
ルイス・キャロル (Lewis Carroll) 著
河合 祥一郎 訳
角川書店 出版
前作の「不思議の国のアリス」ほどは楽しめなかった気がします。ただ、その理由は、自分でもわかりません。著者の寂寥感のせいか、チェスを知らないせいか、アリスが目標地点に向かって突き進むせいか、折々に登場するマザーグースの歌を知らないせいか、それらのいずれか、あるいはすべてが関係しているのかもしれません。おそらく、ことば遊びに触れながら先が見えないまま進んでいった前作のほうが、わたしに合っていたのでしょう。
著者の寂寥感は、前作の下地ができてから起きた変化に原因があるようです。オックスフォード大学クライストチャーチ校に勤務していたルイス・キャロルが、同校学寮長の次女アリスにせがまれて紡ぎだしたストーリーがのちに「不思議の国のアリス」になったのは有名な話です。しかし、「不思議の国のアリス」が世に出たころ、学寮の中庭で 13 歳になったアリスと偶然再会した著者は、彼女が物語をせがんでいたころの幼い少女ではなく、娘になりかけていたことに驚いたようです。訳者あとがきでは、本作は、前作とは違って、実在のアリスのためというより、自分の心のなかにいる小さなアリスのために書かれたものだとされています。もう戻らない時間に対する寂しさが滲みでていても不思議ではない気がします。
トランプの世界を冒険した半年後、鏡の向こうのチェスの世界を冒険するという設定になっている本作は、景色がチェスの盤面のようになっています。『まっすぐな小川が何本もはしからはしまで横切っていて、そのあいだにはさまれた土地は、小川から小川までのびているたくさんの小さな緑の垣根によって、いくつもの正方向に区切られ』ていて、整然としています。
そこで繰り広げられるチェスのゲームを見たアリスは、ポーン (歩兵) でもいいから自分も仲間に入りたい、できればクイーンになりたいという望みを赤のクイーンに漏らします。赤のクイーンは、8 つ目のマスまで行けばクイーンになれると答えます。そうして、8 つ目のマスまで進むという明白な目標ができ、そこに向かって物語は進みます。しかも、チェスの盤上を適当に進むのではなく、きちんとルールに則って駒は進んでいるようですが、チェスに詳しくないわたしは、展開についていけていないように感じました。
その盤上でアリスは、いろんな登場人物に会いますが、一部はマザーグースの歌に登場する者たちです。ハンプティ・ダンプティやトゥィードルダムとトゥィードルディーのコンビなどです。もとの歌を知らないわたしにとっては、内容の理解が難しい描写もありました。
ただ、前作同様、多くのことば遊びが盛り込まれていて、翻訳の過程でそれらが失われないよう工夫が凝らされているので、日本語でも踏韻などの音を楽しみつつ、登場人物の滑稽な物言いや所作に笑ったりできます。また、鏡の向こうに広がる世界だけに、時間軸が反対になっていて、過去から未来に進むのではなく、未来から過去に時間が流れていくという不可思議な状況に驚いたりもできます。しかし、基本的には、赤のクイーンがアリスに教えたとおりに物語は進行します。まるで、どんな子供も、おとなになるという、ひとつのゴールに向かって、決められたレールのうえを進んでいくかのように。枠にはまらない前作のほうが、わたしの好みに合っているのかもしれません。