2007年02月14日
「グレート・ギャツビー」
Francis Scott Fitzgerald 著
村上春樹 訳
中央公論新社 出版
後世に残る名作と評価されている作品だと知ったのは、村上春樹さんが新しい翻訳を出したことによる話題がきっかけでした。それまで、著者のことも「グレート・ギャツビー」のことも知りませんでした。過去に映画化されたということも。
読み始めると、小説としてうまく構成されているというのがよくわかりました。最初、ある1点のみにズームインした状態から、徐々にズームアウトされ、1章経るごとにひとつひとつがつながっていきます。つながりを次々と見つけられるように作られた流れは、読む勢いを加速させてくれます。そして、ただ、淡々と視野が広がっていくだけでなく、その中には、嘘や虚飾も含まれ、最後に本物のすべてのピースが揃うようになっています。
また、心理描写と風景描写のバランスがよく、それぞれに細やかなことが、うまい小説と感じさせる要素のひとつだと思います。
しかし、私にとって印象に残っていることをひとつだけ挙げるとすれば、この話の中にあるコントラストだと思います。恵まれた人と恵まれない人。過去に生きる人と未来を見ようとする人。まっすぐな人と姑息な人。華やかな賑わいとうら寂しい空虚。
具体的には、タイトルになっているギャツビーとその取り巻きの個性のコントラストが強烈なのです。
それぞれが極端でありながらも、どちらのことも人として受け入れようとする感覚を受けます。小説の最初と最後がそんな印象を私に与えているのだと思います。
始まりはこうです。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」
終りはこうです。
だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
始まりは、ギャツビーを取り巻く人々に対して、終りは、過去に押し戻されたギャツビーに対する肯定ではないかと思えてくるのです。
始まると終りは意味が深く、次に読んだときには、違う解釈が私の中で生まれそうな予感があります。
あるいは、違う翻訳者の本を読んでみるのもいいかもしれません。
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