2024年07月31日
「おそめ: 伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生」
石井 妙子 著
新潮社 出版
『おそめ』というバーのマダム上羽秀 (うえばひで) の半生を描いたノンフィクションです。読み始めてすぐ、彼女の魅力に惹きつけられました。彼女は、自分が欲しいもの、進みたい道が明確にわかっていましたし、女性の生き方に制約の多かった戦前生まれにもかかわらず、周囲からどう見られるか気にせずに自らの道を突き進む力強さを備えていたうえ、ひとをもてなし、魅了することにかけては天賦の才があったようです。
秀は、もとは芸妓で、1948 年、カウンター席が 5、6 あるだけの『おそめ』を京都木屋町で始め、1955 年には銀座 3 丁目にも店を構え、京都と東京の店を飛行機で行き来したことから『空飛ぶマダム』と呼ばれるようになります。『おそめ』には、服部良一、大佛次郎、川端康成、小津安二郎、白洲正子、水上勉、美空ひばり、鶴田浩二といった有名人が通ったようです。GHQ 憲法案の日本語訳を担当した、あの白洲次郎は、『おそめ』が閉店するまで常連だったそうです。
銀座の一流店と評された『おそめ』は、文化人の社交場だったようで、秀をモデルにした『夜の蝶』という小説が発表されたこともあり、当時、店の名も秀の名も広く知られていたようです。1957 年、銀座の店は、8 丁目に移転し、バンドも入れられる広さを実現します。
しかし、秀には、マダムとは異なる顔がありました。俊藤浩滋 (しゅんどうこうじ、戸籍名は俊藤博 (ひろし)) と出会い、結婚し、彼の子を産み、日々彼に尽くしていると秀は思っていましたが、実は、彼は秀と出会ったときすでに妻がいて、秀に独身だと嘘をついたと、あとから知らされた過去がありました。それでも、惚れぬいた俊藤と別れることができず、彼の妻と子たちの生活も支え続けるという苦労を背負い、懸命に店で働いていたのです。欲しいものを手に入れるための秀の覚悟を垣間見ることができる話です。
そうして、『おそめ』を守り続けましたが、徐々に店は傾き、1978 年には閉店に追いこまれます。さまざまな原因があったと察せられますが、秀にはひとを魅了する才はあっても、時代を読んだり、ビジネスの舵取りをしたりといった才能はなかったのかもしれません。それでも、秀の覚悟や潔さといった魅力が損なわれたとは、わたしは思いません。完璧ではないからこそ、彼女のひたむきで一途な想いに惹きつけられてしまう気がします。著者がこの女性の半生を書きたいと思った気持ちがなんとなく理解できます。