2021年10月20日

「使ってみたい 武士の日本語」

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野火 迅 著
朝日新聞出版 出版

 著者は、興津 (おきつ) 弥五右衛門の遺書を序文で紹介し、『ここで使われている日本語は、まさに死語を超えた遺物である。日常語よりは一段と堅苦しい手紙文とはいえ、これが 1.5 世紀前まで同じ日本に生きていた人間の言葉かと思うと、なおさら妙な心地にさせられる』と書いています。

 江戸時代が終わったのが、1868 年です。たとえば、「完訳 ナンセンスの絵本」に収録されている詩が 1861 年と 1871 年に出版されたものだということを考えると、なおさら妙な心地になります。現代の英語を覚えると、シェークスピア (1564-1616) の作品でもそれなりに読めますが、現代の日本語を覚えても、それとは別にかなりの労力をかけなければ江戸時代の日本語を理解できるようにはなりません。

 しかし、そんな昔の日本語が部分的に活用されている分野があります。現代の時代小説です。著者は、『時代小説は、いわゆる一般大衆向けの娯楽を志すいっぽうで、読者の国語力などはいっさい気にせず、好きなように古い日本語を駆使している。現代の日本語とは大きく隔たった侍言葉を、気分にまかせて現代語に織り交ぜながら、時代物テイストの決め手となる素材や調味料のように使いこなしてきた』としています。そんな侍言葉のテイストだけでなく、意味も知ってもらいたいという意図が著者にあるのか、この本で引用されている侍言葉は、時代小説から引用されています。

 わたしは、時代小説を読んだ経験がありながら、現代国語のなかに散りばめられた古い日本語が、その時代らしさを醸しているなどと気にしたこともありませんでした。当たり前過ぎて見過ごしてきたのだと思いますが、いったん気づいてみれば、形式にこだわらない自由な発想が生んだ工夫だと感嘆すると同時に、どのようにしてこれが当たり前のスタイルになったのか、気になりました。

 また、著者は、ここで侍言葉を取りあげると同時に、武士そのものを『一口にいえば、本音を型のなかに閉じこめた人々だった。じつに窮屈な生き方にはちがいないが、その窮屈さが武士を武士らしく見せていたことは間違いない』とし、『武士の外面を装っていた型は、武士の本質にほかならない』と語っています。

 そんな武士は、現代のわたしとは遠くかけ離れた存在に感じられます。しかし、著者が選んだ数々の『武士の日本語』をひとつひとつ追っていくうち、意外なことに、小さな歯車ですらない、わたしのような会社員と似た武士もいたのだと実感しました。

 たとえば、現代語『平社員』のもとになっていると著者が推測する『平侍 (ひらざむらい)』は、将軍や藩主に会うこと (会う資格のことを『目見え (めみえ)』といいます) も叶わない武士社会の底辺にいます。江戸時代の重職は、徳川幕府の創業期における貢献度によって定められた家格によって決まったもので、平侍は、よほど目覚ましい功績をあげないかぎり、『目見え以上』に仕える立場に甘んじつづけ、主君に会うこともなく終わりました。

 平侍は、『下士 (かし)』とも呼ばれ、そのうえには『中士 (ちゅうし)』、さらにうえには『上士 (じょうし)』がいて、下士と上士の年俸差は、驚くほどです。上士の禄高千石は、下士の禄高およそ五十石の 20 倍にあたり、現代の年収約 1680 万円に該当します。1680 万円の年俸は大したことがないように見えるかもしれませんが、下士の年俸が現代の 84 万円と考えると、いまの平社員が恵まれている気さえしてきます。

 さらに、財政危機に陥った藩の場合、藩士から禄の一部を借りる『借上げ』を行ないます。この借金が返済されることは、基本的になく、事実上の給与カットです。下級武士の俸禄は、米の現物支給で、この禄米は、春・夏・冬の三期に区切って支給されたため、『切米 (きりまい)』と呼ばれ、そのことから『借上げ』は、『切米取り』とも呼ばれました。下士の切米取りは、わたしにとって身につまされる話でした。

 そのいっぽうで、『素志 (そし) を貫く』(素志とは、つね日ごろから変わらずに抱いている志のこと)、『天稟 (てんびん)』(天性の才のこと。同類語に『才華 (さいか)』があります)、『外柔内剛 (がいじゅうないごう)』(外見の柔らかさに反して、内側に芯の強さを持っていること)、『洒々落々 (しゃしゃらくらく)』(度量が大きくて物事にこだわらない様子) など、良き人柄をあらわすことばも目につきました。品格ある行ないが求められた武士にふさわしい表現が数多くあったのかもしれません。
posted by 作楽 at 21:00| Comment(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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