2024年02月23日
「幸せに人生を終えた人から学んだこと」
著者は、理想の死に方を手に入れるために必要なのは、次の 2 つのことだと気づいたそうです。
(1) 愛されること
(2) もしものときに備えること
著者の考えに異論はありませんが、(1) については、中年になってから頑張っても難しいかもしれません。高齢者にとって、病気や認知症というのは身近な問題だからです。残念ながら、病気になっても認知症になっても、うわべを取り繕うのは難しくなり、人の本質がさらけだされてしまいます。自己中心的な考えでずっと生きてきて、いきなり周囲から愛されるような人物になれるとは思えません。
しかし、(2) については、最期が近づいている事実から目を背けず、どういう終わりを望むのか、真剣に考えればなんとかなる気がします。たとえば、身の回りのことができなくなったら、施設に入所したいのか自宅で過ごしたいのか、さらにいよいよとなったとき、延命治療を望むのかといったことを事前に考え、用意しておくのはいいことだと思います。
ちなみに、著者は (1) に必要なのは、@笑顔、A感謝と好意を伝える、Bポジティブに切り替える、C意志を貫く、D想像する、E与え続けることだといいます。病気や認知症にもかかわらず、それだけのことができれば、自分の身の回りのことを助けてもらう必要があっても、愛されるのは間違いない気がしますが、なかなか難しいことばかりです。
2024年02月22日
「「超」文章法―伝えたいことをどう書くか」
野口 悠紀雄 著
中央公論新社 出版
著者が『「ためになり、面白く、わかりやすい」文章』を書くために学んだことをまとめたこの本を読み、わたしは、メッセージや長さといった、文章に欠かせない要素に注意を払わずにきたことに気づきました。
著者は、『文章が成功するかどうかは、八割方メッセージの内容に依存している』と書いています。そして、メッセージの要件は『ためになるか、あるいは面白い』ことだとも書いています。ためになるとは、有用な情報を含むことであり、面白いとは、好奇心を呼び起し、それを満たすものです。そんなメッセージを見つけられないときは、考え抜くしかないそうです。
わたしはこれまで、書くよう指示されたから、ともかく書くところから始め、そこから『わかりやすい』文章にしようとあがいてきました。あがく前に、書こうとしている文章がためになるか、面白いか、あるいはその両方かをチェックせずにすませていたわけです。
さらに、文章の骨組みをつくる際に意識すべき『長さ』についても、認識していませんでした。著者は、次のように分類しています。
(1) パラグラフ… 150 字程度
(2) 通常「短文」といわれるもの… 1,500 字程度
(3) 本格的な論文などの「長文」… 15,000 字程度
(4) 「本」… 150,000 字程度
『文章にはさまざまな長さのものがある』わけではなく、『論述文には、1,500 字と 15,000 字という 2 種類のものしかない』というのが著者の主張です。つまり、叙述や描写や会話に魅せられる小説などとは違って、メッセージを伝えるための文章には、短文と長文しかなく、複数の論点がそれぞれ長文で記されているのが本ということのようです。
文章を練習するとは、ためになるあるいは面白いメッセージを短文か長文でわかりやすく書くということのようです。これまで、文章のパーツの組み立て方といった枝葉末節ばかり気にしていて、太く頑丈な幹があるかを確かめずにいたことに気づけました。
2024年02月21日
「資本主義の次に来る世界」
ジェイソン・ヒッケル (Jason Hickel) 著
野中 香方子 訳
東洋経済新報社 出版
わたしたちは、正常性バイアスにとらわれがちですし、グリーン成長は可能だと思いがちです。しかし『グリーン成長は存在しない。実験も経験もグリーン成長を支持しない』と、著者は断定しています。
『グリーン』の定義はあいまいですが、著者のことばを借りれば、地球のシステムを維持するために『気候変動、生物多様性の喪失、海洋酸性化、土地利用の変化、窒素・リンによる負荷、淡水利用、大気エアロゾルによる負荷、化学物質による汚染、オゾン層の破壊』のプロセスをコントロールし続けることと言い換えてもいいと思います。
