2023年05月23日

「美人の日本語」

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山下 景子 著
幻冬舎 出版

 一年の暦に沿って毎日ひとつずつ、その日にふさわしいことばが紹介されています。わたしが惹かれたことばの多くは、四季の移り変わりが感じられる、自然に関係することばでした。

 わたしの場合、一番自然に目が向くのは、桜の季節です。これまでのお花見では、木の幹から直接咲いている桜が気になっていましたが、今回初めてそれが『胴吹き桜』と呼ばれると知りました。老木がエネルギーの不足を補うために幹から直接芽を出すそうです。

 この本の 4 月 3 日に『蘖 (ひこばえ)』ということばが載っています。切り株や根元から出てきた新芽のことを指しています。曾孫を意味する『ひこ』から、新芽を曾孫に見立て、ひこばえと呼ぶようになったそうです。根元からの新芽は、ひこばえ、幹や枝の途中からの新芽は、胴吹きというのだと、ひこばえを調べていて知りました。

 桜の季節の少し前、2 月 28 日には『春告草 (はるつげぐさ)』ということばが紹介されています。梅を指すことばです。梅はほかにも、晋の武帝が学問に親しむと花が開き、怠ると開かなかったという故事から『好文木 (こうぶんぼく)』と呼ばれたり、春風を待つことから『風待草 (かぜまちぐさ)』と呼ばれたり、その香りから『匂草 (においくさ)』や『香栄草 (かばえくさ)』と呼ばれたりしています。その異名の多さに、現代に比べ、より春が待ち遠く感じられた時代の名残りを感じます。

 春を代表する鳥のひとつ、目白は、3 月 6 日に『目白押し』として、紹介されています。目白は、身体が鶯色で、その名のとおり目の周りが白い鳥です。巣立ったばかりのころは、枝にとまる時、何羽もが身体をくっつけて押し合うようにとまるため、そこから目白押しということばができたそうです。目白を見る機会は滅多にないので、インターネットで検索してみたところ、おしくらまんじゅうということばを思い出させる、身体をくっつけている目白の画像が見つかりました。

 自然に関係することばを、もっと知りたいと思わせられた本でした。
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2023年05月22日

「成果が出るチームをつくる方法」

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知念 くにこ 著
つた書房 出版

 成果が出るチームをつくるというのは、それこそ言うは易く行うは難しで、試行錯誤しながらチームの特性やメンバーに合わせて進めていくしかないと、わたしは思います。そういった経験をいくらか積んだ身として振り返ってみると、重要だったと思い当たることが、この本でいくつか指摘されていて、この本にあるような知識を試行錯誤の前に身につけておくことは大切だと思いました。

 生き残れるチームとして、著者は、5 つのポイントをあげています。
@ 目的を共有すること
A 5 〜 10 名ほどの小さい単位であること
B スピードを重視すること
C 個の学びをチームの学びにすること
D メンバーが主体的に動くこと

 いずれも重要ですが、わたしは特にBが難しかったと感じています。原因は、失敗を恐れすぎる、失敗を認めにくいことにあるのではないかと推測しています。行動のないところに失敗はありませんし、慎重になりすぎてしまい、スピードで負けてしまうことはありがちだと思うのです。

 変化に対応し、新しい未来を築くリーダーに共通する行動として、著者は、ウォレン・ベニスがあげた項目を紹介しています。そのなかに『間違いを認める』があげられています。これは、上記のCにも通じると思います。リーダーであれ、リーダーを支えるフォロワーであれ、失敗などを認め、そこから学び、組織として対処していくことは、変化に対応しつつ迅速に進むために不可欠ではないかと思いました。

 この本 1 冊で成果が出るチームをつくれるわけではありませんが、広く浅く要点がまとめられているように思えました。
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2023年05月21日

「忘らるる物語」

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高殿 円 著
KADOKAWA 出版

 心の底ではわかっていながら、目を背けてきたことがそのままことばとして綴られている、わたしにはそう思えた作品でした。

 世の中に持つ者と持たざる者がいることは歴然とした事実です。時代によって『腕力』を持つ者が有利になることもあれば、『金銭』や『地位』を持つ者が有利になることもありますが、持つ者と持たざる者に隔たりがあることに変わりはありません。本作では、『人間の幸福は、たいてはどの女の腹から生れ落ちるかで決まった』と表現されています。

 本作の主人公、環璃 (ワリ) は、北原 (ほくげん) の月端 (げったん) の女王で、同じく王族出身の夫と 13 歳で結婚したあと 16 歳で子供を産み、底辺の人々が羨んだであろう暮らしをしていました。それがある日、月端を含むすべての国の頂点に立つ燦 (さん) という国の差し金により、夫を含む一族が根絶やしにされます。子とふたり生き残ったものの、子が人質となっているため、環璃は、燦に完全に支配された状態に陥ります。

 本作では、その『支配』がテーマのひとつになっています。『かつて自分たちを苦しめた支配であることに、支配に回った者は気づきもすまい』と、支配を受けた痛みを忘れて支配する側に立つ者の愚かさが指摘される場面があったり、支配される者に『牙を剥く以外の選択肢を与えそれを自主的に選ばせることで、喜んでこちらに同化させること』が本当の支配だと語られる場面があったりします。

