![20070511[TheGreatGatsby].jpg](https://witch-sara.up.seesaa.net/image/200705115BTheGreatGatsby5D-thumbnail2.jpg)
Francis Scott Fitzgerald 著
野崎 孝 訳
新潮社 出版 (改版)
村上春樹氏翻訳の「グレート・ギャツビー」を読んだとき、村上春樹氏の再訳が話題になっていたこともあり、他の方の翻訳を読んでみるのも面白いかと思ったので、読んでみました。私が手にした本の奥付には、こう書かれています。
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昭和四十九年 六月 三十日 発行
平成元年 五月 二十日 四十刷改版
平成十八年 八月二十五日 六十九刷
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平成元年の改版がどのようなものだったかは、わかりません。
なぜ出版時期や改版に関することが先になるのかといえば、読み終えて、違う時代のものを比べることはできないという気がしてきたからです。
昭和49年という時代がどういう時代だったか、成人していなかった私には正確にはわからないような気がします。ただ、昭和39年に海外渡航が自由化され、その10年後にあたる年にはまだアメリカやイギリスが遠い国だったのではないかと思います。また、為替の面から見ると、昭和48年に完全に変動相場制に移行したばかりで、まだまだ外貨が高く、外国に行って生きた言葉を学ぶというのは、相当な経済的余裕が必要だったに違いありません。
その時代の中で、英語がわかるということは、今とは比べられないくらいの価値があったことでしょう。
だから、もう、日本語に翻訳された本がすらすらと読めなくても、なんとか日本語になっていれば、満足だったのではないかと思うのです。
そのため、村上春樹氏翻訳の「グレート・ギャツビー」と野崎孝氏翻訳の「グレート・ギャツビー」の登場人物が違うように見えてくるのは、当然でしょう。
物語の舞台は、戦後のニューヨークとその郊外。いくらアメリカとはいえ、男性が女性を守り、女性は家庭を守るという時代です。
ギャツビーなる人物が愛してやまないデイジーは、豊かな家庭で育てられ、楚々とした美しさに惹かれデートを申し込む男性が殺到するような、憧れの的の女性です。そのデイジーは、ギャツビーではない男性と結婚しました。そのデイジーが友人を家に招いたときの言葉です。
野崎孝氏の訳ならこうなります。
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「あんたにおききするのを忘れたことがある。重大なことよ。あのね、あんた、西部のある娘さんと婚約したんでしょ」
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ニックというデイジーの友人に、婚約の噂が本当か確かめるひと言です。村上春樹氏の訳ならこうなります。
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「ひとつ大事なことを尋ねるのを忘れていたわ。西部にいる女性と、あなたが婚約したっていう話を聞いたんだけど、それは本当?」
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日本語だけを読むと、女性のイメージが違ってきませんか。
英語を読んで意味がわかるのと、ニュアンスも込めて自然な日本語にすることの間に大きな壁があるのを感じました。
過去のことを思えば、私たちは今、外国小説を日本語でずいぶん楽しめる環境にあるのですから、これからも機会をつくり、どんどん読みたいと思います。