2024年04月14日

「語彙力こそが教養である」

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齋藤 孝 著
KADOKAWA 出版

 教養は、ないよりもあったほうがいいでしょう。ただ、教養を明確に定義する術もありませんし、教養を身につけるためにはどうしたらいいか、わたしを含め、わからないひとも多いと思います。それに対し著者は、語彙を増やせばよいと指南しています。

 しかも、『本書で言うところの「語彙力」とは、単にたくさんのインプットによって言葉を覚え、知識をつけることだけではありません。それを「臨機応変に使いこなせる力」を含めての「語彙力」です』と、わたしのもつ『教養』のイメージに近いことを著者は目指しています。

 語彙力を高める方法に、エンターテイメントに分類される本やテレビ番組が勧められていて、取り組みやすく感じられました。たとえば、ミステリー関連の『ドートマンダー・シリーズ』(ハヤカワ・ミステリ文庫) や『ミステリーの書き方』(幻冬舎)など、テレビ番組の『100 分 de 名著』や『(新) 美の巨人たち』などがあげられています。

 もちろん、そのあとには太宰治、谷崎潤一郎、夏目漱石などの紹介が続くのですが、著者は、夏目漱石を特に高く評価していて、『漱石以前と漱石以後では、日本語の豊かさはまったく違ったものになりました』とまで書き、彼の作品を音読することを薦めています。

 蘊蓄も多く紹介されているのですが、そのなかでもっともおもしろいと思ったのは、ドイツにおいて夏目漱石と似たような役割と果たしたルターとゲーテです。彼らの以前と以後では、ドイツ語の充実度がまったく違うと著者は言います。ルターは、聖書のドイツ語翻訳に挑戦するなか、聖書のことばにぴったりフィットするドイツ語が見つからなければ、新しいことばを作り、結果的にドイツ語の語彙を豊かにしたということです。1534 年にドイツ語訳の聖書が出版されて以降、それまでラテン語で占められていた出版の世界で、ドイツ語の本も多く作られるようになりました。

 18 世紀半ばに生まれたゲーテは、数々の作品をとおして、『ドイツ語に深みをもたらし』、『そこから、ニーチェ、フッサール、ハイデッガー、といった人物が頭角を現し、語彙的にも思想的にもドイツ語はさらに上質なものになった』と著者は語っています。漢語を借用したり、和製漢語と呼ばれることばを作ったりして語彙を増やしてきた日本語の歴史にルターの逸話が、そのあと、明治に数々の文豪が登場したことにゲーテの功績が重なって見えました。

 教養を身につけるというのは難しそうに聞こえますが、語彙力は具体的にイメージできます。これからは、語彙力を増やせているか、自分に問うていきたいと思います。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする