2023年09月30日

「教養としての「金利」」

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田渕 直也 著
日本実業出版社 出版

『金利』といえば、銀行の普通・定期預金の利息を思い浮かべ、知っている気がしていましたが、あらためてその理屈を知ると、さまざまな金融商品に影響を与える数字だけに興味深く、金融システムについてもっと知りたくなりました。

 この本の冒頭に紹介されているイギリスのエピソードが金利のコントロールがいかに重要かを物語っています。イギリスは、1688 年の名誉革命以降、オランダの支援を得て金融システムや財政制度を近代化しました。具体的には、議会が政治的主権を握ったことにより、徴税権を裏付けに国債を発行するようになり、その債務をきちんと履行するようになりました。いっぽう、スペインやフランスは王政だったため、変わらず借金を踏み倒していました。

 その結果、イギリスの支払う金利は徐々に下がり続け、他国との金利差が広がり、資金調達力に差ができたというのです。著者は、『イギリスが世界屈指の海軍力を整備できたのも、大国フランスに対抗し続けることができたのも、最終的に起きたナポレオンとの苦しい戦争を戦い抜けたのも、この資金調達力があったればこそ』と書いています。金利は、リスクの数値化とも言えるエピソードだと思います。

 日本でもインフレが話題になるという久方ぶりの状況にあるいま、わたしが興味を惹かれたのは、ブレークイーブン・インフレ率 (BEI:Break Even Inflation rate) です。計算するには、(普通の) 10 年利付債の利回りから、同じ 10 年ものの物価連動国債の利回りを引きます。(名目金利から実質金利を引くと、インフレ率になるというわけです。) 利回りの計算には国債の流通価格が用いられるため、債券市場の参加者の予想が反映されている、つまり BEI は市場参加者によるインフレ率予測になるという理屈です。

 興味深いのは、債券市場の参加者全体の予想というのは、かなり正確だと著者が説明している点です。理由として、『債券は、株式に比べて価格がそれほど動かず、金融政策の将来予測などから適正な利回りを計算しやすいので、市場全体が楽観的になりすぎてバブル化するといったことが比較的起きにくい』点があげられています。

 債券市場参加者の予測能力がきわめて高いと知って気になるのが、ことし米債で見られた逆イールドカーブです。短期金利が長期金利を上回る逆イールドカーブは、景気後退の強いサインとされているそうです。つまり、市場は今後景気が後退し、長期金利が下がると見ているというわけです。

 このイールドカーブから読み取れることはいろいろあり、おもだった動きには、次のような名前がつけられているそうです。イールドカーブを今後もっと見るようにして、金利や景気の行方を知ることができるようになりたいと思いました。

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2023年09月03日

「異常 (アノマリー)」

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エルヴェ・ル・テリエ (Hervé Le Tellier) 著
加藤 かおり 訳
早川書房 出版

 本作を読み終えてから、巻末の著者紹介に目を通し、なんとなく納得できました。特に『1992 年より、国際的な文学グループ <潜在的文学工房 (ウリポ)> のメンバーとして、小説の新しい形式と構造を探求する作品を発表』の部分です。随所に、ユーモアが散りばめられていると同時に実験的要素が感じられたからです。雑誌の Oulipo (ウリポ) 特集を読んだとき、似たような遊び心を感じたことを思い出しました。

 たとえば、登場人物のひとりに作家がいて『異常』という本を上梓し、ベストセラーになります。読みながら、いま読んでいるこの本のことが頭をよぎりました。しかし、彼は、死ぬほど怖い経験をしたものの、自然現象として片づけることが可能な事象を経験しただけで、本当の『異常』を見る前に自ら命を絶ちます。そのあと、本当の『異常』を記した本が出版され、それがいま読んでいる本なのだろうかと思わせられます。

 原題『アノマリー (L'Anomalie)』は、日本語では金融関係でよく見られることばです。理論的に説明できなくとも実際によく見られる事象などを指し、『異常』のほか『変則』や『例外』とも訳されることばです。

 本作では、現実的に起こってしまったけれど、どのように実現したのか解明できない事象を指し、その状況が読者の思考実験を促すようになっています。わたしの場合、読み始めは、次々と登場人物があらわれるのを見て、群像劇のようだと思いながら読み進め、途中 SF 作品なのかと思い始め、『異常』が明確に提示されたあとは、どんな作品か分類することもできず、結末を知りたくて読み急ぎました。不可解な事象に対して登場人物がそれぞれ異なった反応を示すにつれ、もしわたしが同じ場面に直面したらどうするだろうかと考えさせられました。

 本作は、フランスで最高峰の文学賞ゴンクール賞を受賞したそうです。古典的なテーマながら、置かれた立場が異なる登場人物それぞれの状況を考えるうち、それまで見ようともしなかった自分が見えてきたこともあり、文学作品として評価されたのもわかる気がします。

 わたしが一番好きな場面は、この『異常』に対し、政府が最初に事象を確認したときにとった行動とそれ以降との格差が示されながら、バタフライ効果を思わせる描写が続くエンディングです。既知になったことに対し、人が現実的かつ淡々と対処するところも、人が関知できることの少なさを感じるところも、染み入りました。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(海外の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月02日

「百冊で耕す <自由に、なる> ための読書術」

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近藤 康太郎 著
CCC メディアハウス 出版

「百冊で耕す <自由に、なる> ための読書術」は、「三行で撃つ <善く、生きる> ための文章塾」の続編にあたり、前者では、どうインプットすべきか、後者では、どうアウトプットすべきかがテーマになっています。タイトルも読点まで意識されて、対になっています。

 本作を読み始めてすぐ、どうインプットすべきか指南を受ける前に、わたしはなぜ読むのかを考えたことがなかったと気づきました。本を読むたび、知らなかった世界を垣間見ることができ、それが好きで読書を続けてきただけで、本を読む目的を考えたことすらなかった自分に驚きました。この本では、読書の意義も述べられています。

 著者は、『世界にも、人生にも、そもそも「答え」はないから』、答えや結論を得るために本を読むのではないと断言しています。では、何のために読むのでしょうか。『読書とは、新しい問い、より深い問いを獲得するための冒険』だというのです。

『世の中の常識とされていること、あたりまえと受け入れられている前提を、疑ってかかる。文学の役割とは、極限すれば、そこだ。』著者は、そうも書いています。また、違う角度から、『本を読むとは、孤独に耐えられるということも意味する。世界で一人きりになっても、本の世界に遊ぶことができる』と語っています。

 本を読み、著者と向き合い、そのなかからそれまで考えなかったことを考え、新しい問いを得て、自らを変えていく、願わくば成長できるよう。それが読書をするということなのでしょう。タイトルの『耕す』というのは、自らを耕すという意味です。太宰治のことばを借りて『むごいエゴイスト』にならないためとも説明しています。

 そういった目的を考えると、自らが読みたいと欲するものだけを読んでいては意味がなく、著者は『百冊選書』(巻末の一覧) を推薦しています。

 著者の読書や本に対する考え方には共感できる部分が多く、『百冊選書』にも挑戦してみたいと思えました。その際の読破順序としては、社会科学のリストは、時代の古い方から新しいのに向けて、文学のリストは、新しい方から古いものにさかのぼるのが良いそうです。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする