2023年03月12日
「ののはな通信」
三浦 しをん 著
KADOKAWA 出版
久しぶりに書簡小説を読みました。「錦繍 (きんしゅう)」などとは時代背景が違って、手紙とメールの両方で書簡が交わされています。1984 年の春、高校 2 年生だった野々原茜と牧田はなのあいだでやりとりが始まって 1989 年に中断されるまでは手紙でしたが、2010 年に再開されて 2011 年に終わるまではメールです。その変遷に時代の流れを感じました。
同様に時代の流れを感じたのは、昭和のころ、LGBTQ などということばがなかったことです。書簡を交わすふたりは、高校生時代にお互い『つきあっている』と思っていましたが、確信がもてずにいました。恋人同士とは、男女のカップルを指すものと思われていた時代ですから、不思議ではありません。
ふたりの書簡を読むにつれ、恋とは、愛とは何か、考えさせられました。恋愛の先に結婚と生殖 (子をもつこと) が既定路線としてあったことが、恋や愛を複雑にし、LGBTQ の権利を当然とみなせずにいたのかもしれません。
愛は、何も恋人たちだけのものではありません。この本のなかで茜は、はなに向けて『心のなかの本当のあなた、つまり他者と、知識と思考と想像力のすべてを駆使して、対話するよう努める』と書いています。その気持ちは愛であり、性別は関係ないように思います。わたしたちは、過去から綿々と受け継がれてきた『恋』や『愛』という定義やラベルを疑うことなく受けいれてきた気がしますが、立ち止まって一度疑ってみてもいいかもしれません。
また、茜は、『差異を乗り越え、認め合い、仲良くすることは、個人と個人のあいだでは比較的容易なのに、集団になるとなぜ、暴力という表現になってしまうことが多いんだろう』と疑問を抱いています。愛の対象は恋人や家族に限られるかのように線引きする傾向を感じますが、その線引きの必要性を各々が問うてみてもいいかもしれません。
これまでの価値観の根っこの部分を見直してみることは大切だと思いました。
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