ジェイムズ・ボーセニュー (James Beauseigneur) 著
田辺 千幸 訳
東京創元社 出版
「キリストのクローン」三部作の最終作です。キリストのクローンが生まれる「新生」、神はどういう意図をもってどこからやってきたのかという「真実」の提示に続く「覚醒」は、何の覚醒なのだろうと思い、読み始めました。広辞苑の"覚醒"には、ふたつの意味が掲載されています。ひとつは、"目がさめること。目をさますこと。"です。もうひとつは、"迷いからさめること。迷いをさますこと。"です。この巻では、後者を指します。
実は、この三部作は「新生」の最初に書かれてある著者からのメッセージを読むと、結末がわかるようになっています。サスペンス作品なら、結末を知らせたくないに違いないのに、敢えて書いてあるのは、やはりここで扱われているテーマが宗教だからにほかなりません。「新生」で描かれているキリストのクローンも不遜なら、「真実」で描かれている人間が自分自身の神になるという発想も不遜なのです、絶対的な神の存在を肯定する宗教としては。
しかし、そうはいっても、信仰をもたない身にとっては、唯一神とは不思議な存在です。信仰を試すという目的のもと、なぜ人間をいたぶるようなことをするのでしょうか。人間を遥かに凌ぐ能力を持ちながら、なぜ何の罪もない子供が事件や天災で次々と死ぬのを傍観しているのでしょうか。「真実」で神は、地球に壮絶なダメージを加え何億という人々を殺すので、神に対する疑問は、なおさらです。その不可解な点を突いてきた「真実」は、少なくとも信仰をもたないわたしにとっては、リアリティに溢れていました。結末が提示されているのに、それを忘れるほどでした。
そこで迎えた「覚醒」ですが、やはり信仰をもたないせいか、"覚醒"できませんでした。
巻末の解説によると、この三部作も、"クリスチャン・フィクション"というジャンルに含まれるそうです。キリスト教をベースにしたサスペンスというのは、「真実」のように宗教の枠を超えたように見え盛り上がる場面はあっても、結局は枠のなかに戻らざるを得ず、信仰面での満足を得られない者にとっては、サスペンスの醍醐味を味わえなくて意外とつまらないのかもしれないと思いました。

