
ジェイソン・ヒッケル (Jason Hickel) 著
野中 香方子 訳
東洋経済新報社 出版
わたしたちは、正常性バイアスにとらわれがちですし、グリーン成長は可能だと思いがちです。しかし『グリーン成長は存在しない。実験も経験もグリーン成長を支持しない』と、著者は断定しています。
『グリーン』の定義はあいまいですが、著者のことばを借りれば、地球のシステムを維持するために『気候変動、生物多様性の喪失、海洋酸性化、土地利用の変化、窒素・リンによる負荷、淡水利用、大気エアロゾルによる負荷、化学物質による汚染、オゾン層の破壊』のプロセスをコントロールし続けることと言い換えてもいいと思います。
最近は『地球沸騰化』ということばが頻繁に聞かれ、温暖化ばかりに目がいきがちですが、わたしたち人類が生きられる地球環境を維持するためには、最低限これだけの限界値を超えないようにする必要があるそうです。
そのグリーンと成長を両方手に入れられないのであれば、どうすべきなのでしょうか。著者は、『脱成長』が必要だと説いています。『脱成長』とは、『経済と生物界とのバランスを取り戻すために、安全・公正・公平な方法で、エネルギーと資源の過剰消費を削減すること』です。
しかも、『経済を成長させないまま、貧困を終わらせ、人々をより幸福にし、すべての人に良い生活を保障できる』とも言っています。つまり、貧しい人たちも豊かになるために成長が必要なのではなく、経済成長がなくとも、幸福になれるといっているのです。
しかし、問題は、大多数の人がより幸福になるとしても、すべての人がより幸福になるわけではない点です。なぜなら、著者は、『不平等を是正し、公共財に投資し、所得と機会をより公平に分配すればよい』のだと語っています。
所得格差が拡大を続けていることは、誰もが知っています。また、富裕層が政治家を当選させられることも、当選させてもらった政治家が富裕層のための政策や立法に邁進しがちなことも、その結果として、富裕層がさらに富むよう所得が分配される傾向も、誰もが知っています。
その富裕層の所得が平等に分配されて、彼らは黙っているのでしょうか。 たとえば、『1965 年には、CEO の収入は普通の労働者の約 20 倍』でしたが、『現在では平均で 300 倍以上になって』いますが、CEO たちは、収入が 15 分の 1 以下になることを黙って見ているのでしょうか。
そのことに対する答えは、この本にはありません。脱成長という理想の姿を描くことはできても、そのロードマップを提示することは、残念ながらできていないのです。たとえば、この本に紹介されているパラドックスのようなことは起こらないのでしょうか。
『ジェヴォンズのパラドックス』は、エネルギーや資源をより効率的に利用する方法が開発されると、総消費量が減ると考えがちですが、実際は一時的な減少を経てリバウンドすることを指しています。企業が貯まった資金を再投資して、より多く生産するために起こる現象です。同様に、所得が平等に分配されるとなれば、公共財に投資するのに必要な所得を維持できないほどに総所得が減少する可能性はないのでしょうか。
グリーン成長がないという著者の考えは理解できても、その先の解決策については、いささか疑問を感じました。