2006年12月05日

「江戸と現代 0と10万キロカロリーの世界」

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石川 英輔 著
講談社 出版

 昨日、あるひと言を私が言った途端、それを聞いていた人が笑い出しました。「へ?」という表情を私がすると、その人は、「(君は)やっぱり、どこか変わっているんだろうね」と言うのです。

 この「変わっている」という言葉は、かなり広範囲に使える言葉で、日常で使うのも、私にとっては難しい言葉のひとつです。人に対して、「変わっている」と表現した途端、「私のどこがどう変わっているのか?」と感情を荒げる人も居ます。たぶん、人と同じであるとことに重きを置く方たちの反応はそうなるのでしょう。相手が感情的になるのを避けたい状況が多いため、「変わっている」という言葉で人を表現する状況を選ぶのは、難しくなります。

 一方、私の場合、「変わっている」と言われても、自分でもそう思っているので、特にこれといったことは起こりません。「変わっている」と、物の見方や価値観が人とは違い、その差がおもしろさを生むことが多く、愉しいと思うのです。そのため、気分を害する必要がまったくないと思っています。

 そういう私の観点からみて、変わっていると思うのが、この本の視点。平均的に人が消費しているカロリーを比べながら、その生活を比べているというもの。消費しているカロリーといえば、最初に思い浮かぶのが体内消費カロリーですが、ここでいうカロリーとは、日常生活で使っているものに費やされた主に熱カロリーのことを指してます。

 たとえば、冷蔵庫やエアコンを動かす電気。これも火力発電などによって資源を使って作り出しているものです。つまり、現代においては、平均すると1人が1日に約10万キロカロリー燃料を消費しているというのです。一方、江戸時代の場合、ほとんど人力に頼っていたので、0キロカロリーといって差し支えありません。

 それほどの資源を使って、私たちはどれほど豊かになったのか検証しようというのがこの本の主旨です。実際には、0キロカロリー消費の江戸時代、1万キロカロリーの1950年頃、5万キロカロリーの1970年頃、10万キロカロリーの現代が大きな比較対象になっています。

 著者としては、5万キロカロリーの1970年頃の生活でも、現代に比べて遜色ない便利な生活ができるとしています。私自身の生活を振り返って、一部、頷ける部分があります。「独立した権威者による三つの研究結果がほぼ同じ数値、つまり、10万キロカロリー時代の日本人は、食べられる食料の30〜40パーセントをごみとして捨てていることをはっきり示している」と、書かれています。実際、私は、5個パックで買ったじゃがいもを2個しか食べないこともあれば、大根の葉っぱを最初から捨ててしまったりとか、色々捨ててしまっています。育てるための温室の燃料、化学肥料、運送燃料などを考えると、何キロカロリーが無駄になっているかわかりません。

 もったいないことをしているとわかっていても、なかなかそれを変えようとはできません。でも、こういう形で数字として表されると、気持ちが動かされます。

 著者は、食料に限らず、膨大なごみ全体についても各年代ごとにまとめています。その部分で、「われわれは、毎日10万キロカロリー分も使っている化石燃料のかなりの部分をごみの製造と処理に当てているのである」と説明した上で、そのごみを増やさない努力を「昭和三十九年(1964)以前に実行しておかなくてはならなかったのである」と締めくくっている。

 過去を悔いても現在は変わらないのだから、今からできることは何かという視点で、もう少し切り込んで欲しかったと思います。

 そういう物足りなさはありますが、数字という事実を見比べながら、自分の生活を見直すきっかけに読まれることをお勧めしたい本です。
posted by 作楽 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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