
山本 ふみこ 著
清流出版 出版
ことばにできるほどではないにしても薄々感じたり、誰かに伝えられるほど整理されていないにしても漠然と考えたりしていたことが、誰かの文章でそういうことだったのかと思うことがあります。
この本のなかでも、そう思う場面がありました。ご近所の方がもらい火に遭い、家の修繕のあいだ、アパートで仮住まいをすることなったそうです。問題は、その家の猫チョロを連れて行けないことです。著者は、難儀なことに直面した一家に対し、『ひとだって猫だって困ることが起きれば、胸のあたりが重くなる』と察し、『こういうときいちばんほしいものはさて、何だろうか』と問い、こう答えます。『ほんとうは、解決策より何より、いっしょに困ってくれるひとくらいありがたいものはない』。『チョロを預かったわたしは……、ともかくチョロといっしょに困ろうと考えていた』そうです。
世の中、解決策のない問題が山積みです。それでも、一緒に困ってくれるひとがいれば、たとえ前に進むことはできずとも、前を向き続けることができそうです。あいまいな表現ですが、寄り添えるひとになりたいと思っていましたが、それは一緒に困ることができるひとなのかもしれません。
もうひとつ、児童文学者の清水眞砂子さんから本を通じて教わったことを紹介する折りに書かれてあった一文も印象的でした。『なかでも、子どもの文学に求められる最低限のモラルは、「人生は生きるに価する」ということだという考え方に接したときには、胸のなかに風が通った気がしました』という一文です。
子どもたちが『親ガチャ』ということばを使っていると知ったとき、誰のもとに生まれたかによってすべてが決まるという諦念のようなものを感じました。会ったこともない他人の暮らしを垣間見てわかった気になり、自分と比べられる時代に生きていれば避けられないのかもしれませんが、いま接することができる世の中よりもずっとずっと世界は広いと子どもたちには感じてほしいとぼんやりと願っていた自分に気づかされました。