
平田 聡/嶋田 珠巳 著
ミネルヴァ書房 出版
この本のタイトルに虚を衝かれました。時間の存在理由を考えたことなどなかったからです。
この本は、『時間とはなにか』さらに、『時間はなぜあるのか』という問いに対する著者たちの考えを書き表そうとしたものだそうです。まえがきによると、『時間』というテーマそのものズバリを中心にした研究は、従来そう多くはなかったそうですが、昨今、脳科学の進展とあいまって、さまざまな領域からのアプローチが増えているらしく、この本もそのなかの試みのひとつと位置づけられそうです。
ただ、研究者たちも時間が何かわかっているわけではありません。わたしたちは、時間が過ぎるのが早い、あるいは遅いと『感じ』ますが、時間については、視覚の目、聴覚の耳、嗅覚の鼻、触覚の肌、味覚の舌に該当する感覚器官が存在しないので、どこで感じているのかすら、わかっていないそうです。脳内のなんらかの神経活動等によって時間が生成されているのではないかという推測のレベルにとどまっています。
しかし、この本を読むうち、時間を感じ、時間という概念を確立したことにより、人類は進歩してきたのだと思い至りました。過去を振り返って将来を見通す能力をもったことは、これまでの文明の発展において重要な役割を果たしたに違いありません。
そのいっぽうで、時間そのものが何かを知ることは難しいようです。ちなみに、時間の『長さ』は、人類における共通認識があるとのこと。『セシウム 133 の原子の基底状態の 2 つの超微細準位のあいだの遷移に対応する放射の周期の 9192631770 倍に等しい時間』が 1 秒の長さと定義されているそうです。
平田氏は、この本のタイトルに対し、『物の動きや状態の変化を私たちがとらえるための変数として必要だから』と答えています。次の例が説明されていました。
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なにか物が動くとします。その動きを私たちがとらえるとき、動きの長さや大きさといった側面がひとつ大切なことです。その物は 1 センチ動いたのか、1 メートル動いたのか、というような長さ・大きさの次元です。長さ・大きさを変数と考えて、空間的変数と言い換えてもいいでしょう。そして、動きをとらえるときにもうひとつ大切な側面が、その動きが素早いか、ゆっくりかといった速さです。たとえ 1 メートル動いても、それが非常にゆっくりした動きであれば、私たちは気づかないかもしれません。たとえ 1 センチの動きであっても、目のまえで一瞬にして 1 センチ動けば、気づくことができるでしょう。そうした素早さ、あるいはゆっくりさをとらえるときに、時間という側面が立ち現れてきます。空間的変数に対して時間という変数です。
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なんとも納得できる定義です。しかも、平田氏によると、紀元前 4 世紀の哲学者アリストテレスも同じようなことを言っていたそうです。時間がある理由のほかにも、身近すぎて意識すらしてこなかったことが色々この本には登場します。それらを読むたび、これまで考えてこなかったことに気づかされ、読書の楽しみを堪能できました。