げる』は、うまくいく見込みがない場合に、あきらめて手を引くことですが、この本によれば、八方手を尽くした時のみ、使えるそうです。さまざまな手を尽くし、それでもうまくいかない場合に限って、『さじを投げる』といっていいようです。

『たしなめる』は、厳しく怒るのではなく、優しく指導することなので、わたしもこれまで受け身で使ってきたことがある言葉です。もっぱら、目上の者が目下の者に注意を与えるときに使う表現だそうです。わたしが、後輩からたしなめられたと言ったとき、周囲はどう思っていたのか、不安になりました。

『下にもおかぬ』の場合、単に好待遇をあらわすだけではなく、本来それほどの厚遇を受けるはずのない者が、厚遇を受ける時に限って使用できるそうです。これまで、厚遇に値する人に対してこの言葉を使うという失礼な振る舞いに及んだことがなかったことを祈りたい気分です。

『舌を巻く』は、相手の力量の大きさ、戦略のみごとさを知って驚いた時に使えますが、多くの場合、やや見下していた者の実力が大きいと感じたときに使うそうです。逆にいうと、実力が予想どおりなら、使えません。これも、相手の実力を過小評価していたと思われる表現なので、注意を要します。

 使える場面が限定されていることを知らず、失礼なことを言わないよう気をつけたいと思います。
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2023年04月21日

「運動の神話」

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ダニエル・E・リーバーマン (Daniel E. Lieberman) 著
中里 京子 訳
早川書房 出版

 原題は、Exercised: Why Something We Never Evolved to Do Is Healthy and Rewarding (人間は運動するために進化してきたわけではないのに、なぜ運動は健康に役立つのか) です。著者は、人体の進化、特にランニングなどの身体活動に詳しい研究者です。

 その研究者が述べる結論は、『運動は必要かつ楽しめるものにしよう』『有酸素運動を中心に、多少のウェイトトレーニングも行なおう』『運動は、しないよりしたほうがいい』『年齢を重ねても続けよう』となっています。さまざまな研究をもとに導きだされただけあって説得力があり、育児中の方には特に有用だと思える内容でした。

 日本語タイトルにある『神話』は、神など超自然的存在が登場する説話を指す場合と根拠もなく信じられていることを比喩的にあらわす場合に使われることが多いことばですが、ここではおもに後者を意味しています。

 この本では、(1) 私たちは運動するように進化してきた、(2) 怠惰に過ごすのは不自然だ、(3) 座ることは本質的に不健康である、(4) 毎晩八時間は眠らなければならない、(5) 正常な人間は持久力のためにスピードを犠牲にする、(6) 人類は極めて強靭になるように進化してきた、(7) スポーツすなわち運動、(8) ウォーキングで体重は減らない、(9) ランニングは膝に悪い、(10) 年をとって体を動かさなくなるのは正常なこと、(11)「とにかくやれ」と言えばいい、(12) 運動には最適な量と種類がある、という神話それぞれにつき、どこまで正しいかを検討したあと、おもな疾病と運動の関係に注目しています。

 第 3 の神話について真偽を知りたいと思ったことをきっかけに、わたしはこの本を読みました。この本によれば、過度に長く座り続けると慢性炎症が引き起こされるそうです。(体が病原体に感染した後に短期間の激しい局所的な炎症反応を引き起こすのは、数十種類のタンパク質のサイトカインです。ただ、その一部が、持続的でほとんど検出できないレベルの炎症を全身に引き起こすこともあるとわかっているそうです。)

 この慢性炎症の原因は、喫煙、肥満、炎症を引き起こす特定の食品 (牛肉や豚肉などの赤い色の肉はその代表) の過剰摂取、身体活動の欠乏が考えられます。ただ、軽度とはいえ炎症が常に起こっていれば、心臓病、2 型糖尿病、アルツハイマー病など、加齢に伴う数多くの非感染症疾患の主な原因になるということです。

 つまり、座ることイコール動かないことであり、そこからこの第 3 の神話が生まれたようです。疫学調査としては、座っているときに短い中断を頻繁に入れる人は、ほとんど椅子から立ち上がらない人に比べて、炎症の程度が最大 25% 少ないという結果もあり、座るか立つかという問題ではなく、どのくらい動くかが問題だと推測することも可能です。

 しかし、こういった疫学調査は因果関係を検証するわけではありません。著者は、椅子に座る快適さをあきらめる前に、アクティブな座り方が、なぜ、どのようにして中断なく座ることより良いのかを知りたいと書いています。そのいっぽうで、立ち机を前より頻繁に使うようになったとも書いています。

