近藤 康太郎 著
CCC メディアハウス 出版
「百冊で耕す <自由に、なる> ための読書術」は、「三行で撃つ <善く、生きる> ための文章塾」の続編にあたり、前者では、どうインプットすべきか、後者では、どうアウトプットすべきかがテーマになっています。タイトルも読点まで意識されて、対になっています。
本作を読み始めてすぐ、どうインプットすべきか指南を受ける前に、わたしはなぜ読むのかを考えたことがなかったと気づきました。本を読むたび、知らなかった世界を垣間見ることができ、それが好きで読書を続けてきただけで、本を読む目的を考えたことすらなかった自分に驚きました。この本では、読書の意義も述べられています。
著者は、『世界にも、人生にも、そもそも「答え」はないから』、答えや結論を得るために本を読むのではないと断言しています。では、何のために読むのでしょうか。『読書とは、新しい問い、より深い問いを獲得するための冒険』だというのです。
『世の中の常識とされていること、あたりまえと受け入れられている前提を、疑ってかかる。文学の役割とは、極限すれば、そこだ。』著者は、そうも書いています。また、違う角度から、『本を読むとは、孤独に耐えられるということも意味する。世界で一人きりになっても、本の世界に遊ぶことができる』と語っています。
本を読み、著者と向き合い、そのなかからそれまで考えなかったことを考え、新しい問いを得て、自らを変えていく、願わくば成長できるよう。それが読書をするということなのでしょう。タイトルの『耕す』というのは、自らを耕すという意味です。太宰治のことばを借りて『むごいエゴイスト』にならないためとも説明しています。
そういった目的を考えると、自らが読みたいと欲するものだけを読んでいては意味がなく、著者は『百冊選書』(巻末の一覧) を推薦しています。
著者の読書や本に対する考え方には共感できる部分が多く、『百冊選書』にも挑戦してみたいと思えました。その際の読破順序としては、社会科学のリストは、時代の古い方から新しいのに向けて、文学のリストは、新しい方から古いものにさかのぼるのが良いそうです。