 支配され苦しむ環璃が願うのは、確神 (ゲゲル) と呼ばれる確たる神とともに生き、子を取り戻すことです。確神とともにあれば、男を一瞬で灰燼 (はい) にする力を得られ、支配に屈することなく生きることができるのです。

 しかし、環璃に訪れた転機は意外なものでした。旅の途中で知り合った女性を信じ、彼女に自らの国を与え、彼女の過去を知りたいと願い、心を預けたことをきっかけに思わぬ道を辿ることになります。

『やっと、わたしのものを分け与えることができた、と環璃は思った』という一文を読んだとき、状況が本当に変わるのは、結局、人を大切にし、人から大切にされたときなのだと、目を背けていたことを直視させられた気がしました。
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2023年05月02日

「三行で撃つ <善く、生きる> ための文章塾」

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近藤 康太郎 著
CCC メディアハウス 出版

 わたしは、常々『わかりやすい文章』を書きたいと思っています。ソフトウェアユーザーに使い方を伝えたり、同僚と情報を共有したりする際、ストレスを与えることなく意図したことが伝わる文章を目指しています。

 そんな目標を遥かに超える文章、人をいい心持ちにしたり、落ち着かせたり、世の中を住みいいものにしたり、そういったことのできる、風通しのいい文章や徳のある文章を書くためにはどうするかを 25 の視点から説明しているのがこの本です。

 『うまい文章』ではなく、読み手を中心に据えた、読者の心を揺らす『いい文章』 を書くということは、途轍もなく難しいことです。著者は、『表現者に、ワーク・ライフ・バランスなどあるわけがない。「ワーク・イズ・ライフ」だ』と書いています。書くことが頭から離れない状態を維持しなければ、『いい文章』は書けないのでしょう。

 この本の 14 番目の項によれば、作家の場合、自分にしか書けない『企画』を常に考えています。それは、自分が得意なことを書けといっているわけではありません。読みたいと思っている読者が大勢いるところを探し、読者の半歩先を書くのです。読者が今いるところでも読者の一歩先でもなく、半歩先を見極めるのです。

『半歩』は、わかるようでわからない距離です。こんな指南が 25 も連なっているのですから、本気で書きたいと思っている方には最良の書だと思います。しかし、本を読み終えたあとの自分の文章が少しわかりやすくなっていることを期待していたわたしが学べたことは、書くことの厳しさでした。

 その厳しさを知りながら、著者が『いい』と認める文章をわたしが今から目指すことは現実的ではありません。ただ、著者の文章をもっと読んでみたいと思いました。著者は、『文章を書くとは、品格のある人間になること』だと書いています。そう考えている人が何を書くのか知りたいのです。
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2023年05月01日

「ペッパーズ・ゴースト」

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伊坂 幸太郎 著
朝日新聞出版 出版

 ニーチェの「Also sprach Zarathustra (ツァラトゥストラはこう語った)」を再読した著者が『永遠回帰』という考え方にはっとさせられ、本作品を書いたそうです。(『永遠回帰』は、人間は同じ人生を永遠に繰り返すという考え方で、現世で立派に生きれば、死後、幸せになったり生まれ変わったりするという、宗教によく見られる観念を否定するものです。)

 タイトルのペッパーズ・ゴーストとは、そこに存在しないものを見せる、ボーカロイドのライブなどで使われる、投影方法のひとつです。本作品では、テレビで大々的に報じられた事件が実は、世間を欺く芝居だったのではないかという疑念が生じた場面で、事件がペッパーズ・ゴーストだったのではないかと語られます。

 わたしには、『永遠回帰』は、同じことが繰り返されていると思えばそう見えるし、そう思わなければそう見えないだけのことのような気がして仕方ありませんでした。

 本作品では、小説の登場人物にとっての人生は『永遠回帰』だと仄めかされています。たしかに、小説を何度読んでも、登場人物の人生は変わりません。しかし、本作品では、小説の登場人物が現実の世界にやってきます。彼らは、現実の世界でも、そのまま神の視点 (作者視点) で語られ続け、登場人物の一人称は使われません。それは、彼らが現実の世界でも、神の視点から逃れられずにいる、つまり決められた人生を歩んでいるように見えました。

 また、登場人物のひとり、中学校の教師は、自らの力不足から生徒を救えなかった過去を悔いつつ、人を救いたいと日々もがいています。そしてその教師は、誰かを救うために未来を変えていきます。ただ、その教師が、ある人物がペッパーズ・ゴーストを企てたのではないかと推測する場面でわたしは、未来を変えたいと強く願いすぎたせいで、教師には現実がペッパーズ・ゴーストに見えたのではないかという疑問をもちました。つまり、未来が変わったように見えた場面でも、予測した未来が間違っていて、未来を変えたように見えていた可能性を否定できません。

 これまでの伊坂作品同様、読んでいるあいだ、それぞれのキャラクターを楽しめたのですが、答えのない問いをずっと考え続けている気分になり、自分の考えがまとまらなくなりました。