2021年05月30日
「文章は接続詞で決まる」
石黒 圭 著
光文社 出版
接続詞について深く考えたことがありませんでしたが、わかりやすい説明に『確かに……』と納得させられ、学ぶことが多かった 1 冊です。
納得の根底を成すのは、著者による『接続詞の定義』です。一般的には、『接続詞とは、文頭にあって、直前の文と、接続詞を含む文を論理的につなぐ表現である』とされていますが、著者は接続詞の役割に注目し、『接続詞とは、独立した先行文脈の内容を受けなおし、後続文脈の展開の方向性を示す表現である』と定義していて、その考え方が合理的に思えました。
著者の定義では、一般的な定義では含まれない接続詞が 2 種類加わることになります。ひとつは、文と文以外をつなぐ接続詞です。具体的には、文より小さい単位の『語と語』、『句と句』、『節と節』をつなぐ接続詞、それから文より大きい単位の『段落と段落』をつなぐ接続詞が加わります。
もうひとつは、文頭ではなく文末にくる接続詞です。著者は『文末に述語が来る日本語の場合、文頭と文末の両方で前後の文脈との関係を明確にするメカニズムが整って』いると言います。
接続詞が文末にくると言われても、すぐにはピンときませんでしたが、『〜だけではない』という例は、わかりやすいと思います。『外国人横綱は曙だけではない。』とあれば、それ以降に曙以外の横綱が登場することが予測されます。つまり、著者の接続詞の定義にある『後続文脈の展開の方向性』が示されていることになります。
この文末の接続詞を著者は、次のように分類しています。
1.『否定の文末接続詞』……読み手の心に疑問を生む「のではない」系と、ほかにもあることを予告する「だけではない」系
2.『疑問の文末接続詞』……疑問の終助詞「か」
3.『説明の文末接続詞』……文章の流れにタメをつくる「のだ」系と、理由をはっきり示す「からだ」系
4.『意見の文末接続詞』……『私』の判断に必然感を加える「と思われる」系と、慎重に控えめに提示する「のではないか」系と、根拠を示したうえで判断に至る「必要がある」系
意外にも多くの文末接続詞があることに気づかされました。
やや例外的に感じられる接続詞を先に書きましたが、一般的な定義に含まれる接続詞についても、以下のように、わかりやすく分類されています。一番上のレベルをローマ数字、次のレベルを算用数字、一番下のレベルをアルファベットで転載しました。
T.論理の接続詞
1.順接の接続詞
a.「だから」系
b.「それなら」系
2.逆説の接続詞
a.「しかし」系
b.「ところが」系
U.整理の接続詞
1.並列の接続詞
a.「そして」系
b.「それに」系
c.「かつ」系
2.対比の接続詞
a.「一方」系
b.「または」系
3.列挙の接続詞
a.「第一に」系
b.「最初に」系
c.「まず」系
V.理解の接続詞
1.換言の接続詞
a.「つまり」系
b.「むしろ」系
2.例示の接続詞
a.「たとえば」系
b.「とくに」系
3.補足の接続詞
a.「なぜなら」系
b.「ただし」系
W.展開の接続詞
1.転換の接続詞
a.「さて」系
b.「では」系
2.結論の接続詞
a.「このように」系
b.「とにかく」系
こうして分類されたものを見ると壮観です。
この本の最後に、接続詞を極力使わないほうがいいケースがあげられています。それは、『できるだけ事実に忠実に客観的に書きたいとき、前後の関係を限定したくないとき』です。接続詞の役割を網羅したあとでは、納得できる指摘です。
この 1 冊を読めば、接続詞の足し算と引き算がそれまでよりもじょうずになる気がします。
この記事へのコメント
コメントを書く