2024年10月12日

「犯人にされたくない」

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パーネル・ホール (Parnell Hall) 著
田中 一江 訳
早川書房 出版

探偵になりたい」に続く作品で、頼りない探偵スタンリー・ヘイスティングズが今回も奮闘します。現代の流れに疲れたときに読みたくなるシリーズです。主人公のスタンリーが『コスパ』や『タイパ』とは対極にあることをするからでしょう。

 今回の依頼は、妻のアリスを通して持ちこまれます。依頼人は、幼稚園に通う息子のクラスメートの母親パメラで、息子たちの幼稚園の送り迎えではお互い助け合う仲です。パメラは、恐喝されていると打ち明け、そのネタとなっているものを取り返してほしいと頼みます。そんな難しい依頼をされたあと、定石どおり殺人事件が起こり、恐喝犯が死んでしまいます。しかも、第一発見者はスタンリーです。

 自らが殺人事件の容疑者になったわけですから、事情を説明し、捜査は警察に任せればいいものを、パメラの秘密を極力守ろうと悪あがきをして、スタンリーは犯人捜しを始めます。かっこいい探偵を気取りたいという気持ちもないとはいえませんが、根っこの部分はお人好しなのです。

 そして稀に、真理というか本質を悟ったりもします。恐喝のネタがデリケートな問題だけに、分が悪くなってしまったスタンリーはこういいます。『わたしは苦い真実を学んだ。道徳観念というのは相対的なものなのだ。なにをしたかで道徳的と決まるわけではない。問題は、だれがしたかなのだ』。頼んだ張本人に責められても、黙って受けいれて穏便にすます、とどのつまりお人好しなのです。

 悲しいかな、素人探偵スタンリーは、警察を出し抜いたと思っていても泳がされていただけと知り、怖い目に遭ったうえに費用は嵩みます。いいことはひとつもないように思えますが、最後にちょっぴり胸がすくようなできごとがあります。スタンリーと刑事が手を組んで、悪人を少しばかり懲らしめ、気の毒な女性を助けます。こういった結末も、わたしがこのシリーズを好きな理由のひとつかもしれません。

2024年10月10日

「コレクタブル絵本ストア (Collectable Picture Book Store)」

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ピエ・ブックス 出版

 本書では、『どうしようもなく魅力に感じる、コレクションして手元においておきたくなる、そんなたぐいの絵本』を『コレクタブル絵本』と呼び、Fabulous OLD BOOK (ファビュラス・オールド・ブック)、press six (プレス シックス)、UTRECHT (ユトレヒト)、pagina (パージナ) といった書店のオーナーたちや山田詩子氏、立本倫子氏、長崎訓子氏といった、絵本の制作に携わるイラストレーターたちが、これこそ『コレクタブル絵本』だと思う作品を紹介し、武蔵野美術大学教授の今井良朗先生がヴィンテージ絵本とデザインについて解説しています。

 わたしが実物を見てみたいと思ったのは、イタリアのブルーノ・ムナーリ (Bruno Munari) の本です。『ページによって紙の種類が変わったり、紙でない素材でつくられていたり、ページに穴が開いていたり、切り込みが入っていたり。内容だけでなく、造本・判型・用紙など、本のあらゆる要素がデザインされている』そうです。

 そんな作品に、『絵本 (Picture Book)』に対する自らのイメージが偏狭だったと気づかされました。子供たちがストーリーを楽しむのを助ける絵が添えられた本のように思っていましたが、もっと幅広く、ヴィジュアルブックと呼ばれる作品、ストーリー以上にグラフィックデザインあるいはグラフィックアートを楽しむような作品もここには含まれています。

 今井先生は、『今の絵本はほとんどがオフセット印刷で、その点では、原画を忠実に再現するための複製手段という意味合いが強い』と説明したうえで、『古い絵本は木口木版、石版、描き版 (描き分け版) など、印刷の版式の特性がそれぞれにあって、そこを見るおもしろさも』あると紹介しています。1950 年代にはオフセット印刷が定着していたそうなので、それ以前の作品には、さまざまな制約があった分、工夫のあとが見られるということなのかもしれません。

 また、Fabulous OLD BOOK のオーナーは、『私が魅力的だと感じるのは、主に 1940 年代中期〜 60 年代 (第二次世界大戦以降〜ヴェトナム戦争の影響を受ける以前) のアメリカ絵本、つまり私の考える "いい時代のアメリカ" で出版されたものです。デザインだけでなく、印刷、紙質、製本などの点から見ても、質が高く、洗練された素晴らしい作品がたくさん出版されているのです』と語っています。大量消費以前の時代は、絵本というモノをつくる姿勢も、現代とは違って、効率よりも大切にされていたものがあったのかもしれません。

 ただ、わたしは、『昔はよかった』あるいは『昔の絵本はよかった』で終わってほしくないと思います。デジタル媒体ではなく、実体のある本を手にとって楽しんだり、感動したりすり読者がいれば、半世紀前と同じくらい、実験的な絵本や長く愛される作品がこれからも生まれてくると期待したいと思いました。

 今井先生は、次のように語っています。『可能性は、僕はまだまだ無限にあると思います。絵本というのはどんな表現でもできるものですし、ページがあるという点で 1 枚の絵とは違いますから。大事なのは背景にきちんとしたデザイン的な考え方や、絵本づくりに対する考え方や、子供との関係を持っていることではないでしょうか。(中略) 本をつくる、モノをつくるという発想をしなければね。絵本というのはあくまでも子供が手にとって、ページを繰って見るものなのですから。その原点にもう一度立ち返る必要があると思います。』

 子供たちがページを繰るたびに胸を高鳴らせるような、飽きることなくなんども手にしたくなるような絵本が、スマホに負けることなく、これからも大切にされることを願っています。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする