2025年02月20日

「フロスト気質 上下」

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R.D. ウィングフィールド (R.D. Wingfield) 著
芹澤 恵 訳
東京創元社 出版

Hard Frost」の訳書です。日本語で描かれるフロストは、英語で読む以上におもしろいので、物語の細かな展開を忘れたころに日本語でも読みました。上司にいじめられながら、相も変わらず、よれよれになって数々の事件を捜査するフロストに、ときには同情し、ときには呆れ、今回も大いに楽しませていただきました。

 休暇をとったにもかかわらず、人手不足のために呼び戻されたフロストには同情を禁じえませんが、デートをすっぽかして仕事に行ったまま、ガールフレンドの家に花のひとつも持たずに、煙草欲しさにのこのこと出かけていく姿には、呆れてしまいました。

 それでもやはり、フロストは憎めないキャラクターだと、あらためて思いました。証拠を捏造するような警官なのに、糾弾したいとは思えません。こんなに灰汁が強く、それでいて共感できる人物を描く、この作家の力量を読むたびに感じます。そして、混沌としたこの世界の縮図をこの小説内で見事に構築している点も好ましく感じます。

 フロストがひとつひとつ地道に解決していく事件は、善と悪がわかりやすく対立する構図になっていません。盗みを働いている泥棒を見つけて反撃された女性を救うための犯行、家でたったひとり育児を続けた母親が心を病んでしまい起こった悲劇、軽い気持ちで犯行におよんだ子どもが逃亡中に命を落としてしまった不運。どれも、犯人が判明してよかったでは終わりません。

 さらに、『仕事』とは何かも考えさせられます。事件を解決し、犯人を逮捕するのが、警察官の仕事であり、フロストの役割です。法秩序の維持や被害者救済の観点から、司法の役目を果たすのは大切なことですが、限界もあります。フロストは、警部という立場で部下を管理し、警視からは定められた残業時間を超えないよう求められます。たとえば、誘拐された子どもがまだ生きていて、冷たい雨のなか森に捨てられているかもしれない状況でも、立場を気にする警視から、残業時間を計算しつつ、捜索人員を配置するよう要求されるのが現実です。

 子どもの命は大切だという正論だけで、サービス残業をさせることもできませんし、予算が無限におりてくるわけでもありません。そんななか、ただひたすら子どもの命だけを考えて警視の命令を受け流すフロストの姿勢は、書類仕事や整頓ができず、ひととの約束を守れず、だらしなく見える面があるからこそ、嫌味ではなく、希望に見えるのかもしれません。

 簡単には割り切れない小宇宙がこの小説のなかにあって、読むたびに考えさせられ、登場人物に魅了されます。
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2025年02月19日

「武士語で候。」

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もんじろう運営委員会 著
総合法令出版 出版

『もんじろう』と呼ばれるサイトでは、標準的な日本語を、大阪弁・津軽弁といった方言や武士語に変換してくれます。この本は、その『もんじろう』から武士語だけを抜粋したものです。

 地理的に離れた場所のひとたちとコミュニケーションをとることはあっても、時間的に遠い存在である武士のことばを理解したり使ったりする必要に迫られないだけに、遊び心が刺激され、頭の体操にもなりました。ななめ読みでも、ちょっとした気づきが得られるかもしれません。

 たとえば、武士が生きた時代は、移動するには、歩くしかありませんでした。例外は、経済的に恵まれたひとたちが坐ったまま移動できる駕籠です。

 現代の『車』も『タクシー』も武士語にすると駕籠になるのは、想像がつきますが、現代の『地下鉄』を『地中長駕籠 (ちちゅうながかご)』と言い換えているのは、苦し紛れといった感があります。ただ、武士が生きた時代には地下鉄など影も形もなかったので、仕方ありません。江戸時代が終わった 1867 年から地下鉄が開通した 1927 年まで 1 世紀も経っていないことを考えると、武士の時代が遠いようにも近いようにも感じられます。

