2009年07月28日

「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」

20090728[WareranoKyokiwoIkinobiruMichiwoOshieyo].jpg

大江 健三郎 著
新潮社 出版

 詩というものにあまり馴染みがありませんが、著者は詩と小説について、以下のように述べています。
<<<<<
 詩の言葉の実質と機能は、小説の言葉のそなえているところのものと、まことに根本的にことなっている。いま、小説の言葉の実質と機能、というふうにいわないのも、そもそも、これらふたつのことなった言葉の大陸の、根本的なことなりを見すごすおそれのあることは、ひとつなりとしたくないからだ。というのは、詩の言葉の実質の重さにくらべて、小説の言葉の実質はじつに軽く、それはほとんど実質といえないほどのものであるからである。小説の言葉においては、機能こそがその主体である。
>>>>>

 そして、その機能しかない小説が本書に収められています。いずれも、詩から生まれたものです。著者の詩から生まれたのは「ぼく自身の詩のごときものを核(コア)とする三つの短編」に含まれる以下です。

−走れ、走りつづけよ
−核時代の森の隠遁者
−生け贄男は必要か

 他者の詩がもとになっているものが「オーデンとブレイクの詩を核(コア)とする二つの中編」に含まれる以下です。

−狩猟で暮らしたわれらの先祖
−父よ、あなたはどこへ行くのか?

 どれもみな、息が詰まるような閉塞感があります。生きていくのは、こんなにも辛いことなのか、といった感慨が湧いてきます。自分自身の内へ内へと向かう登場人物を見ているうちに、わたし自身はこれでいいのか、という感覚も湧いてきます。ただ、救われるのは、作中の人物も少し肩の力が抜けるような場面があることです。

 ふと、この小説は何を「機能」とするのだろうか、と考えました。わたしがそれについてあれこれ考えた時点で、これらの小説は小説としての機能を果たしたことになるのでしょう。
posted by 作楽 at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本の小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック