
カズオ・イシグロ 著
土屋 政雄 訳
早川書房 出版
主人公キャシーが静かに回想を語るのですが、その回想には実にさまざまな事柄を想起させる力があります。
たとえるなら、読んでいる自分の思考や感情が川のように流れている底に、澱のように沈んでいる、普段は気にかけないし敢えて見ようともしないものが、キャシーの回想という釣り針で引っ掛けられおもてに晒されるような感覚がありました。
倫理上大きな問題となる事柄を扱っているのですが、わたしにとってはそのことよりも、将来を奪われた人々がどう自分の運命を受け入れるのか、希望と夢想の境のあいまいさとか、認めたくない事実を意識下におしこめながら生きていくことだとか、違った状況でも当てはまる、人とは? 命とは? 生きるとは? といったことのほうに気持ちが向きました。
もうひとつは、友情や愛情といったものの脆さと強さにも心が動きました。些細なことで行き違ったり、空白の時間を一気に飛び越える力があったり、お互いの気持ちさえあれば失ったものも修復できたり、友情や愛情のいろんな側面のイメージが湧いてきました。
きっと読む人ごとに違うことを思い出させ考えさせる作品なんだと思います。