 では、実質的な健康上の利点を得るために成人が必要とする運動量は、どれくらいかという疑問に対し、少なくとも週に 150 分間の中強度の有酸素運動、または週に 75 分間の高強度の有酸素運動、あるいはこれら 2 つに相当する組み合わせの運動を行なうべきという考えが紹介されています。(中強度の有酸素運動とは、その人の最大心拍数の 50〜70% に当たる運動量、高強度の有酸素運動とは、最大心拍数の 70〜85% に当たる運動量です。) 興味深いのは、運動量をさらに増やしても、それに応じて良くなることも悪くなることもないということです。つまり、『過ぎたるはなお及ばざるが如し』は、運動には当てはまらないということです。

 人の進化の過程に注目しながら運動を考察する手法が特に興味深く感じられました。
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2023年04月20日

「昔、言葉は思想であった 語源からみた現代」

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『この世間で日常茶飯につかわれている言葉が、日常語においてのみならず学術語においても、それらの語源から遠くに離れてしまったこと、また歪んだ意味を持たされるに至ってしまったことを』伝えるための本だそうです。

 非難に終始する内容を読み進めるのは、気が重く感じられるときもありましたが、これまでわたしが無造作につかってきた言葉について考える機会が得られました。経済、社会、政治、文化の分野それぞれに 20 を超える言葉がとりあげられていますが、印象に残った言葉をいくつかあげたいと思います。

『天皇 (emperor)』の項では、天皇を英語で emperor と言うことが非難されています。わたしもそう言ってきましたが、著者が指摘するとおり、解釈上混乱を招く表現だと思いますし、著者の提案する inherited shintoist pope (相続制の神道法王) は、少なくとも emperor より相応しい表現だと思います。古事記や日本書紀は、日本文化の一部であり、そういった背景が考慮されている点が優れていると思います。

『国際紛争 (international dispute)』の項では、わたしたち日本人は、戦争から目を背け、正しく表現する言葉を持たずにきたのだと気づかされました。英語圏では disturbance、turmoil、uproar、strife などと『物理力の衝突』の規模や程度について微妙に表現を使い分けて報道されているいっぽう、日本語では、戦争、動乱、騒乱、騒擾といった言葉を気分まかせで使っているため、世界の危機の様相がみえてこないというのです。武力・物理力の範囲と程度に応じて、またその衝突と形態について、報道用語を類別すべきだという著者の提案には首肯せざるをえませんでした。

『民間 (private sector)』の項では、わたしが何気なく受けいれていた英語がとりあげられていました。private sector と対比する言葉として public sector があり、通常、政府部門を意味します。そのことを少々狂っていると著者は形容しています。パブリック (公共) の部門をすべて政府が担当するというのは、逆にいうとパブリック (公衆) がパブリック・マインド (公心、public mind) を持っていない (もしくは公心の発揚をすべて政府に委託する) ことになるというのです。

『市民 (citizen)』の項で、『公』とは (他人を排除せんとする)『ㇺ』つまり私心を、公心によって『切り開かんとする』(『八』) ことであり、公衆になりおおせるのは簡単なこととは思えないと著者は語っています。簡単ではないから、政府にすべて任せてしまおうと言われると、わたしは反対したくなりますが、これまで何も考えず、これらの言葉を使ってきたので、反対する資格はないのかもしれません。

『選挙 (election)』の項で、著者は『民衆が公衆 (あるいは公民) となっているときにはじめて民主主義に積極的な意味が宿る』と述べています。わたしたちは、政治家を批判するわりには、自らが公民として、公心をもって選挙に臨んでいたか、あらためて問うべきかもしれません。

『政治家 (statesman)』の項では、政治家 (statesman) と政治屋 (politician) が対比されています。後者が否定的であるいっぽう、前者が肯定的なのは、ステーツ (複数) という言葉が、『(人々の身分関係のことも含めた) 状態』のことだけではなく、そうした事柄の集積としての『統治の諸状態』(つまり『国家』) を意味するからだと著者は考えています。つまり国家は肯定してかかるべき良きものであり、その良きものにかかわるがゆえに、ステーツマンは肯定語となり、その語には、『高い身分』の者がなす『賢明な統治』という意味も含まれることになります。

 著者によれば、『政治家 (ステーツマン)』にとっては、リアリティ (現実性、reality) とアイディアリティ (理想性、ideality) のあいだで平衡をとらんとするアクティヴィティ (活動性、activity) という意味での、アクチュアリティ (現存性、actuality) が重視されている、つまり、現状維持のリアリズムと現状破壊のアイディアリズムが遠ざけられるというのです。

 日本は、政治屋ばかりを増やし、政治家を根絶やしにしてきたのかもしれません。それは、わたしたち国民が現状維持に固執したことが反映された結果かもしれませんし、あるいは一気に理想が現実となることに期待し、理想と現状のあいだにある目標を非難してきたせいかもしれません。どちらにせよ、国の舵取りを任せられる政治家が死滅したことは、わたしたち国民にも責任がある気がしました。

 国民としての自分を考えるきっかけが得られました。
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2023年04月03日

「ステイト・オブ・テラー」

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ヒラリー・クリントン (Hillary Rodham Clinton)/ルイーズ・ペニー (Louise Penny) 著
吉野 弘人 訳
小学館 出版

 2016 年に米大統領選挙に出馬したヒラリー・クリントンが、共著とはいえ政治スリラー小説を書いたと知って、興味本位で読んでみたのですが、期待以上に楽しめました。

 いわゆるページターナーなのですが、ページを繰ってしまう理由がいくつかありました。理由の筆頭は、主人公にあります。エレン・アダムスという 50 代女性が国務長官に任命されて間もない時期、核のボタンがいつ押されてもおかしくないという『ステイト・オブ・テラー (恐怖の状態)』が歴史的悲劇に転じるのを防ごうと奮闘します。

 彼女は、国務長官に任命される前、メディアの最高経営責任者として、ある武器商人を糾弾した結果、夫を亡くしています。そこまでの犠牲を払った経験があっても、核兵器が使用されるという最大級の悲劇を回避しようと不屈の精神で挑む姿を応援したくなります。(読者が主人公にヒラリー・クリントンを重ねて見ることを作者も想定しているはずなので、最悪の事態を回避できる結末は予想できるのですが、それでもそのプロセスを読みたくなりました。)

 さらに、政権交代や国家間の緊張関係など米国の内側からの視点に惹きつけられました。もちろんフィクションではありますが、作家たちがトランプ前大統領をどう見ているのか、オバマ大統領時代に米国が世界の警察官をやめたことをどう捉えているのか、いろいろ想像すると同時に、世の中の問題を再認識できた気がします。(日本は主に安全面で米国に依存してきましたが、その割には、日本国民の米国への関心は薄かったように思えました。)

 そして最大の魅力は、核兵器を巡り、誰が国務長官の敵で、誰が味方なのか、誰が本音を語り、誰が嘘をついているのかという謎を追う楽しみだと思います。政府も、相応の規模を有する企業と同じで、一枚岩の組織ではなく、敵が明らかになるまでのスリルとリアリティを感じつつ読むことができました。
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2023年04月02日

「Matilda」

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Roald Dahl 著
Viking Books for Young Readers 出版

 Matilda は、たった 5 歳半ながら、いろんな面を併せもつ魅力的な主人公です。天才的な頭脳と好奇心をもち、学校に通う前からチャールズ・ディケンズやジェイン・オースティンなどの作品を読破できるだけでなく、桁数の多い四則演算も暗算で答えを得られました。そのうえ優しくて、大人顔負けの心配りができます。そうかと思えば、いたずらが大好きという、子供らしい面もあります。

 そんな子供がいれば、周囲の大人は神童と大騒ぎしそうなものですが、両親は、Matilda をただただ邪険に扱います。学校の担任の先生 は、Matilda の可能性を信じ、飛び級させるよう校長先生に進言しますが、校長先生は頑として認めません。この校長先生は、Matilda に対してだけではなく、公私にわたって問題があり、人を人とも思わない極悪非道な人物なのです。

 この展開で、どういった結末が用意されているのか、まったく予想がつかなかったのですが、驚きのハッピーエンドを迎えます。とてもわかりやすい勧善懲悪で終わったことにも驚きましたが、そこに至る伏線にも驚かされました。Matilda の父親が自慢げに話していた中古車ディーラーの仕事も、Matilda が負けん気が強くていたずらという手段で仕返しする一面をもつことも、Matilda の担任が面倒見がよくて利己的なところが少ない先生だということも、すべてここにつながっていたのかと思いました。

 めでたしめでたし、そう言って本を閉じたくなった、児童書らしい結末を楽しめました。
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