2022年09月10日

「語り継ぎたい日本語」

20220910「語り継ぎたい日本語」.png

齋藤 孝 監修
ぶんか社 出版

 監修者が『語り継ぎたい』と思っているのは、『いきな日本語』だそうです。『いきな日本語』なのかと疑問に思われる表現も数多ありましたが、人を励ますときに使ってみたいと思える表現や初めて知った自然にまつわる表現もありました。

 使うタイミングが難しいかもしれませんが、『瑠璃も玻璃も照らせば光る』は、そのリズムの良さもあって、使ってみたいと思いました。違った体質を持ち、違った環境にいても、優れた素質を持つ者は、どこにいようと、光を当てれば光り輝くものという意味だそうです。『瑠璃』も『玻璃』も仏教用語の七宝 (しちほう:金、銀、瑠璃 (るり)、玻璃 (はり)、硨磲(しゃこ)、珊瑚 (さんご)、瑪瑙 (めのう)) です。『瑠璃』は、ラピスラズリを指すことが多く、古くはガラスのことをこう呼んだそうです。『玻璃』は、水晶を指しますが、ガラスの別称としても使われます。美しい石に譬えられれば、落ち込んでいる人も元気になるかもしれません。

 自然の移り変わりに気づかないような暮らしをしていますが、そのいっぽうで、自然にまつわる表現を覚えたいとも思っています。気になった表現がみっつあります。まず、ネガティブなことを思うにしても、柔らかに感じられて気に入った表現が、『石が流れて木の葉が沈む』です。重い石が流れてしまうのに、軽い木の葉が沈んでしまうように、物事が通常の原理原則とは逆になること、つまり理不尽なことを言います。

 次は、『花散らし』ということばです。『花散らしの雨』や『花散らしの風』は、桜の花が咲くころに降る無情の雨や花を散らす風を指しています。著者は、同じ花が落ちる表現でも、花によって使い分けていることも、併せて紹介しています。具体的には、桜の花が落ちることは『散る』と表現しますが、梅の花が落ちることは『零れる (こぼれる)』と表現するとのことです。

 最後は、俳句の季語のうち、山の四季を簡潔にあらわした表現です。春は『山笑う』、夏は『山滴る (したたる)』、秋は『山装う』、冬は『山眠る』です。新緑が芽吹き、花が咲き、山全体が燃えるような明るさに満ちている春の山は、まさしく笑っているようですし、紅葉した木々をまとった秋の山は、装いあらたに夏とはまったく違う姿を見せてくれます。四季それぞれにぴったりの表現に思えますが、いずれも漢詩の『臥遊鹿 (がゆうろく)』からきた表現だそうです。
posted by 作楽 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 和書(日本語/文章) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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