 武士の時代を意外に近く感じられたのは、『改易』や『口入れ』です。『改易』は、広辞苑では「官職をやめさせて他の人に代わらせること」とか、「所領や家禄・屋敷を没収すること。江戸時代の刑では蟄居(ちっきょ)より重く、切腹より軽い」と説明されています。現代語の『リストラ』の言い換えに、この『改易』が選ばれています。いっぽう、『口入れ』は、広辞苑で 3 番目の意味として「奉公人などの世話をすること」とあり、現代語の『人材派遣』に該当します。『人材派遣』は、バブル経済崩壊後に増えた印象がありますが、形態としては、特別新しいわけではないのだと思いいたりました。

 ことば遊びとしての武士語を考案したひとに興味がわきました。
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2025年02月18日

「思考の穴」

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アン・ウーキョン (Woo-kyoung Ahn) 著
花塚 恵 訳
ダイヤモンド社 出版

 イェール大学の心理学教授が書いた本です。本教授の講義『シンキング (Thinking)』に登録した学生の数は、2019 年だけで 450 人を上回ったそうです。その人気は、『日常においてさまざまな決断を下すときの判断力の向上』に役立つ内容にあり、その評判から書籍化に至ったようです。

 この本のテーマ、認知心理学が長年研究されてきて、ひとは非合理的な判断をしてしまう心理傾向があることが広範囲で明らかになってきました。わたしたちは、認知において、思い込みや直観などに左右されてしまう傾向があり、その誤った判断は『認知バイアス』と呼ばれています。『バイアス』とは、あるがままを見ることができないことを指しています。

 著者によれば、認知バイアスのなかでも、『確証バイアス』 (自分が信じているものの裏付けを得ようとする傾向のこと) が最悪だそうです。しかも、この本を読めば、誰もが確証バイアスを含むあらゆるバイアスにとらわれていると認めざるを得なくなります。ひとは合理的な判断ができないようになっていると思うと、暗い気持ちになりますが、著者はそのメリットにも触れています。それは、脳のパワーの節約、『認知能力の倹約』です。この世にある、あらゆる可能性を模索し続けることは、途方もないエネルギーを要します。だから、ひとは、『意思決定をする際は、ある程度満足したところで、それ以上の探求をやめる』わけです。この行為は、『満足する (サティスファイ)』と『十分である (サファイス)』を組み合わせた造語『サティスファイス』と名づけられたそうです。

 おもしろいのは、人生を通じて行なわなければならない類いの探求をどれだけ最大限にし、どれだけサティスファイスする (満足したところでやめる) かは、個々人によって大きなばらつきがあると判明したことです。しかも、適当なところで満足せずに最大限探求するマキシマイザーと満足した時点で探求をやめるサティスファイサーでは、後者のほうが幸福度が高いことがわかっています。たとえば、いまよりいい仕事がないか、常に目を光らせているよりも、いまの仕事に満足しているほうが、充実感ややりがいを感じられるということなのでしょう。著者は、確証バイアスが最悪といいつつも、サティスファイスの副作用と捉えることもできるとしています。

 著者は、認知バイアスの専門家でありながら、それでも認知バイアスから逃れられないと書いています。つまり、わたしが認知バイアスから逃れられる道はないということです。そうであれば、せめて幸福度を高められるというメリットに目を向けつつ、ここで学んだ、認知バイアスというものの正体を意識しながら過ごしたいと、わたしは思いました。

 そして、ある程度それを実現できそうな気がしました。それは、この本で紹介された数多くの研究結果のひとつに着目したからです。その研究では、英語を母語とするひとたちとは別に、広東語を母語とし、米国に来て間もない人たちにも同じ実験を実施し、ふたつの集団で明らかな違いがあるという結果になりました。著者は、個人主義と集団主義の社会の違いを原因としてあげ、中国のように集団主義で育った場合、他者が何を考えているのか、自分は他者からどう思われているかを絶えず意識しているため、自らの思いこみにとらわれにくくなっていると考えています。

 ただ、他者が考えていることも考慮する必要がありますが、そればかりを気にすると弊害も生まれます。要は、バランスが大事だということです。自分の幸福との兼ね合いを考えつつ、円満に社会生活を送るために、認知バイアスに対する知識が役立つことは間違いなさそうです。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする