![20061002[BakanoKabe].jpg](https://witch-sara.up.seesaa.net/image/200610025BBakanoKabe5D-thumbnail2.jpg)
養老 孟司 著
新潮社 出版
関東と関西における「バカ」と「アホ」のニュアンスの違いは、よく取り上げられる話題だと思います。関西で生まれ育った私はやはり、アホと言われても平気ですが、バカと言われると深く考えてしまいます。ちょうど関東の方々と逆になるのではないかと思います。
今まで深く考えたことがなかったのですが、私の中でのバカとアホの境界線を考えてみました。私なりの表現でいうと、アホには突っ込めるけど、バカには突っ込めない。つまり、直属の部下でその仕事に責任を負う立場でなければ、知らないフリをしてしまうのが、バカです。
たとえば、仕事上で必要な知識を知らなかったり、うっかり大きな忘れ物をしたり、電話対応敬語や謙譲語を使い分けられなかったり、といったことはいくらでも突っ込めます。でも、バカで相手にならないと判断するようなことも多々あります。
その中でも、年々増えてきているケースだと思うのが、他人からの視点の欠落です。私は一種のコンピュータエンジニアでしたが、特定のお客さまを相手にすることが多いサービス業でした。つまり、お客さまが満足されるサービスは何か?を常に考える必要があるわけです。お客さまごとに180度違うことを望まれることもないとは言い切れないのですが、大部分のお客さまは普通のことをお望みです。
だから、提供するサービスもそんなに突拍子もないことを考える必要はありません。私が逆にお客さまの立場だったら、それはイヤだろうとか、嬉しいだろうな、程度の想像力があれば、十分できる簡単な仕事と思っていました。
でも、そういう視点がまったく欠落している人に遭遇する確率がぐんと上がり、注意していなければ、そういう基本的なサービスさえ提供できなくなっているような気がしてなりません。顧客満足に対する考え方に違いがあるとかではなく、そもそもそういう視点がないのです。
同じように、後輩として先輩に期待されているのは何か、同僚として同僚に期待されていることは何か、ということさえ考えられず、不協和音を奏でている方が多いように思います。
こんな卑近な例が日常会話のように書かれているわけではありませんが、似たようなことをこの「バカの壁」で見つけました。
「壁」を作ってしまった問題点に触れている場面で、「若い人には個性的であれなんていうふうに言わないで、人の気持ちが分かるようになれというべき」としています。その理由を「他人のことがわからなくて、生きられるわけがない。社会というのは共通性の上に成り立っている」と説明しています。そうなんだよねぇ、と言いながら、過去に経験した驚きを思い出したりしながら、読みました。
タイトルの「バカの壁」というのは、ちょっとドキっとしますが、書かれている内容は、私にとっては特別新しいことではないように思います。たとえば、帯に書かれている「「話せばわかる」なんて大うそ」。話し合えばわかるなんて本当に思っている人が居るのかどうかはわかりませんが、社会人になってから私は思ったことはありません。でも、なぜそうなるのかを深く考えたことはありませんでした。この本の中では、なぜそうなるのかの考察がなされていて、深く考えたことがなかった話題だけに新鮮でした。
私自身がバカの壁を高く作り上げていないか心配である一方、バカの壁に囲まれ生きていくのも案外本人は幸せではないのか、と考えてしまいました。