2021年05月16日
「この国の品質」
佐野 眞一 著
ビジネス社 出版
本のタイトルを決めた理由として『いまの日本と日本人を形容するには、残念ながら、材質のクオリティーを無機質に問う「品質」という言葉こそふさわしい』と考えたからだそうです。
著者は、無機質ではなく人間らしくあるために必要なことのひとつに『読む力』をあげています。読む力の減退について、『『読む力』は、何も活字だけに向けられたものではありません。人は相手の気持ちも『読み』ますし、あたりの気配も『読む』。風景も『読む』対象ですし、事前に危険を察知する能力も『読む』ことと密接不可分の関係にある。つまり、『読む力』とは、人間の身体の全領域にわたるこうした能力のすべてを指している』と説明しています。
読む力については、著者が心酔する民俗学者宮本常一氏を見習うよう勧めています。もちろん、73 年の生涯に 16 万キロ、地球を 4 周するほどの距離にわたって『あるく みる きく かく』旅を続け、数々の功績を残した氏が素晴らしいことに異論はありません。(実際、わたしが好きな佐渡のおけさ柿にまつわる話を最初に知ったときは、少なからず感動しました。)
ただ、わたしには、日本人に『読む力』がなくなったとは思えませんし、著者が勧めたように人々が宮本常一氏に共感できるようにも思えません。著者が自ら書かれているように、日本には貧困が増えています。そのため、自らの損得に直結する『読む力』のみが残り、それ以外の『読む力』は不要とされたように思えました。
宮本常一氏の時代の貧乏と現代の貧困は違うと一般的には言われています。『自己責任』ということばで貧困も片付けられてしまう時代、貧困に苦しんでいなくともその多くが貧困に陥るのではないかという恐れに囚われ、損得勘定に走ってしまうのではないでしょうか。そんな時代に著者のことばが響くのか疑問に思いました。
この記事へのコメント
コメントを書く