最近は『地球沸騰化』ということばが頻繁に聞かれ、温暖化ばかりに目がいきがちですが、わたしたち人類が生きられる地球環境を維持するためには、最低限これだけの限界値を超えないようにする必要があるそうです。
そのグリーンと成長を両方手に入れられないのであれば、どうすべきなのでしょうか。著者は、『脱成長』が必要だと説いています。『脱成長』とは、『経済と生物界とのバランスを取り戻すために、安全・公正・公平な方法で、エネルギーと資源の過剰消費を削減すること』です。
しかも、『経済を成長させないまま、貧困を終わらせ、人々をより幸福にし、すべての人に良い生活を保障できる』とも言っています。つまり、貧しい人たちも豊かになるために成長が必要なのではなく、経済成長がなくとも、幸福になれるといっているのです。
しかし、問題は、大多数の人がより幸福になるとしても、すべての人がより幸福になるわけではない点です。なぜなら、著者は、『不平等を是正し、公共財に投資し、所得と機会をより公平に分配すればよい』のだと語っています。
所得格差が拡大を続けていることは、誰もが知っています。また、富裕層が政治家を当選させられることも、当選させてもらった政治家が富裕層のための政策や立法に邁進しがちなことも、その結果として、富裕層がさらに富むよう所得が分配される傾向も、誰もが知っています。
その富裕層の所得が平等に分配されて、彼らは黙っているのでしょうか。 たとえば、『1965 年には、CEO の収入は普通の労働者の約 20 倍』でしたが、『現在では平均で 300 倍以上になって』いますが、CEO たちは、収入が 15 分の 1 以下になることを黙って見ているのでしょうか。
そのことに対する答えは、この本にはありません。脱成長という理想の姿を描くことはできても、そのロードマップを提示することは、残念ながらできていないのです。たとえば、この本に紹介されているパラドックスのようなことは起こらないのでしょうか。
『ジェヴォンズのパラドックス』は、エネルギーや資源をより効率的に利用する方法が開発されると、総消費量が減ると考えがちですが、実際は一時的な減少を経てリバウンドすることを指しています。企業が貯まった資金を再投資して、より多く生産するために起こる現象です。同様に、所得が平等に分配されるとなれば、公共財に投資するのに必要な所得を維持できないほどに総所得が減少する可能性はないのでしょうか。
グリーン成長がないという著者の考えは理解できても、その先の解決策については、いささか疑問を感じました。
2024年02月20日
「脳科学はウェルビーイングをどう語るか ?」
乾 敏郎/門脇 加江子 著
ミネルヴァ書房 出版
この本では、脳の仕組みを知れば、ウェルビーイングにより近づけるのではないかと考えられています。『ウェルビーイングは、個人の主観的な幸福感や生活の質を指し、身体的な健康だけでなく、感情的な充足感、社会的な関係、生活の目的や意味、個人の成長や達成感など、より広い範囲を包括しています』と説明されています。
では具体的に、幸福感などの『感情』は、どのように決まるのでしょうか。この本によれば、覚醒度 (活性あるいは穏やか) と感情価 (ポジティブあるいはネガティブ) というふたつの軸の組み合わせで決まるそうです。覚醒度がやや活性サイド寄りで、感情価がポジティブだと幸せを感じるようです。『感情価』とは、環境や内臓状態に対する予測誤差の時間変化で決まります。予測誤差が減少する、つまり予測どおりだとポジティブな感情になり、予測誤差が増加するとネガティブな感情になるそうです。
感情が決まる仕組みを知って、思い当たることがひとつありました。それは、主観的幸福感を世代別に調べた調査で、中年に向けて幸福感がいったん低下したあと、加齢とともに幸福感が高くなっていくという結果でした。わたしのイメージでは、シニアになってからは、体力が衰えたり、交際範囲が狭くなったり、幸福感が低下すると想像していたので、違和感を覚えました。しかし、年齢を重ね、予測がより正確になり、誤差が長期的に見て減少すると仮定すると、そういった調査結果になる得るのではないかと思いました。
また、感情価がポジティブだと、注意を払う範囲や視野が広くなることもわかっているそうです。広く周囲に目を配ることができれば、他者との関係性も向上し、ウェルビーイングにも影響しそうです。
感情がどのように決まるかなど、これまで考えたこともありませんでしたが、もっと知りたくなりました。